鬼平犯科帳には、江戸時代の支配層の代表である「旗本」が犯罪をして転落する物語が、いくつかある。代表的なものは、「密通」「毒」「春雪」「鬼火」の4つだ。「鬼火」だけは長編で、単独で一冊になっている。そして、犯罪もまったく異なる。「密通」は、平蔵の妻久栄の伯父が、家臣の若い妻を、地位を利用して月に1度密通する話。「毒」は、明確には示されないが地位の高い旗本が、おそらく将軍の子どもの暗殺を図るために、毒を入手する話。「春雪」は、自分の放蕩でつくった借金のために、裕福な商家の娘だった妻の実家を襲わせようとする話。「鬼火」は、他家に養子となった自分の子をその家の跡継ぎにするために、既に継いでいた兄を盗賊の女を近づけて追い出す話。どれも、本来大切にしなければならない人を、自分の欲望のために、亡き者にしたり、排除するという、陰惨な話である。
今回は、「密通」と「春雪」を扱う。
しかし、残念ながら、「密通」は、ドラマになっていない。中村吉右衛門主演のテレビドラマは、原作をすべて消化してしまったという理由で、シリーズものは打ち切りになり、そのあとは、年一度のスペシャルで同じ話のリメイクを作っていたということらしいが、どういうわけか、「密通」はドラマ化されていない。話としては骨格が単純で、しかも、主要ゲストが、この話にしか登場しないので、他との連携もうまくいかないと判断されたのだろうか。しかし、最後に「封建的武士道」に逆らって、家臣が主人に切りつける場面があるし、また、そもそもの発端が、主人の横暴に逆らう下人の行動だから、興味深い物語だと思う。
「密通」のあらすじを紹介しよう。
平蔵の妻久栄の母方の伯父天野彦八郎から、久栄の父大橋与惣兵衛を通して、「家来の遠藤子助が、50両を持ち逃げしたので、捕まえてほしい」との依頼があった。旗本の家での事件を私的に依頼するのは、違反であるが、平蔵は天野に会って前向きに考えるという。天野家内での聞き取りでは、家人たちは、天野に遠慮して何もいわないが、下女のお元が役宅を訪れ、「御用人の中野又左衛門の妻、お米も同じときにいなくなった」と告げ、二人の不義を否定する。翌日、中野又左衛門が来宅して、天野からよろしくと多額の金子を差し出すが、平蔵は受け取りを拒否する。数日後、密偵の仁七が、お米の実家の主人が大きな荷物をもって、広尾の百姓孫蔵のところにいき、荷物をおいてきた旨をつげる。ここで平蔵は、事態を理解し、翌日単身孫蔵のところにでかけて、お米と子助にあう。天野宅にいって、見つけた旨告げると、天野は、中野と出入りの商人、3人の素浪人をつれて、孫蔵宅にいく。お米、子助を呼び出し、天野が中野にふたりを切るように命じると、中野は、突然主人である天野に切りかかろうとしたので、あわてて、潜んでいた平蔵がそれをとめ、その後現れた素浪人を切り捨てる。
妻をなくしてずっと独り身だった中野(50歳くらい)に、若い、これも夫と死別したお米が後妻として入ったのだが、主人の天野が、月1で、おれに抱かせろと中野に、事実上命令する。そして、月1の会い挽きを偶然みつけた子助が、お米から事情を聞き出し、お米をつれて逃げるというのが真相だった。
天野は700石の中レベルの旗本であるが、将軍の側に使える職務なので、権勢があり、非常に傲慢な人間になっている。他方、俳句などを詠む文化人でもある。
傲慢さは、依頼ごとをする相手の平蔵に対しても露骨に示され、用を頼まれたから訪問した平蔵に対して、「来るときはアポントをとれ」などと叱りつけるようにいう。最も重要な家臣の妻を月1で抱かせろ、などというところに、その傲慢さが最大限に発揮されているわけだが、御用人もそれを拒否できないという情けなさである。人間性を殺してしまうような身の処し方で生きようとするのである。
