入試問題ミス 全員加点は正しいのか? 名古屋大学でも

 名古屋大学の入学試験で、世界史の問題にミスがでたという。いろいろと疑問に思うところがある。
 毎日新聞(2020.2.27)によると、「名古屋大によると、ミスがあったのは中国史に関する文章に(3)~(15)の番号が付けられた空欄があり、該当する語句を埋めたり、関連の歴史事実を解答したりする問題。空欄に割り振った番号を誤り、結果として、四つの問題で解答が導き出せなくなった。」ということのようだが、二次試験なのに、穴埋め問題なのかとまず驚いた。149人の受験生なのだから、全問記述式でだすべきなのではないかと、まず私は思った。共通試験の記述問題導入が大きな騒ぎになったが、共通試験のような50万人も受ける試験では、当然コンピューター採点以外ありえないので、選択式だが、その代わり、二次試験で記述試験にするべきなのである。

“入試問題ミス 全員加点は正しいのか? 名古屋大学でも” の続きを読む

金沢大学医学部のトラブルとその報道への疑問

 読売新聞2022年2月23日に「准教授、連絡メールを「迷惑」扱い・緊急性ないのに警察通報…出勤停止3か月」と題する記事が出た。参考までに短いので全文を引用しておく。https://www.yomiuri.co.jp/national/20220223-OYT1T50079/
---
 金沢大学は22日、同大の医薬保健研究域医学系の50歳代の男性准教授を出勤停止3か月の懲戒処分にしたと発表した。処分は14日付。
 発表によると、准教授は山崎光悦学長からの出頭命令を拒否し、連絡のメールを迷惑メール扱いとして開封しないなど業務放棄を行った。また、数年間にわたって同大職員に強圧的な言動を取り、緊急性がないのに警察に通報して職場秩序を乱した。

“金沢大学医学部のトラブルとその報道への疑問” の続きを読む

大学での単位認定2 研究とオンライン

 オンラインが大学の単位認定に与える影響を前回考察したが、研究と教育についてを宿題にしていた。前回の続きの前に、昨日の毎日新聞に「博士課程院生への支援 学術への尊敬あるか=長谷川眞理子・総合研究大学院大学長」という記事があった。
 趣旨は単純で、日本政府が、大学院の博士後期課程に在学する院生に、経済的援助をする取り組みを導入し始めたが、これは欧米では以前から当たり前のことになっている。しかし、日本では授業料を払わねばならないから、勝負にならない。しかも、就職が困難だ。そのために、博士課程の院生が急激に減っている。それを打開するために、導入されるのだが、既存の分野をまたいだ研究に挑戦していることが条件だ。それはよいが、根本的に、日本は学術を尊敬する文化的土壌があるのか。
 こういう内容だ。
 この文章にはいろいろと批判したいところがあるが、ただ二点のみ指摘しておきたい。

“大学での単位認定2 研究とオンライン” の続きを読む

悠仁親王作文とワリエワドーピング問題の共通性

 筑附受験騒動が、とりあえず合格発表で、一区切りついたと思ったら、今度は作文問題だ。本当に忙しいひとたちで、メディアのネタを提供してくれているという意味で、メディアからは大いに感謝されているに違いない。ということはさておき、この問題をどのように考えるか。
 とりあえず、事実経過を整理しておくと、
 お茶の水女子大附属中学のときに書いた作文「小笠原諸島を訪ねて」が、優れていると学校が評価したということで、北九州市主催の「子どもノンフィクション文学賞」に応募し、佳作となっていた。それが、中に含まれる文章のなかに、参考文献を明示しない引用があったということで、週刊誌が暴露した。そして、異例なことに、宮内庁を通して、不十分な点があったことを認め、指摘に感謝するという回答があったというのだ。そして、コンクールの条件として、参考文献の明示等、著作権法に規定されている内容が、注意事項として明記されていたとされる。しかし、作文コンクールの主催者からは、無効にはしないという決定があったと報道されている。

“悠仁親王作文とワリエワドーピング問題の共通性” の続きを読む

大学での単位認定 早稲田でのトラブルを考える

 早稲田大学のある授業で、オンライン講義での単位認定において、オンデマンドビデオを一度に複数ビデオを視聴していることが判明したので、単位を落したという報道がある。
 ビデオをきちんとみることが条件で、マシンを操作して、同時に複数のビデオを流すことができるようにしていることは、きちんと見ていないことが明らかだ、だから、授業を聴講したとはいえないという理屈である。それはそれなりに筋が通っているが、例によってコメントがたくさんついていて、賛否両論だ。
 事実だとしたら確かに問題だと思われるのは、その学部の学生で、春学期にも同様なことがあったが、そのときには、注意だけで単位は認定されたのに、秋学期に急に不合格にしたのは、継続性という点で問題があるという指摘があった。もし、なんの事前の説明もなく、対応を変えたのならば、確かに是認できないというのも理解できる。

