アメリカの有名大学入試の不正

 アメリカの大学入試で不正があり、訴追された人物が50名もおり、そこに有名な人物がいたことで、ワイドショーなどでも取り上げられている。ワイドショーでは、こんなことがあったというレベルであるが、アメリカの大学を考える上で、重要な転換をもたらすかも知れない、大きな事件であると思う。
 事件は、シンガー William Rick Singer というブローカーのような人物が、富豪からお金を集め、大学のスポーツ推薦を担当する人物やコーチに働きかけて、スポーツ選手でもない有名人の子どもを、スポーツ選手であるように見せかけて、推薦で進学させたということと、SATの試験に介入(替え玉受験と、点数改竄)したということ、更に、集めたお金は、チャリティを装った団体を作って、一旦その団体を通し、「寄付」という形をとって税金逃れをしていたという罪がある。特に話題を集めたのは、人気テレビドラマの“Desperate Housewives,”で主役級だったFelicity Huffmanと、“Full House.”のLori Loughlinが訴追者のなかに入っていたことである。
 シンガーは有罪であることを認めていると報道されている。かなり前からシンガーは不正工作をしていたようだが、もちろん、当事者たちから漏れたわけではなく、FBIが別件での秘密捜査をしているときに、偶然事実が把握されたのだという。しかし、その詳細は報道されていない。
“アメリカの有名大学入試の不正” の続きを読む

人工透析問題3

 福生病院の透析中止問題は、報道から個人的情報発信へと展開している。私もこのブログで2度書いたが、その後印象的なブログ記事が現れたので、改めて、これまで触れられなかった点も含めて考えてみたい。
 医療関係者からのブログは、福生病院支持もけっこうある。また、透析を実施している当人からの投稿もある。「透析患者の僕だから言える「透析中止事件」の罪」https://diamond.jp/articles/-/196794?page=3 実際に患者や医療関係者でないとわからない具体的な治療を受けながらの生活について理解できる。ここで、3つの病院擁護論のブログが紹介されているが、残念ながら、ふたつは有料で、会員でないと読めないので、残りのひとつである長尾和宏医師の「和の町医者日記」に掲載された「透析中止報道 福生病院は悪くない」http://blog.drnagao.com/2019/03/post-6688.htmlの主張を検討したい。ただし、そこに書かれていることは、完全な福生病院擁護論ではないが、私としては賛成できない部分が少なくない。
“人工透析問題3” の続きを読む

道徳教育ノート 二匹の蛙1

 文部科学省の道徳教材のページを見ていたら、「二匹のカエル」という教材があったので読んで、授業研究などがあるか検索したら、まったく別の「二匹のカエル」という新美南吉という童話があり、更に別の様々な「二匹の蛙」があるようだ。不覚ながら今まで知らなかった。分析は次回にし、今回は教材の紹介だけにする。

 どうやら、その元祖は、イソップ寓話らしい。非常に短い話だ。
 題は、「水を探す蛙」というもので、極めて短いので全文引用する。

 蛙が二匹、池の水が干上がったので、安住の地を求めてさまよい歩いた。とある井戸の辺りまで来た時、おっちょこちょいの一匹は、跳びこもう、と言ったが、相棒が言うには、
「もしここの水も干上がったなら、どうして上がるつもりかね」
 後先の考えもなく事に対処してはならぬと、この話は我々に教えている。(『イソップ寓話集』中務哲郎訳岩波文庫)
“道徳教育ノート 二匹の蛙1” の続きを読む

日本の司法制度は100年遅れているか Le Figaro の記事より

 3月11日のLe Figaroに、「自由の領域」CHAMPS LIBRES と題して、日本の司法批判の文章が掲載された。当然、カルロス・ゴーンの長期拘留とやっと保釈がきっかけになった掲載だろう。「カルロス・ゴーンの事件は、訴訟に直面した被疑者を、まったく無防備にしてしまう強力な検察によって支配されている」という認識を土台にして、日本人の法律家の話も交えながら、日本の司法を断罪する記事になっている。日本のテクノロジーは、10年進んでいるが、司法制度は100年遅れている、という言葉を2度書いている。
 最初に母親が家に放火して、娘を殺害し、生命保険を詐取した容疑での訴訟の模様を紹介し、傍聴席は満員で、まるでSMをみるような興味本位で見ており、手錠と腰縄をつけられた悲しそうな被疑者(無罪を主張している)の権利無視を指摘するところから始めている。平成4年に起きた事件で、有罪となったが、2015年に再審が決まった事件のことだろう。
“日本の司法制度は100年遅れているか Le Figaro の記事より” の続きを読む

