近年の働き方改革の「教育版」として、中教審が今年1月に「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)」という提言を公表した。2019.1.25
多方面に関する検討をしたことがわかるが、しかし、私が見るかぎり、これで教師の過酷な労働、中教審も使っている「ブラック学校」が改善するとは到底思えなかった。尤も、問題に対する認識は示しているのであるが、結局、文科省の審議会であるという点での限界、明確に提言できない領域があるという感じがするというべきなのかも知れない。
まず答申は、日本の教師は情熱と知識等の教育水準において、世界に抜き出たものがあると理解を示す一方で、現在の教師の労働の状況は「差し迫った状況にある」と改善の必要性を訴えている。特に、文科省と教育委員会は本気で取り組む必要があると主張する。これまで本気で取り組んでいなかったということなのだろうか。私はむしろ、教職の魅力を無くすように、文科省は執拗に追求してきたように思えてならない。
2018年9月に公表された教員勤務実態調査は、現在の状況は「持続可能」ではない、つまり、どこかで破綻せざるをえない状況であると認定し、審議会は「ブラック学校」という言葉をあえて使っている。
では何が必要なのか。柱として3点あげる。
・チームとしての学校の機能強化
・長時間労働の改善
・地域全体で子どもたちの成長を支える体制
なかでも緊急の課題である長時間労働の解消に、多くのページをさいているが、では長時間労働になる要因は何か。
・小学校では、学級担任が原則で、更に給食、休み時間の指導、安全配慮などの業務がある。
・中学校では、生徒指導や進路指導、補習、部活指導などの負担がある。
・双方に事務業務があり、更に保護者などとの連携、通学路安全、夜間見回りなどが要求される。
・若手教師が増加し、未熟なレベルにあるために、多くの作業のために時間がかかってしまう。
・新しい内容が学習指導要領に追加された、総授業数が増加している。
・書類作成などの事務が増加している。
・給特法の存在がある故に、時間管理の意識が薄くなっている。
そこで出される改善策はどうか。
検討の原則
1勤務時間管理の徹底と勤務時間・健康管理を意識した働き方の促進 上限のガイドライン・部活動ガイドライン
2学校及び教師が担う業務の明確化
3学校の組織運営体制のあり方
4教師の勤務あり方を踏まえた勤務時間制度の改革 短い在校時間で成果をあげた教師を高く評価する
5学校における働き方改革の実現に向けた環境整備
ここで注意したいのは、教師が担うべき業務の明確化である。教師の業務は、学習指導・生徒指導進路指導・学級経営が運営業務であるとして、以下のような表が示される。
以上が答申の簡単な紹介である。
検討していこう
表における「基本的には学校以外が担うべき業務」として、・登下校対応・放課後や夜間の見回り、補導対応・学校徴収金の管理・地域ボランティアとの連絡調整をあげているが、全面的に賛成である。「徴収金の管理」は行政が対応すれば、直ぐにでも対応可能だろうし、既に多くの自治体では実行されていることである。そして、登下校や放課後対応については、変化は感じている。しかし、何かあったときの保護者の要請など、結局対応せざるをえなかったり、非難されたりする精神的負担の問題が残る。それに対して、答申は、親の過剰要求に対する明確なメッセージを発していくことが必要であり、そうしたクレームに対応するスクールロイヤーの配置を提案している。もちろん、スクールロイヤーなどは、学校ごとに配置する必要はなく、自治体として配置すれば済むだろうが、その前に、登下校は学校の責任ではないことを、法的、あるいはそれに近いレベルでの周知徹底が必要だろう。
私がオランダに留学し、娘をオランダの現地校に入れていたときに、娘が休み時間に校庭で怪我をしたことがある。そのとき、ランチの世話のためにボランティアで学校にいた保護者が、娘を車で病院に送ってくれて、治療をしてもらった。夜になって担任が見舞いにきたが、あくまで「見舞い」であって、「謝罪」のような言葉は一切口にしなかった。今では多少変わっているが、当時は、昼休みは、学校の管理から外れる時間帯で、原則的に帰宅して昼食をとる、お弁当をもってきた人は教室で食べてもよいが、学校職員は世話をしない。牛乳などの世話はボランティアの保護者が行う。従って、その間に何が起きても、学校は責任を追わないという合意があるわけだ。日本だったら、当然学校の教師が病院に連れて行き、保護者に対して謝罪をするだろう。日本では、休み時間も管理時間帯であるし、学校には安全配慮義務があるからである。
