そんなことで人を殺してしまうのか、で済むだろうか?

 ほとんど理解不可能な殺人事件が立て続けにおきた。ほとんどの人は、そんなことで人を殺してしまうのかという疑問にとらわれたに違いない。
 中学生がとなりのクラス(小さな町なので、小学生時代からの友人だった)の友人を呼び出して、廊下で持参した包丁で刺し殺した事件。そして、妹夫婦の家族と同居していた男が、妹をその夫が迎えにでかけたあと、二階に子どもが二人寝ているのを知りながら放火して全焼させ、子どもを死なせた事件。
 ふたつの事件とも、おそらく小さな、継続的なトラブルはあったのだろうが、大きな喧嘩などもなく、突然の犯行のように思われた。まだ真相は明らかになっていないし、今後明らかになるかどうかもわからないが、特に学校の教師にとっては、大きなショックだったに違いない。

 
 愛知県の中学生の事件を考えてみよう。
 当初は「いやな思いをした」「トラブルがあった」という程度のことが語られていたが、少しずつ具体的なことがでてきている。そのひとつが生徒会選挙の応援演説をやらされたのが嫌だったということだ。しかし、生徒会選挙とその応援演説は去年の秋のことであり、一年も前のことだ。しかし、今年の2月に行われたアンケートに、応援演説の不満を書いていたという。ただ、廻りからすると、応援演説をしたということは、理解しあっている関係と思うだろうから、不満を書いても、深刻には受け取られなかった可能性もある。
 ほかにいじめられていたという供述もしているそうだ。
 詳しいことがわからない段階で、ネットの書き込みを見ると、いじめの被害者が復讐として殺害したのではないかと考えた人が多かったように思われる。私も、その可能性があると受け取った。現在は、いじめの被害者が最悪の場合自殺することがあるが、いじめの被害が深刻に受け取られるようになった最初のきっかけは、被害者が加害者を呼び出して殺害する事例かいくつかあったことだ。1970年代から80年代にかけて、いくつかの事件が起きている。
 今後いろいろなトラブルが報道されるかも知れないが、少なくとも現時点では、まわりにはっきりとわかるようないじめや大きなトラブルがあったようには、思われない。いじめられていたという報道もあるが。
 しかし、アンケートには、応援演説を強制されたことについての悩みを書いたことを考えれば、本人にとっては、日常的な不満があり、その象徴として応援演説があったのだろうと思わざるをえない。確かに、自分が嫌だと思っている人の「応援」をさせられることは、屈辱感を強く感じることは理解できる。そして、教師たちが、それを無視していたわけでもないようだ。事件を起こした彼には、「大丈夫か」というような声かけはしていたと報道されている。「大丈夫です」と答えていたので、教師も深刻な事態とは思わなかったのだろう。
 だが、「大丈夫です」と答えても、実際にはかなり深刻に悩んでいる可能性はある。
 まだまだ詳しいことはわからないので、この程度しか書けないが、いじめアンケートが形骸化しているということを感じる。1年に3回も実施するわけだから、慣れてしまうことがあるのではないだろうか。応援演説が嫌だったと書かれても、実際には応援したわけだから、教師の側もそれほど深刻には受け取らなかった可能性もある。しかも、演説会が昨年で、アンケートが今年の2月。いずれもずいぶん前だ。そして、事件が最近だから、そのことの間にも、何かいろいろとあったに違いない。やがては明らかになるのだろうか。
 
 兵庫県で起きた放火事件も、また不可解な事件だ。
 報道によれば、焼失した家は、放火した当人の名義だったという。しかも、その名義変更は、10年以上も前のことだ。しかし、そのときには、おそらく大阪に住んでいて、いつからかわからないが、妹夫婦と子どもが住んでいた。そこに、犯人となった人が大阪から帰ってきて住むようになったが、妹夫婦の家族とも、また地域のひとたちとの交流もなかったという。「引きこもり」だったということだろうか。同居しているのが親であれば、また違っていたのだろうが、妹の家族となれば、なかなか難しいのではないかと想像される。育ち盛りの男の子の兄弟がいれば、かなり騒々しい音もたてていたろうし、仕事をしていない引きこもりであれば、コミュニケーションを図って、トラブル解決というわけにもいかない状況だったのではないだろうか。そういうなかで、鬱屈したものが蓄積していったということが、推測されるが、ただし、妹としても、兄が自分たち夫婦がいないときに、子どもを焼死させてしまうなどということは、思いもよらないだろうから、何か対策が必要だという切実感もなかったに違いない。
 二世帯での同居の難しさは、身近に感じたのだが、まして、親子ではなく兄と妹家族ということになれば、よほどの工夫と努力がないと、円満にはいかないような気がする。
 放火した当人にとっては、自宅だから、放火してしまえば、自分が住む家もなくなる。まさか刑務所で暮らせばいいと考えたわけでもないだろう。
 とにかく、疑問点を書いておいて、後日情報が出てきたところで再度考えてみたい。
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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