出生前診断と臓器移植 ドイツの法案の議論

Der Tagesspiegel 8 Apr 2019に、出生前診断と臓器移植に関する新しい法案についての記事が掲載された。
Eine sehr persönliche Entscheidung  Richard Friebe, Sascha Karberg und Florian Schumann
„Wir brauchen ein Recht auf Nichtwissen“  
CDU forciert Debatte über Bluttests vor der Geburt
 以下、これらの記事を参考にして、考えたことである。
 ドイツで、出生前診断と臓器移植に関する議論が高まっているようだ。妊娠の段階で、胎児の健康状態を、以前よりずっと詳細に診断できるようになっている。その検査費用を健康保険が負担するかどうかという議論が中心であるが、これは、派生する問題がたくさんある。
 おそらく出生前診断が最も盛んに行われているのは、イギリスだろう。イギリスでは検査費用には公費が支出され、しかも、中絶は、障害をもっていることがわかっている場合、出産直前でも法的には可能にしている。数年前、大きな議論になったが、変えられたというニュースはない。従って、障害があるかどうかを検査して、ある場合には中絶することが望ましい、という風潮を敢えてつくっているようなきがする。韓国もイギリスに近いとされる。
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学校教育から何を削るか3 5、6年の教科担任ではなく、担任教師の担当を主要教科に

 今日は別の話題について書くつもりだったが、毎日新聞に、「小学5,6年の『教科担任制』検討 文科省、授業の質向上」という記事が出ていたので、急遽これについて書くことにした。
 英語が正式教科となり、プログラミングが必修化されるなど、専門性の高い教員が必要となるなかで、教員の負担軽減も考慮して、5、6年に「学級担任」ではなく、「教科担任」を導入するための検討にはいるというのである。これは、今まで何度も議論されてきたことだと思うが、いままでは実施されてこなかった。一部には、小中一貫校で、学年の区切りを、5年から中学校として扱うようにして、実質的に教科担任制を導入している学校も、ごくわずかだがあるはずである。
 教師の負担を軽減することは、このブログの主要なテーマとなっているので、問題意識は共有するが、具体的なあり方は、私は原則反対である。
 質の高い授業を行うためには、小学校教師が、全科目を教える体制そのものをやめるべきなのである。そもそも、主要教科を教えて、体育や音楽、美術、家庭、道徳、そして英語まで教えるなどということは、誰が考えても、超人でなければできないことである。日本の小学校教師は、本当に信じられないような負担を強いられている。
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ポピュリズム考察 ゲッベルスと私2

 前回、ユダヤ人に偏見はなかったし、むしろ好感をもっていながら、ユダヤ人がおそろしい目にあっていることについては、漠然と知りながら、それ以上のことには無関心であったポムゼルのユダヤ人観を紹介した。
 今回は、より一般的なナチスのやり方に関する、「いいわけ」の感覚を考えてみる。
ナチス党員であること
 ポムゼルは、ナチスの党員であった。だから、国営放送局に就職できたし、また宣伝省という重要な官庁での秘書になることができた。しかし、だから直ちに筋金入りの党員であるという解釈は慎まなければならない。1936年のニュルンベルク法成立後、公務員になるためには、党員であることが必要になっていた。既に公務員であった人が、党員にならねば解雇されるということはなかったが、新しくポストをえるためには不可欠だったのである。よく音楽の世界で話題になる、カラヤンがナチスの党員であったことも、この関連で考える必要がある。フルトヴェングラーやベームなどは、生涯、党員になったわけではないが、既に36年時点で重要なオーケストラや歌劇場のポストに就いていた。カラヤンは、ウルムの指揮者だったが、トラブルがあって解雇され、しばらくの間失業状態だったのである。ドイツのオーケストラや歌劇場などでは、常任の指揮者も含めて、すべて公務員だったから、カラヤンがポストを得るためには党員になる必要があったのである。当時のカラヤンの夫人はユダヤ人だったので、彼がナチス的な反ユダヤ思想の持ち主でなかったことは間違いない。この点は、ユダヤ人の恋人がいて、その子どもを妊娠していたポムゼルと似た立場であったろう。

 そもそもナチ党員であるとは、何を意味したのだろうか。もちろん、政権をとる以前のナチ党員は、自覚的な活動家だったのだろう。おそらく下部組織に所属して、それぞれが任務をもっていたのだと想像される。しかし、1936年のニュルンベルク法以後、公務員になるために、それだけの目的で入党した人たちが、以前のように下部組織に所属して活動していたのだろうか。少なくとも、ポムゼルの回想録ではそうした姿は感じられない。インタビューといっても、質問者がいたのだから、その点の確認はしたはずであるが、まったく触れられていないのである。
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ポピュリズム考察 ゲッベルスと私1

