保釈の拡大は間違いではない

 実刑が確定したために、保釈中だった容疑者を収監のために赴いた検察官と警官を振り切って逃げたという事件で、保釈問題が議論されている。収容のために、横浜地検担当者5名と、神奈川県警厚木署員2名を一人の男が刃物を振りかざしたとはいえ、逃げてしまい、その後緊急配備までに4時間もかかり、2日たった現在(22日14時半)捕まっていないという失態である。最近は、ニュースにあまり驚かなくなってしまったが、これには驚いた。
 そして、こういう容疑者を保釈したのは、適切なのかという疑問が出されているわけである。この背景には、近年裁判所が保釈を認める事例が多くなっていることもあるとされる。
 逆にカルロス・ゴーン氏の事例では、なかなか保釈を認めないことが、国際的に批判されていた。まだ容疑者が捕まっていない段階であるが、小林容疑者を保釈したことについては、私は間違っているとは思えない。むしろ、これまであまりに厳格に拘置していたことのほうが問題だったと思うので、保釈拡大は適切な方向ではないだろうか。アメリカのように、殺人容疑でも保釈されるというのは、さすがに疑問だが。
 ただし、アメリカと日本で異なるのは、日本の刑事犯は、起訴された事件では、圧倒的に有罪となっている、確実に有罪にできる事件だけ起訴しているという背景を考えなければならない。つまり、起訴された容疑者は、犯人なのだという感覚がある。近代刑事政策における「推定無罪」という感覚は、日本人にはかなり弱いのである。もちろん、アメリカのように、有罪ではないかも知れない、あるいは有罪にできないかも知れない段階で、容疑者を起訴するのがいいとは思わない。「推定無罪」というのは、そうした疑わしい者は起訴するという訴訟文化と結びついているような気もする。
 しかし、だからといって、日本では起訴=有罪としても、有罪が確定するまでは、推定無罪の原則を適用すべきである。そして、証拠隠滅や逃亡の恐れがない場合には、保釈すべきである。拘置していれば、その間の生活も保障するわけだし、それはそれとして不合理である。
 ただし、やはり、保釈金などは、逃亡する気持ちを起こさせない額に設定すべきであるし、また、逃亡した場合には、かならず刑をかなりの程度引き上げるようにする必要がある。
 では、今回の事件についてどう思うか。
 もちろん、保釈していなければ起きなかった事件であるが、しかし、実刑が確定して、4カ月も放置していたことが最も大きな問題であって、報道によれば、実刑確定後、友人たちが送別会などをしてくれたというが、そういうなかで、逃亡を考えだした可能性が高いのではないだろうか。仮定の話は意味がないにしても、実刑確定後、最初の呼び出しに応じなかった時点で直ぐに収容にいけば、逃亡意思が固まっていなかった可能性は強いと想像できる。逃亡には友人の援助があるようなので、4カ月の間にそうした雰囲気が形成されていたと考えるのは自然だろう。
 もうひとつ不可解なのは、男が7人、しかもそのうちの2人は警察官であるのに、一人の男に逃げられたということだ。しかも、逃げられたあと、緊急配備までに4時間もかかるというのは、警察の完全な失態だろう。なぜ、神奈川県刑は、これほどまでに大きな失策をするのだろうか。保釈論議も大事だが、こちらのほうが重大だ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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