鬼平シリーズ3 旗本の転落1

 鬼平犯科帳には、江戸時代の支配層の代表である「旗本」が犯罪をして転落する物語が、いくつかある。代表的なものは、「密通」「毒」「春雪」「鬼火」の4つだ。「鬼火」だけは長編で、単独で一冊になっている。そして、犯罪もまったく異なる。「密通」は、平蔵の妻久栄の伯父が、家臣の若い妻を、地位を利用して月に1度密通する話。「毒」は、明確には示されないが地位の高い旗本が、おそらく将軍の子どもの暗殺を図るために、毒を入手する話。「春雪」は、自分の放蕩でつくった借金のために、裕福な商家の娘だった妻の実家を襲わせようとする話。「鬼火」は、他家に養子となった自分の子をその家の跡継ぎにするために、既に継いでいた兄を盗賊の女を近づけて追い出す話。どれも、本来大切にしなければならない人を、自分の欲望のために、亡き者にしたり、排除するという、陰惨な話である。
 今回は、「密通」と「春雪」を扱う。
 しかし、残念ながら、「密通」は、ドラマになっていない。中村吉右衛門主演のテレビドラマは、原作をすべて消化してしまったという理由で、シリーズものは打ち切りになり、そのあとは、年一度のスペシャルで同じ話のリメイクを作っていたということらしいが、どういうわけか、「密通」はドラマ化されていない。話としては骨格が単純で、しかも、主要ゲストが、この話にしか登場しないので、他との連携もうまくいかないと判断されたのだろうか。しかし、最後に「封建的武士道」に逆らって、家臣が主人に切りつける場面があるし、また、そもそもの発端が、主人の横暴に逆らう下人の行動だから、興味深い物語だと思う。
“鬼平シリーズ3 旗本の転落1” の続きを読む

ブログ題名を変更しました

 このブログは、太田ゼミでの発表を、きちんと文章化して残すことを意図して設定したものですが、3年ほど前からは、evernoteを使用するようになったので、ここは開店休業のようになっていました。私の定年が近づいてきたので、定年後の活動の一環として、試験的にこのブログを活用するようにして、少したちますが、この3月に最後のゼミ生が卒業します。卒業認定も既に済んでいるし、ゼミそのものは1月で終了していますので、太田ゼミブログという名称も卒業し、私の個人ブログとしました。なお、ゼミ生としてここに書き込んだ者は、カテゴリーとしてハンドル名のようなものになっていますが、とりあえずしばらくの間残すことにします。

読書ノート 妻を帽子と間違えた男2

 優れた声楽家のpが、見え方が変になって、眼科医で診察をうけたところ目に異常はないと診断され、「脳の視覚系に異常があるようだから」というので、オリバー・サックスのところにやってきた。人間性も豊かなpに、特におかしな点を感じなかったが、違和感をもったのは、相手を見る目が普通ではなく、顔をみても顔を把握していない感じで、むしろ聞き耳をたてているようだった。そこで、通常の検査をいくつかする。靴を脱がせて腱反射のチェックをしたあと、靴を履くようにようにいっても履かない。足と靴の区別がつかなくなっていて、どうしたらいいかわからないのである。自分の足をみて、「これ私の靴ですよね。」といったりする。サックスには初めての経験だったそうだ。写真などを見せていると、写真を全体として見るのではなく、細部のみ見ている。そして、帰るときに、帽子を探しているような仕種で、妻の頭を持って、かぶろうという動作をする。ここが、「妻を帽子と間違えた男」の題名になっている場面である。

