少し視点を変えてみよう。『絶歌』は、犯罪加害者本人であり、『少年A この子を生んで』は、未成年であったAの保護責任者である親が執筆したものであり、謝罪のための本である。では、直接本人に責任のない加害者の家族の著作はどうなのだろう。
『止まった時計』はオウム真理教の麻原彰晃の三女が書いた自伝である。
この本が出たとき、私はブログに、「津下四郎左衛門」を読むべきだと書いた。当人がそのブログを読んだことは、あとで確認した。しかし、残念ながら、その趣旨は伝わっていないし、活かされているとはいえない。長いが、当時かなり力をいれた書いたものなので、再度ここに掲載することにする。(biglobe のウェブリログからの転載) “犯罪加害者の表現の自由3 『止まった時計』” の続きを読む
カテゴリー: 時事問題
皇室問題を考える3 小室氏から考えてみると
小室問題は、ほとんど皇室の側にたった発想で論じられているものがほとんどであるように思われる。しかし、相手がいる以上、相手の立場はどうなのか、という視点も必要だろう。もちろん、個人的に知っているわけではないので、あくまで仮定による議論である。
小室圭氏は、散々な言われ方をしているが、別に悪事を働いたわけではない。女性が白馬の騎士の出現や、玉の輿結婚を望む人がいるように、男性が逆玉結婚を望んでも、別に非難されることではないだろう。むしろ、同一大学に内親王がいることを知って、巧みに近づき、プロポーズして承諾を受けるというのは、並大抵の手腕ではない。平凡な男性には思いもつかないだろうし、思っても行動をとれないのではないか。そういう意味では、小さいころから、他人の援助を利用して、様々なスキルを身につけ、社会的に上昇しようとしてきた生い立ちを見ると、この行動は、その延長上にあるといえる。 “皇室問題を考える3 小室氏から考えてみると” の続きを読む
皇室問題を考える2 国民の総意への疑問が起きたら?
男系男子論への疑問
現在の皇室典範は、男系男子で皇統が継承されることが規定されている。そして、これを絶対視する人たちは、日本の皇室は万世一系男系で継承されてきたからこそ、今日まで続いてきたのであり、それを壊すと、皇室制度そのものが破壊されてしまう。だから絶対にやってらならないことだと主張する。
しかし、男系で続いてきたことは、系図等で見る限り事実だと思われるが、万世一系はかなり大きな疑問符がつく。万世一系は広辞苑で「永遠に同一の系統がつづくこと。多く皇統についていわれた」と書かれている。「同一の系統」とは、どこまでを同一と認めるのか。皇位は、政治的争い、武力衝突などによって争われたことは何度もある。壬申の乱はその代表だろう。これで天智系から天武系が移ったわけであるが、これも万世一系、同一の系統といえるか。称徳天皇で天武系の後継者がいなくなり、天智系の光仁天皇に移るが、系図的にみると、これでも同一の系統というのは、無理があるように思われる。鎌倉時代末期の大覚寺統系と持明院統系の両統迭立は、どうだろう。 “皇室問題を考える2 国民の総意への疑問が起きたら?” の続きを読む
ダイヤモンド・オンライン(草薙厚子氏)の安楽死記事の批判
ダイヤモンド・オンラインに「日本人への安楽死適用が難しい理由、Nスペ安楽死のジャーナリストが語る」と題する草薙厚子氏の文章が掲載されている。https://diamond.jp/articles/-/207969?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor&utm_content=free
NHKスペシャルで放映された「彼女は安楽死を選んだ」という番組制作に取材した宮下洋一氏にインタビューをしての記事である。私は、最近ほとんどテレビをみなくなってしまったので、残念ながらこの番組を見ていないが、記事の紹介でだいたいはわかった。治療方法のない、確実に死亡する難病にかかった日本人の女性が、唯一外国人に安楽死の措置をすることが認められているスイスで、安楽死を実行した、そのドキュメンタリー番組である。
しかし、この記事には、いくつかの勘違いと思われる部分があるので、それを指摘しておきたい。今週、私の授業で、安楽死を扱うことになっているという事情もあるのだが。 “ダイヤモンド・オンライン(草薙厚子氏)の安楽死記事の批判” の続きを読む
