この間「教育的価値論」について、少々拘っているが、『教育』2月号に佐貫浩・佐藤広美新旧委員長の論争が出ていたので、興味深く読んだ。佐貫氏が、小玉重夫氏の論を「暴論」と決めつている文章があったので、そこから入りたい。それは
「『教育的価値』概念が、『日教組系の教師たちの教育実践を支えていた民間教育運動とそれを支えていた革新系教育学も脱政治化し、教育的価値の中立性を担保する「子どもの発達」という概念が脱政治化のシンボルとなり、政治教育を促進しようという旧教基法8条2項の中立性を、教育を脱政治かするための中立性への転化させ、学校での政治教育を行うことをそれ事態を抑制させる効果を果たすことになった』という批判」を論理的に理解しがたい暴論というべきであろう。」(『教育』2022年2月号p64)
という文章に現れている。
小玉氏の文章は、『岩波講座教育変革への展望1 教育の再定義』に収録されている「公共性の危機と教育の課題 教育の再政治化とどう向き合うか」という文章である。(以下の紹介はこの論文)佐貫氏の論文全体の趣旨に賛成するものではないのだが、確かに、この児玉氏の論は、理解しがたい文章である。そこで、児玉氏の検討から入りたい。