 まず、最初に起きた奇妙なことを確認しておこう。
 pは優れた音楽家として認められていて、音楽学校の教師をしている。そこで、
・生徒が前にいても気付かない。
・顔を見ても誰かがわからないが、声を聞くとわかる。
・相手がいないのに、いるかの如くふるまう。
・町で消火栓などを、まるで子どもの頭のようにポンとたたく。
・家具のノブの彫り物に向かって話しかける。

 みなさんはどう思うだろうか。
“読書ノート 妻を帽子と間違えた男2” の続きを読む

音楽の国際化3 平均律

 今回は、グッドールの5大発明のなかの「平均律」である。もっとも、平均律よりは、そこに至る無数ともいえる音楽家たちの苦闘が主題ともいえる。
 最初から余談になってしまうが、確かニュートンが、宇宙のことを理解するようになればなるほど、この宇宙は神が創造したものだという畏敬の念が強くなる、神の存在を意識せざるをえなくなる、と言っていた。しかし、音律の問題を考えると、とても神など存在するはずがないという意識になる。もし神が存在するとしたら、全知全能などとはほど遠い無能な存在か、あるいは能力があるのだとしたら、相当にいじの悪い存在だと思う。
 さて、音楽が民族文化の相違を超えて、同質性がかなりの程度あるのは、音が自然現象だからだということを前に述べた。この音律の問題こそ、自然現象であることの特質が出てくる。そして、音律の実践的・理論的発展があったのは、ヨーロッパだけであるが、理論に限っていえば、かなり広い世界で同じことが論じられていたのだそうだ。いろいろな書物に、これから紹介することと、ほとんど同じことが、中国の古い文献に既に出てくるそうである。では、何故、音律はクラシック音楽の専売特許のようになったのか、それを今回考えてみよう。
“音楽の国際化3 平均律” の続きを読む

透析中止で死亡-生涯を決定する権利はあるのか2 安楽死の検討

 しばらくこの話題を続くのだと思うが、今日(3月8日)の毎日新聞には、当該病院での「問題提起」のようなことが紹介されているので、それを検討しておきたい。
 以下毎日の記事。
 センターの腎臓内科医(55)によると、患者には透析治療とともに「透析しなかったらお亡くなりになります」と説明。非導入が死に直結することを明確に伝えたという。患者の家族から「死ななくて済む方法があるのに、なぜ死を選ぶのか」という疑問が出た場合には、患者本人に家族を説得してもらったという。
 亡くなった女性を担当した外科医(50)と腎臓内科医は、現行の透析治療を「対症療法」と独自に解釈。そのうえで「患者に苦痛を負わせる対症療法を医師が問答無用で押しつけることはできない。透析治療導入後にご家族が後悔することもあり、通り一遍の流れの医療をすべきではない。導入時にどうしたいのか(患者に)確認する時代になってくる」と主張している。(以上)

 この部分が、問題提起であろう。要約すると、
・透析治療は「対症療法」であり、苦痛を負わせる対症療法は、患者の意思によって実施するものだ。
・意思確認のために、導入と非導入の選択肢を示し、非導入は死に直結することを説明する。
・非導入を選択した患者の家族が納得しない場合には、患者本人が説得する。
“透析中止で死亡-生涯を決定する権利はあるのか2 安楽死の検討” の続きを読む

透析中止で死亡–生涯を決定する権利はあるのか

 3月7日の毎日新聞には、人工透析中止の選択肢を提示され、意思確認書を書いた女性が死亡した事例で、当該病院に立入検査が入ったことが報道され、この問題に多角的な分析が加えられている。私は、オランダを研究しているが、世界で始めて安楽死を国家として合法化した経緯やあり方について調べたこともあり、この問題について考えざるをえなかった。多数の記事が掲載されているので、いちいち示さないが、すべて資料とするのは、毎日新聞の3月7日の報道である。
 この病院では、本人の意思確認によって人工透析を中止した患者が3人おり、そのうち2人が中止後短期間に死亡している。ここで、問題になっているのは、そのうちのひとりである44歳の女性である。何が起きたのかを、時系列で追ってみよう。
“透析中止で死亡–生涯を決定する権利はあるのか” の続きを読む