大坂なおみの不調 「迷ったら苦しい方を選べ」
大坂なおみが、また破れた。ウィンブルドンは最初の試合での敗退だ。全豪オープンでの優勝後、ほとんど活躍できていない。しかし、こうなるのではないかと、大坂が全豪オープンのあと、コーチを突然変えたときに予想した。もちろん、今後どうなるかはわからないが、また、コーチを変えた真相は知るよしもないが、とりあえず、想像した仮定での考察をしてみたい。それが事実とは違っていたとしても、考察の筋道そのものは意味があると思う。
大坂がコーチを変えたときに、まず思い出したのは、天才ボクサーのマーク・タイソンのことだ。 “大坂なおみの不調 「迷ったら苦しい方を選べ」” の続きを読む
名古屋城の木造復元問題 復元でも新築は現代の基準で
世界中から注目されているG20挨拶で、安部首相が、大坂城はすばらしい復元だったが、唯一エレベーターの設置はミスだったと述べて、顰蹙をかっている。社会的弱者のことなど、つゆほども考えていない首相らしい発言だと思ったが、もしかしたら、名古屋城で散々揉めていることを意識し、エレベーターなど作るなと、作らない派にエールを送っているのかも知れない。
名古屋城問題は、あまり関心がなく、詳しいことは全く知らなかったのだが、調べてみた。2009年からの毎日新聞の記事を検索にかけて、目を通した。これほど膠着していたのかと驚いたが、安部首相の応援は、かえって河村市長にとってプラスにはならないに違いない。
一応、経緯と論点を整理しておこう。
名古屋城は、明治初期の城の破壊を免れたが、第二次大戦の爆撃で消失してしまったので、コンクリート建築で再現されたのが、今の名古屋城である。もちろん愛知県の観光の重要な名所のひとつだが、耐震の問題があるので、補強工事を計画していた。しかし、2009年の市長選で河村氏が当選し、彼の強い意欲で、木造の復元にする方向に舵をきった。名古屋城の図面など、江戸時代の復元に可能な資料がかなり揃っているのだそうで、コンクリート建築であれば、耐震補強したとしても、建物自体の寿命があるので、木造として復元したほうが、長持ちするし、また、観光的な意味でも歓迎されるという判断のようだ。そして、2020年のオリンピックにあわせて、完成するという構想だった。 “名古屋城の木造復元問題 復元でも新築は現代の基準で” の続きを読む
犯罪加害者の表現の自由2
では、犯罪者自身が、表現活動を行うことをどう考えるのか。
まず、事実として、インターネットが普及している現在では、それを完全に禁止することはできない。できないことをやろうとすることは無意味である。また、話題性をもつものであれば、営利的な公表手段を提供する企業が出てくることも避けられない。もちろん、それを野放しにしていいかは、別問題としてあるだろう。今でも話題になる女子高校生を40日間監禁して死に至らしめた事件は、単にニュース、ワイドショー、週刊誌で大々的に取り上げられただけではなく、映画にもなり、私は見ていないかが、報道によれば、興味本位的、醜悪な内容で、被害者の関係者を酷く不快にするものだったという。被害者側に精神的打撃をあたえるような内容の公表に対しては、不法行為を積極的に認定するという抑制手段もある。
犯罪加害者側が表現活動を行うとすると、それはどういう目的があるのだろうか。 “犯罪加害者の表現の自由2” の続きを読む
京都工芸繊維大学教授諭旨懲戒解雇 多少疑問だが
毎日新聞2019.6.27によると、京都工芸繊維大学の教授が、学内で無断の営利行為をしたということで、解雇されたという。
自分の専門にかかわる企業3社に学内の機器を使わせるなどして、設備使用料や技術指導料など、合計170万を受け取り、更に09-16年に学長の許可なく5社で兼業したという。ただし、受け取った金は研究費などにあて、私的流用はなかった。教授は事実を認め、「手続きや規則を認識していなかった」などと弁明したが、学長は「極めて遺憾。学生や社会に深くおわびします」とのコメントをだしたとされる。同趣旨の記事は多数あったが、どれもほぼ同じである。
あまりに簡単な記事なので詳細がわからず、材料不足でもあるが、可能性をいくつかあげつつ考えてみたい。 “京都工芸繊維大学教授諭旨懲戒解雇 多少疑問だが” の続きを読む