 21世紀の政治は、ポピュリズムを抜きにして考えられないが、ポピュリズムに関する評価は、かなり分かれている。ポピュリズムは、危険な潮流で、克服すべき対象とみる者と、他方で、ポピュリズムは民主主義から生まれてくるもので、決して全面的に否定すべきものではないとする立場もある。いくつかの著作を読みながら、政治だけではなく、当然教育の分野でポピュリズムはどのような現れ方をしているのか、それをどう考えるのかを、少しずつ積み上げていこうと思っている。
 第一回として、ブルンヒルデ・ポムゼルが語った内容を編集し、トレー・ハンセンが解説を書いている『ゲッベルスと私』紀伊國屋書店1918.6を素材にしたい。

 この本は、ゲッベルスの秘書を、ドイツ敗北の日まで勤め、ソ連軍に捕まって、収容所に5年間交流されていた人物への長いインタビューを整理したものである。収録は2013年と2014年に行われ、ドキュメンタリー映画として公開され、DVDも発売されている。(まだ見ていない。)ドキュメンタリー映画のためのインタビューであるが、それは、明確に欧米におけるポピュリズムの興隆に対する危機感から制作されたようである。ハンセンの解説文は、ポピュリズムに対する批判で埋めつくされていることでわかる。したがって、第一回目の題材として選ぶにふさわしい書物だと思われる。
 歴史上最大のポピュリズム政治家は、ヒトラーである。現在、ポピュリズムに批判的な人たちが念頭においているポピュリズムの姿の原型が、ヒトラーの人とその政策、そして帰結によって形成されていることは疑いない。ポムゼルは、ヒトラーではなく、ゲッベルスの秘書であったので、ヒトラーその人はまったく登場しない。更にゲッベルスもごくわずかしか登場せず、しかも、ポムゼル自身は、ゲッベルス自身をかなり否定的に表現しており、少なくとも共感を示していない。にもかかわらず、この彼女の告白が、当時のナチスの中枢的指導者の間近にいた人物の、「問題意識の意図的欠落」とでもいうべき特質を、明瞭に示している。ナチスの活動が可能になった状況を作り出した、最大多数の人々の意識や行動は、このようなものだったのだ、ということが、実感としてわかるのである。

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ピエール瀧出演の作品放映問題


 臨時の投稿になるが、ピエール瀧の出演の映画が、東映によって上映が決まったということで、話題になっているようだ。私自身は、ピエール瀧という人にあまり関心がないので、そのこと自体はどうでもいいのだか、これまでは、たいてい犯罪容疑者となる人がでると、その出演作品は、没になることが多かった。
 今回でも、中止になる放送中の番組が8あり、過去に出演したのが、51あるそうだ。https://ccccclub.net/c/pierretaki/
 再放送がされなくなる等のことはあるだろうし、DVDなどの販売が中止になることもあるだろう。
 ウェブ情報は以下のように伝えている。

 東映は20日、麻薬取締法違反(使用)容疑で逮捕されたミュージシャンで俳優のピエール瀧(本名・瀧正則)容疑者(51)が出演している映画「麻雀放浪記2020」について、当初の予定通り4月5日から劇場公開すると発表した。場面のカット、再編集はせず、本編開始前にテロップ(字幕)で瀧容疑者が出演していることを明示し、劇場に掲出するポスターに同様の文言を掲載するという。
http://penguinsokuhou9.blog.jp/archives/17060637.html

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女性宮家だけではなく、女性天皇の容認が憲法上正しい

 メディアで、女性宮家問題について扱われている。国会での議論を踏まえているが、しかし、議論の仕方そのものが疑問である。
 昨日テレビで、ある皇室ジャーナリストと称する高齢の人がコメンテーターとして出演して、解説していたが、そのなかに、憲法は男系の天皇を規定しているので、女性宮家を創設するにも憲法改正が必要だ、と受け取れるような発言をしていたと思う。テレビでの発言なので、絶対にそのように言ったかは自信がないが、憲法問題だとはいっていたので、とりあえず、そういう議論があるという受け取りで、以下考えるところを述べたい。

 女性宮家を創設するためには、憲法改正する必要があるという憲法条文は第二条だと説明されていた。
 第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
 ここでいう「世襲」とは、男系の世襲を意味するということだろうが、「世襲」ということの常識的意味として、男系と限定されることはないはずである。
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人工透析問題3

 福生病院の透析中止問題は、報道から個人的情報発信へと展開している。私もこのブログで2度書いたが、その後印象的なブログ記事が現れたので、改めて、これまで触れられなかった点も含めて考えてみたい。
 医療関係者からのブログは、福生病院支持もけっこうある。また、透析を実施している当人からの投稿もある。「透析患者の僕だから言える「透析中止事件」の罪」https://diamond.jp/articles/-/196794?page=3 実際に患者や医療関係者でないとわからない具体的な治療を受けながらの生活について理解できる。ここで、3つの病院擁護論のブログが紹介されているが、残念ながら、ふたつは有料で、会員でないと読めないので、残りのひとつである長尾和宏医師の「和の町医者日記」に掲載された「透析中止報道 福生病院は悪くない」http://blog.drnagao.com/2019/03/post-6688.htmlの主張を検討したい。ただし、そこに書かれていることは、完全な福生病院擁護論ではないが、私としては賛成できない部分が少なくない。
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