オランダのような学校の管理時間に関するコンセンサスがないと、登下校対応は学校の業務ではないといっても、クレームをつける保護者は出てくるだろう。その場合、やはり、何らかの対応が必要になってしまう。スクールロイヤーはとてもいいと思うが、システムの社会的合意形成が必要であり、そのための努力も不可欠だろう。
「学校の業務だが、必ずしも教師が担う必要がないという業務」という項目は興味深い。しかし、断固としてそれを実行しようという「熱意」はあまり感じない。
「調査統計等への回答等」は、事務職員がやればいいとなっている。しかし、例えば「いじめアンケート」処理などもそこに入るのだろうか。現在の事務職員で充分なら、何故いままでそれをしていないのか。また、増員する必要があるとすれば、認められるまで時間がかかりそうだ。ただし、「いじめアンケート」の集計などを事務職員が行ったら、プライバシー問題が起きる可能性がある。
「児童生徒の休み時間」「清掃」などを輪番、ボランティアとなっている。輪番は教師が交代でということだろうが、クラスの清掃範囲は、今でもクラスの教室だけではなく、いろいろな場所が付加されている。そのために、教師が見ていないところで、子どものトラブルが発生し、事故が起きたりしている。ボランティアは、充足されない可能性もあるだろう。
「部活動は、学校単位から地域単位の取り組みにし、学校以外が担うことも積極的に進めるべきである」としていることは、かなり思いきった踏み込みともいえるが、しかし、部活という「制度」として扱うならば、学校の活動であるのか、移行するのかは、明確にする必要があるが、曖昧である。部活に関しては、社会体育に移行すべきであると、私は考えている。
最も議論となるところは、最後の「教師の業務だが、負担軽減が可能な業務」という部分である。
授業準備や学習評価・成績処理に関して、サポートスタッフによって軽減するという発想であるが、授業準備をもっと質の高いものにする必要はあるが、「軽減」を目的とする必要はないのである。むしろ、もっと授業準備に時間をさけるようにすることが、改善の目的である。サポートという意味では、むしろ、同僚の協力を可能にするような学校運営が必要となる。同じことは、学習評価にもいえることで、学習評価そのものは教師の本質的な仕事であって、小学校や中学校で、宿題をチェックするスタッフを置くことが、積極的な意味をもつとは、私には思えない。成績処理については、通知表のような処理はそもそも回数を減らすことで軽減すべきものであろう。
給食対応をしなくてもよいとするには、食堂方式以外にはないように思われる。あるいは、給食指導はボランティアにする。栄養教諭との協力で各担任の業務軽減が実現することは考えられない。
支援が必要な児童生徒への支援スタッフについては、速やかに実行してほしいことがらである。
答申の何が問題か
基本的立場の問題がある。私が「学校教育から何を削るか」という設定で議論をしているときに、単に教師の労働時間を減らすことを意図しているのではない。本当に教育そのものに関わることであれば、極端にいえばいくら忙しくてもいいのだ。もちろん、家族を犠牲にするとか、健康に悪影響があるなどは絶対に避けなければならないが、自分の自由になる時間であれば、すべてを仕事に打ち込むようであってほしいと思うくらいだ。家庭に持ち込む仕事があっても、子どもたちのためだと本当に思えば、教師はそれを喜んでやるはずである。だから、問題なのは、本来の教育にそぐわない内容を削っていくことが絶対に必要なのである。そのことを中教審答申は、大きな課題としていない。業務として、教師がやることかどうか、他のひとにサポートしてもらうことかというような観点で分けている。だから、学校行事や、学習内容の検討は入ってこないのである。
義務教育は、国民全体が共通に修得しておくべき内容を学ぶ教育である。しかし、日本の義務教育は、特に興味ない人は学ぶ必要がないと思われることまで、実にたくさんの学習内容が入っている。芸術教科や体育、そして、学校行事で期待されていることなどの少なくない部分は、すべての国民が学ぶ必要があるとは思えない。そのような部分は、学校で学ぶ領域から外して、学校外の教育で学ぶ機会を作り、そこで選択的に学べば、ずっと効果的なはずである。日本の学校は、学ぶ必要もない上に興味もないことを強制的にたくさん学ばせられている。従って、それを担当している教師が、過重労働になるわけであり、しかも、意味を感じないことになっている。
一度、国民が絶対に学んでおかねばならないことは何か、しっかりと考える必要がある。