小室夫妻の結婚と保守論壇

 「文藝春秋」12月号に、「秋篠宮家秘録 この三年間に何が起きていたか」(特別取材班)と「象徴天皇制の聖と俗」(保阪正康)という文章が掲載されている。さすがに日刊ゲンダイのような駄文と違って、問題に切り込もうという姿勢が感じられる。両方ともネットでも読めるが、前者は一部省略があり、省かれた部分は悠仁親王の通学したお茶の水女子大付属関連であり、興味深い内容だった。
 ネットで読めるので、内容はそちらでチェックしてもらうとして、疑問な点を中心に書いておきたい。
 まず「秘録」のほうだ。
 ここでは真子内親王が非常に大人で、一端決意したことは断固としてやり抜く強い意志をもっており、籠の中の鳥状態である皇室から抜け出すために、10年も前から佳子内親王と相談しながら、計画をしていたという話が出てくる。近くで接していると「通常よりも10歳くらい精神年齢が上」と感じるのかも知れないが、結婚後の記者会見で見せた状態からは、多くの人が、年齢の割に幼いと感じたのではないだろうか。私もそう感じたし、またネットの書き込みでそういう感想が非常に多かった。意志の強さは確かにそうなのだろうが、より客観的にみれば、意志の強さというよりは、独善的で幼稚な思考の印象が強い。

 結婚後の会見で、国民を最も驚かせたのは、借金問題が表沙汰になった以降の対応は、すべて真子内親王の見解に基づいて対処されたという部分だった。つまり、あれは借金ではく、贈与であるから返済の必要はなく、また、そもそも小室家が借金をするような家庭とみられることは認められないという意志によって、一貫して対応してきたというわけだ。そして、小室圭氏は、何も悪いことをしていないのに、なぜあのように批判されるのか、まったく理解できないと発言していたという。
 皇族がみなこのような考えをもっているとは考えられないし、また、秋篠宮も同様な感覚なのかはわからない。しかし、まったく真子内親王一人の特別な感情でないことは間違いないだろう。一般の感覚、あるいは常識とあまりに離れた意識に驚いた国民が多いに違いない。
 小室圭氏が「悪いことをした」と思っている国民はほとんどいないに違いない。そうではなく、「するべきことをしない」ことを批判しているのである。「悪の作為」と「善の不作為」は、ともに批判されることはあっても、批判の内容はまったく違う。「借金は悪いこと」だという価値観があるために、借金したという悪事を小室家がして、それを国民が非難している、と受け取ったのかも知れない。しかし、常識的な感覚では、借金は少しも悪いことではなく、むしろ、お金を貸してくれる人がいるという積極的な面がある。批判されているのは、貸してくれたことに対する感謝を表明しないことと、返す意志を示さないことにあった。
 多くの国民は、これまでそれが小室家側の考えだと思っていたわけだが、真子氏の指示だったことを知って驚愕したわけである。そして、その感覚の独善性に驚いた。
 それは、今では、結婚による自由の獲得という意識にも向けられている。記事によると、皇室を出るためには、結婚しかないと判断して、小室氏を相手に選んだようだ。しかし、皇室典範を読めばわかるように、皇室会議の議を経て皇室から離脱することできるようになっている。できないのは皇太子と皇太孫だけだ。秋篠宮は、結婚を反対されたら皇室を離脱するといって、周囲を困らせたことがある。秋篠宮は、今でも皇太子でも皇太孫でもないから、一家として皇族を離脱することすら可能である。皇族でありながら、皇室典範すら知らないのだろうか。それこそ強い意志をもっているならば、皇室会議に申し出て、皇族から離脱し、それから自由な生活をして、結婚相手を探すというのが、誰もが納得する道だったのではないか。小室氏は、ある意味(自分で望んだことでもあるだろうが)利用されたともいえる。だからこそ、まわりの批判に耳を傾けず、突っ走ったのかも知れない。
 原稿締め切りの関係かも知れないが、結婚後の日本やニューヨークの住まいが、ほぼ宮内庁等の公的な支援を受けていること、また日常生活においても、公的な立場からの支援(買い物、料理等)を受けていることと、「自由」の関係について、まったく触れていないことは、物足りない。
 自由はえたけれども、皇室特権はまったく保持したままという生活に、ネット上では多くの批判がいまだに寄せられているのも、ごく当然だろう。
 
 保阪氏の文章は、もっと厳しい視線を真子氏に投げかけているし、今回の騒動をとめることかできなかった宮内庁に疑問を呈している。真子氏は皇族としての自覚が欠けている、皇室は、「聖」なる部分によって成立していたが、戦後、「俗」の部分も入ってきて、アンビバレントな状況になったことの上に、今回の「事件」が起きたが、「聖」を押し退けるような形で「俗」をとった結婚は、皇室の危機を表しているという主張だ。
 日本の皇室が、国民にどれだけ「聖」なる存在として敬愛されてきたかについては、保阪氏のような見方もあるだろうが、そうでない国民も少なくないのではなかろうか。
 私が小さいころ、父は天皇に対して怨嗟の気持ちしか抱いていなかった。戦争中、いつも上官に、天皇陛下にいただいたものを粗末にするのかといって、殴られていた。天皇とは、おれたちを殴りつける以外に存在しなかったというわけだ。死に直面した兵士たちが、「天皇陛下万歳」といった者よりは、「お母さん」と叫んだ者のほうがはるかに多かったとも言われる。
 江戸時代までは、ごく例外的に近かった人を除けば、天皇のことなど意識することはなかったろう。聖なる存在として天皇を国民に浸透させたのは、明治から敗戦まで、政府が政策的に押し進めたことである。むしろ、戦後のメディアにのった皇族たちの姿によって、皇室が国民に浸透したが、「聖」なるものとして受け入れられたかは、甚だ疑問である。
 しかし、それにしても、真子内親王の結婚後の記者会見で明らかになった国民を非難する姿は、国民を驚かせるに十分だった。保阪氏も「皇室重大事件」と呼んでいる。
 ふたつの文章でわかることは、佳子内親王も姉と同じことを考えているというし、ひょっとすると悠仁親王もそうなのかも知れない。そして、秋篠宮家に対する不信感はかなり高いものになっている。皇室の危機そのものだということである。
 どうしたらよいのか。さすがに、このふたつの文章はそれを示していないが、多くの国民の意識は明確なのではないだろうか。なぜそれを示さないのか、逆に不思議である。
 それは、小泉内閣が内定していた、男系男子の継承を長子継承に変更する、皇室典範の改正を実行することである。秋篠宮家に皇統が移るなら、天皇制を廃止したほうが納得できる人が増えているし、私もそう思う。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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