皇室問題を考える
昨今の皇室をめぐるメディア上での議論をみていると、時代の変遷を感じざるをえない。戦前は当然のこととして、戦後もずっと、「菊タブー」といわれ、皇室を批判的に議論することは、最大の言論のタブーであった。皇室批判を表面だって行えば、右翼の暴力的介入を覚悟する必要があったほどである。
ウィキペディアによれば、2005年くらいまでは、菊タブー的現象があったようだが、2010年以降には、あまり起こっていない。最初のきっかけは、雅子皇太子妃へのメディア上での批判を宮内庁が放置したことだったようだ。当時の皇太子による「人格否定発言」があり、かなり激しい皇太子一家へのバッシングがあった。当時の皇太子の海外訪問などに関しても、酷い評価がインターネット上に今でも残っていて、海外王室からはあきれられているというような文があふれているのだ。 “皇室問題を考える” の続きを読む
保釈の拡大は間違いではない
実刑が確定したために、保釈中だった容疑者を収監のために赴いた検察官と警官を振り切って逃げたという事件で、保釈問題が議論されている。収容のために、横浜地検担当者5名と、神奈川県警厚木署員2名を一人の男が刃物を振りかざしたとはいえ、逃げてしまい、その後緊急配備までに4時間もかかり、2日たった現在(22日14時半)捕まっていないという失態である。最近は、ニュースにあまり驚かなくなってしまったが、これには驚いた。
そして、こういう容疑者を保釈したのは、適切なのかという疑問が出されているわけである。この背景には、近年裁判所が保釈を認める事例が多くなっていることもあるとされる。
逆にカルロス・ゴーン氏の事例では、なかなか保釈を認めないことが、国際的に批判されていた。まだ容疑者が捕まっていない段階であるが、小林容疑者を保釈したことについては、私は間違っているとは思えない。むしろ、これまであまりに厳格に拘置していたことのほうが問題だったと思うので、保釈拡大は適切な方向ではないだろうか。アメリカのように、殺人容疑でも保釈されるというのは、さすがに疑問だが。
ただし、アメリカと日本で異なるのは、日本の刑事犯は、起訴された事件では、圧倒的に有罪となっている、確実に有罪にできる事件だけ起訴しているという背景を考えなければならない。つまり、起訴された容疑者は、犯人なのだという感覚がある。近代刑事政策における「推定無罪」という感覚は、日本人にはかなり弱いのである。もちろん、アメリカのように、有罪ではないかも知れない、あるいは有罪にできないかも知れない段階で、容疑者を起訴するのがいいとは思わない。「推定無罪」というのは、そうした疑わしい者は起訴するという訴訟文化と結びついているような気もする。
しかし、だからといって、日本では起訴=有罪としても、有罪が確定するまでは、推定無罪の原則を適用すべきである。そして、証拠隠滅や逃亡の恐れがない場合には、保釈すべきである。拘置していれば、その間の生活も保障するわけだし、それはそれとして不合理である。
ただし、やはり、保釈金などは、逃亡する気持ちを起こさせない額に設定すべきであるし、また、逃亡した場合には、かならず刑をかなりの程度引き上げるようにする必要がある。
では、今回の事件についてどう思うか。
もちろん、保釈していなければ起きなかった事件であるが、しかし、実刑が確定して、4カ月も放置していたことが最も大きな問題であって、報道によれば、実刑確定後、友人たちが送別会などをしてくれたというが、そういうなかで、逃亡を考えだした可能性が高いのではないだろうか。仮定の話は意味がないにしても、実刑確定後、最初の呼び出しに応じなかった時点で直ぐに収容にいけば、逃亡意思が固まっていなかった可能性は強いと想像できる。逃亡には友人の援助があるようなので、4カ月の間にそうした雰囲気が形成されていたと考えるのは自然だろう。
もうひとつ不可解なのは、男が7人、しかもそのうちの2人は警察官であるのに、一人の男に逃げられたということだ。しかも、逃げられたあと、緊急配備までに4時間もかかるというのは、警察の完全な失態だろう。なぜ、神奈川県刑は、これほどまでに大きな失策をするのだろうか。保釈論議も大事だが、こちらのほうが重大だ。