国民の教育権論の再建6 教育権の基本的要素2 教育を受ける権利

 憲法に明記されている「教育を受ける権利」について考察しよう。
 憲法に規定されているのだから、この権利については、法的に存在していることは疑いない。条文を確認しておこう。
 
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
② すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
 
 法的には、国民は教育を受ける権利はあるが、それは「能力に応じて、ひとしく」という限定かついている。子どもの教育を受ける権利については、保護者が法律の定めに従って、保護する子女に教育を受けさせることによって充足される。全体として国家がそれらを保障する義務がある。

 以上が、憲法の条文の意味するところである。簡単な文言であるが、いくつかの論点があることは周知のことであり、教育関係者は、その解釈に様々に取り組んできた。
・「能力に応じて、ひとしく」とはどういうことか。
・保護者は子女に法律上定められた教育を受けさせる義務があるのだから、それは「権利としての教育」ではなく、事実上は「義務としての教育」ではないか。子どもも就学義務があるから、やはり、「権利」ではないのではないか。
・義務教育は無償というが、実際にはかなりの費用が徴収されているが、憲法に違反しないのか。
・義務教育以外の教育について、「教育を受ける権利」と「国家の保障義務」は、どこまで適用されるのか。
 主要な論点は以上のようなものだろう。
 最初の「能力に応じて、ひとしく」は、当初文部省や憲法学説(主に宮沢俊義)は、高校や大学で入学試験をして、水準に達してない者を不合格とすることは合憲である、つまり、ひとしい機会を与えて、そこで能力によって選抜することを認めるという趣旨である、と解釈していた。しかし、国民の教育権論によって強く批判され、現在では、「能力の発達に応じて、その必要性に相応しい教育を、それぞれ受ける権利がある」という解釈が提示され、文科省もほぼそれを受け入れている。従って、第一の論点は、解決されている。
 第三と第四の論点は、国力や財政的観点での量的問題というべきだから、現状への肯定度については、対立があるとしても、論理的な対立があるとまではいえない。従って、現在なお大きな論点となっているのは、第二の「権利」であるはずが「義務教育」でしかないということにおいてである。
 国家の立場からすれば、教育を受けることは、権利であると同時に国民の義務であるという意識だろうから、矛盾はない。しかし、国民の教育権論の立場からは、大きな矛盾であり続けている。
 私の知る限り、この点についての国民の教育権論からは、権利性がないことを違憲とするのではなく、次のように説明してきた。
・権利ではあるが、実行しなければならない権利、拒否できない権利なのである
・親が学校に委託したから、そこで権利を行使したことになる
 これは同じ論者が解釈している場合があるが、ふたつの異なった説明である。しかし、いずれの説明も、人を納得させるものではない。
 拒否できなければ、それは権利ではなく義務である、というのが常識である。
 国民には選挙権がある。つまり選挙をして、自分たちの代表を選ぶ「権利」である。しかし、候補者が一人しか認められないような選挙制度が実施され、かつ、棄権することは許されない、棄権すると罰せられるというような選挙システムであったら、それは「選挙権」をもっているといえるだろうか。そういう選挙を実施している政権のひとたちは、選挙権だというかも知れないが、常識的な民主主義の感覚をもっている人たちは、それは選挙権を行使しているとはいえないと考えるはずである。実際に、候補者が常に複数立候補することが認められていない国は存在している。
 現在の義務教育制度は、まさしく、そういう選挙のあり方と同じではないだろうか。「拒否することができない権利」を「権利」というとしたら、それは詭弁でしかない。複数の候補者から選択できることが保障されており、(実質的に一人しか立候補しないこともありうるが)どうしても選びたい候補者がいなければ棄権しても罰せられることがない、それが「選挙権」であると考えるならば、「教育を受ける権利」は、複数の学校から選択でき、どうしても納得できる学校がなければ、学校にいかないことも選択できるというものでなければならないはずだ。つまり、「拒否できない権利」などは、論理矛盾なのである。
 「委託」したから、そこで権利を行使したことになるという議論はどうだろうか。これについては、これまで何度も言及してきたので、「委託論」そのものが、「委託」なるものを抽象的に述べているだけで、実態を伴わない論であること、委託を実態を伴うことにするためには、学校選択あるいは教師選択を可能にすることが必要であることを、指摘しておくだけにする。
 以上のことからわかるように、「教育を受ける義務」ではなく、「権利」として実現するためには、就学する学校を選べるか、あるいは学校教育そのものを拒否することを認めることが必要であることが導かれる。そして、学校を選ぶ行為は、委託そのものである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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