歌舞伎役者の中村吉右衛門が亡くなったそうだ。前からかなり体調を崩していたと報道されていたので、いよいよという感じだったが、77歳というのは、まだ若い。歌舞伎界に大きな損失だ。
私は歌舞伎はほとんど縁がないが、一度だけ、職場の定年停職の記念品としてもらった歌舞伎の券で妻と行ったことがある。中村吉右衛門も主役ではなかったがでていた。歌舞伎だから当たり前だが、写真の顔とあまりに違うので、あまり実感がなかったのだが。拍手は多かった。吉右衛門を見たという満足感は大きかった。
というわけで、本職の歌舞伎役者としての吉右衛門に接したのは一度だけだが、やはり、多くの人と同様、池波正太郎の「鬼平犯科帳」の主役として親しんだ。鬼平犯科帳は4回テレビドラマとして放映されたが、最初の松本白鸚主演のメンバーが風貌のイメージを作っていた。その後、丹波哲郎、萬屋錦之助と続き、4代目が中村吉右衛門であり、おそらくこれがシリーズ物としては最後になるだろう。白鸚の息子である吉右衛門は、実際に白鸚のシリーズに息子の辰蔵役で出ていたので、鬼平犯科帳シリーズとしては、2回目だった。
今、鬼平犯科帳のドラマを見る場合、圧倒的に吉右衛門バージョンだろうから、原作の登場人物の外見と様々な人のイメージが異なっている場合が多い。その最たるものが、平蔵その人である。白鸚をイメージして書いているので、小説では、小太りで背があまり高くない。これはまさしく白鸚のイメージだが、吉右衛門は全然太っていないし、むしろスリムである。背が低いという感じでもない。しかし、外見のイメージではなく、動作という視点で見ると、吉右衛門のほうがずっと平蔵らしいのである。それは、剣術裁きであったり、あるいは、原作では、相手の剣をよけるために高く飛び上がる場面がよく出てくるのだが、白鸚が飛び上がる姿を想像するのは難しいし、そもそも切り合いが得意とも思われない。白鸚が演技していたのは、50代だったので、40代の平蔵を演じるのは、少なくとも殺陣の場面は無理があった。吉右衛門は、その点小説での活動場面にはぴったりである。もっとも、小説はあくまで小説なので、絶対無理な設定があり、ドラマではそうした場面は違う形になっている。一例をあげると、「流星」という話で、平蔵が一人馬に乗って川越に向かう途中、平蔵を困らせるために送られた刺客が、平蔵だけには手を出すなと言われていたにもかかわらず、二人で平蔵を襲う場面がある。馬に乗っているので、まず平蔵の足にきりつけ、平衡を失わせ、抜刀できない状況で切り倒すという計画をたてて、馬に向かって駆け寄り、足にきりつける。しかし、平蔵は、足を高くあげて、そのまま反対側に落ち、たちまち体勢を立て直して抜刀し、慌てた相手にきりつけるという場面だ。実際にはそんなことは、たとえ演技であっても不可能だろうから、ここでは、平蔵は馬に乗っていない状況で切りかかられるようになっていたと思う。
不思議なのは、体型以外は、ほとんどすべて白鸚よりは吉右衛門のほうが、小説の原作の平蔵のイメージにぴったりあっているのである。実際に、池波正太郎は、晩年になって、最後のドラマ制作に意欲をもち、吉右衛門に依頼していたという。しかし、吉右衛門が、父がやったことでもあり、それを超える自信がなかったのか、なかなか受けなかったのだが、平蔵の活躍した年齢に達して、やる気になったというのは、よく知られた逸話だ。どの程度前の台本を書き直したかわからないが、それからは、原作も、ドラマの台本も、吉右衛門のイメージにあわせて書いていったと言われている。確かに、原作のイメージとほんとうによくあっているのだ。
前にも書いたが、吉右衛門シリーズは、脇役たちも、原作のイメージと役者が、これほどあっているドラマはないと思われるほどだ。彦十、粂八、伊三次、おまさ、五郎蔵の密偵たちは、小説のイメージそのままだ。ただ、同心や与力は多少違うという感じの人たちが多い。しかも、同心は、ドラマでの役と原作で違う人物がやっていることもある。これは、出演者の日程調整のための変更なのだろうと思うが。
現在、時代劇が制作されることが本当に少なくなった。私が子どものころは、時代劇全盛時代で、正月映画はほぼ忠臣蔵と決まっていた。毎年役者が違うので、今年は誰かな、というような会話がよくなされた。映画でも時代劇はたくさんあった。時代劇は、当然制作費用がかかるし、撮影場所の確保も難しくなっている。NHKのようにセットで街を作ってしまうような資金があればできるが、民放にはどんどん難しくなっている。そういう意味で、鬼平犯科帳は、民放が制作できた最後の大規模な時代劇シリーズになるのかも知れない。そして、原作の面白さ、ドラマとしての丁寧なつくり、その双方で、時代劇最高のドラマシリーズだと確信している。