天野からの申し入れを、中野から聞かされたとき、「一緒に乞食をしてくれ、といわれたほうがどれほどうれしかったことか」と、お米は、平蔵に語ったという。
「春雪」
粂八と見回りをしているときに(ドラマでは木村忠吾)500石の旗本宮口伊織から、掏摸の宗八が、財布を掏摸とるのを見て、平蔵が追いかけ、農家に入るのを見届ける。宗八は、途中で財布からお金だけとり、あとは捨てていたので、拾った平蔵は、そこに家の図面があることに疑問をもつ。伊織の妻が大商人伊勢屋の娘であることを知っている平蔵は、この図面が伊勢屋のものであるかどうかの確認を、佐嶋与力に、伊織の周辺の探索を、酒井・沢田同心に命じる。(ドラマでは、平蔵は、何も知らないので、小林与力に、宮口宅にいかせて、図面をみせ、これが何か聞き出そうとするが、宮口はそんなものは知らぬと言い張る。原作では、平蔵自身が、宮口に道で図面をみせ、反応を探ることで、疑惑を確認する形になっている。)
平蔵は、宗八の家に出向き、「お前が掏った相手は、長谷川平蔵だ」と脅し、宗八が誰かの命令で掏ったかの確認をする。いずれ逮捕され死罪になると思い込んだ宗八は、もう一度あの女(おきね)を抱きたいと出かけていく。
宮口が、入って行った家をつきとめた密偵が平蔵に告げると、平蔵は直ちに出向く。その家には、宮口とおきねと盗賊大塚清兵衛の手下の浪人山田がいる。そこに宗八がやってくるのだが、山田は火盗改めの手入れと勘違いし、宗八、おきねを切り殺し、宮口に重症を負わせる。そこに、平蔵たちがやってきて、山田を切り、宮口を捕縛する。
ドラマでは、宮口の家庭が描かれ、妻も登場するが、原作では一切出てこない。宗八は、平蔵に問い詰められたあと、掏摸の元締めに相談にいくが、元締めは平蔵の名前を聞いて、関わりたくないと追い返され、その後、おきねの居所をあちこち聞き回るが、原作にはこうした場面はなく、宗八はおきねの家を知っている。また、おきねは、盗賊で歯医者の大塚清兵衛の囲い込み女だが、ドラマでは大塚が登場するが、原作では名前だけである。
小人閑居して不善をなす
さて、宮口が転落したのは何故か。
500石の旗本だから、大身というわけではないが、先代が財産を蓄えていたために、かなり裕福であった。しかし、女狂いで財産を傾け、多額の借金を作ってしまったために、大商人の娘を嫁にし、借金の肩代わりをしてもらう。その後も悪癖がやまないところ、伊勢屋を狙った大塚清兵衛が、おきねを宮口に近づけると、宮口は、おきねの虜になってしまい、おきねが巧みに、伊勢屋の図面を宮口にもってくるようにいい、それと引き換えに、おきねが宮口の妾になることを、大塚が承諾する約束になっていた。しかし、図面をおきねに渡すために、おきねの家にいく途中で宗八に掏られてしまうわけである。
実際に、宮口のような転落は、少なくなかったように思われる。旗本八万騎などと言われるが、旗本御家人、大名は、将軍の家臣であるが、戦国時代の闘争に勝利して幕府を開いた徳川家には、もちろん膨大な軍事力としての家臣が必要だった。戦時であれば、不可欠の人員であるが、平和になってしまえば、当然そんなに大勢の家臣はいらない。全国を支配しているから、当然、支配のための役人と治安維持のための警察は必要であるが、当然役職がまわらない旗本も多数いた。しかし、彼らに、領地や俸祿を保障しなければならない。忙しい役職につけば、大変だろうが、役職がなかったり、あるいは閑職であれば、暇をもてあますことになる。「小人閑居して不善をなす」の通り、悪い道に入り込む旗本御家人は相当いたのではないだろうか。
このふたつの物語では、いずれも、旗本が女をめぐる不祥事が描かれている。当時の身分の高い武士は、跡継ぎを確保するために、妾をもつことは当然のこととされていたが、この事例は、家臣の妻を、家臣と妻自身の了解をえてはいるが、相手にさせるという、旗本本人だけではなく、それに従わざるをえない家臣の悲哀(?)も描かれている。江戸時代の武士道徳の最も醜悪な側面かもしれない。
君不君則臣不臣
すぐに思い出す言葉は、「君、君たらずとも臣、臣たらざるべからず」という言葉だ。「古文孝経」序という文書に出ているそうだが、よくわからない。http://edosakio.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-7aea.html に藤田幽谷の孝経研究資料で、「序」が掲載されているが、そこに、この文章は存在しない。ただし、この文章の意味は明確で、君主が君主らしい姿勢や能力をもっていなくても、臣下は臣下としてふるまわねばならない、という完全に君主にとって都合のいいモラルである。少なくとも江戸時代より前の武士には、なかった武士道徳であることは間違いない。
「管子」に「君、君たらざれば、臣、臣たらず」ということばがある。(管子 形勢(山高)編)主君に徳なく主君らしく振舞わなければ、臣下は忠節を尽くす必要はない(べきでない)という解説があるが、正確ではない。
原文は、「君不君則臣不臣」(君、君たらざれば、すなわち臣、臣たらず)であり、「君主が君主としての責任を果たさなければ、臣下はその職分を忘れる」という意味とされる。(『管子』松本一男訳 徳間文庫)つまり、君主が君主としての責任を果たさないときに、臣下は従う必要がないという意味までは含んでおらず、あくまでも君主に対する心構えを述べている。
これを江戸時代の武士道をとく思想家たちが、臣下の道徳として、「それでも臣下たれ」と直したのではないだろうか。松本氏は、この訳文のあと「管仲の「富国強兵」策は、戦前、日本の軍部には大いに共鳴され、教材にも使われたが、この句だけは、削り取られていた」と指摘している。戦前の軍部のありようとして、興味深い。
武士における封建的関係は、「御恩と奉公」であるとされるが、これは、明確にgive and take の関係である。したがって、御恩に不満な武士は、別の主人に移ってしまう。特に、源平の合戦や、太平記に描かれた世界では、裏切りは普通のことである。戦国時代の下克上は、その究極の姿といえるだろう。
江戸時代になって、社会が安定したとき、支配層が都合のいい道徳を作り出したことは、ある意味自然なことだったろう。
しかし、この「密通」で描かれた主従関係は、いかにもグロテスクである。最後のところで、臣下の中野が、妻にきりつけるように命令されながら、主人に刀をむけたところは、さすがに、池波の武士道徳批判だったのかも知れない。
「春雪」で描かれただめ旗本も、救いようがないといえる。惚れた女郎と心中する話は、鬼平犯科帳にもいくつか登場するし、また実際にも起きたことだとされる。しかし、その場合には、「愛情」があるが、宮口伊織の場合には、徹底してそれが欠如している。自分の家の借金を解決するために、大商人の娘を嫁にする。封建的身分社会の原則からすれば、通常ありえない結婚だが、鬼平犯科帳には、実際に別の武士の養女の形にして、そこからの嫁入りという形式をとることによって、可能になるとされ、実際に、平蔵は、盗人の孤児をそうした形で、自分の娘にしている。
まったく打算的な結婚のあとでも、悪癖をやめず、今度は自分の妻の実家の図面を盗賊に売るという暴挙にでる。しかも、その盗賊は、家にいる者全員を殺害する。妻の実家の人たちである。目的は、もちろん謝礼もあるが、浮気相手を妾にするためである。しかも、その女が、盗賊の女であることを知ってのことなのだ。
宮口伊織は、御家断絶、切腹となるが、最後に平蔵は、「宮口は、自分で腹を切れたのだろうか」と、苦々しくつぶやいたという。