“大学での単位認定 早稲田でのトラブルを考える” の続きを読む

「吃音は誰が直す?」を読んで

 毎日新聞に『「きつ音」は誰が直す?女の子が帰宅を拒んだ理由」という青山さくら氏(児童相談支援専門職員)の文章が掲載されている。興味深い内容だ。
 小学校5年生で、吃音の女の子が、担任に「家に帰りたくない」と言ったので、学校が児童相談所に連絡、筆者が呼ばれた。一時保護を考えたが、そのうち「帰りたい」といったので、一緒に家までいき、事情を聞いた。
 大きな家だったそうだが、英語力をいかしてCAをやっていた母親が、週3回英会話教室に通わせ、言語聴覚士に頼んで、吃音を直そうとしていたことがわかる。母親は、無理をさせていることはわかっているが、将来のために、親としてトレーニングさせることは当たり前のことだ、と筆者に語った。実は筆者も、吃音の傾向があって、教室に通った経験があったそうだが、そういう治療はほとんど効果がなかったようだ。

“「吃音は誰が直す?」を読んで” の続きを読む

5年前の雪崩事故で、引率教師が起訴 対象に疑問

 2017年におきた栃木県の高校登山部の、雪崩による死亡事故に関連して、当時引率していた教師が起訴されたというニュースが、各新聞に出ている。https://mainichi.jp/articles/20220211/ddm/012/040/096000c
 今年の2月に民事訴訟も起こされているが、5年も経過してからの起訴だから、かなり、起訴するかどうか揉めたと想像できる。当時の記事も読めるし、また、県が設置した第三者の雪崩事故検証委員会の報告書も、ウェブで読めるので、ざっと読んでみた。生徒7名と教師1名が亡くなった、痛ましい事故だったが、被害者の家族は、起訴でほっとしたと、新聞に語っているそうだが、起訴については、多少の疑問も感じざるをえない。
 事故は、以下のようなものだった。

“5年前の雪崩事故で、引率教師が起訴 対象に疑問” の続きを読む

「仕事のできない東大生」という記事

 『週刊現代」の記事「東大を卒業しても『仕事がまったくできない人」の意外すぎる共通点」という記事がある。かなりピントが外れているという意味でも、興味深い文章だ。
 記事の要点を整理しておく。
1 東大に合格すれば明るい未来が待っていると、受験生たちは信じているが、そんな時代は終わり、社会環境は激変している。
2 優秀な東大生の能力は青天井だが、それは1割だ。
3 企業就職した東大生は、MARCHに負けることも珍しくない。大学まで勉学一筋だった東大生に対して、イベント系サークルで楽しんでいたひとたちの口と体力に負けてしまう。
4 顧客に上から目線しかできず、失敗する。
5 昔は官僚や弁護士など、そういう東大生も活躍できたが、弁護士は供給過剰、官僚は激務の上権限はない。キャリア採用の東大卒は14%にすぎない。
6 企業でも、能力の高い東大卒は使い勝手のよい道具で、型落ちになれば棄てられる。
 細かい部分はさておき、私が一番興味をもったのは、企業における仕事のさせ方が、このようなものだとしたら、日本は、いかにも能力主義ではなく、能力を無視して社員をこき使う社会だということだ。ずっと、日本の教育は、過度な能力主義によって荒廃させられているという、教育学の認識に、ずっと疑問をもって、このブログでも考えているわけだが、この記事は、その点でもヒントをあたえてくれる。

“「仕事のできない東大生」という記事” の続きを読む

流山市の人口急増による学校移転問題

 読売新聞が、流山市における中学移転に関する記事が掲載されて、ネット上で話題になっている。
 記事の趣旨は、人口が急増している流山市は、保育所などの政策ばかりが話題になってきたが、実は、小中学校問題は、深刻な状況になっている。この記事は、急増で教室不足になった南流山中学を、東京に移転して空家になっている東洋学園大学の敷地を活用するが、あまった部分を暁星国際中学を誘致する計画が進行しており、それに対して、住民が格差が生じるとして反対しているという記事だ。そして、ネットでのコメントは、住民のわがままを批判する声で溢れている。私立中学と市立中学が同居するのは、格差問題が起きて反対するという見解に対して、格差が実際にあるのは当たり前だし、市立と私立が隣あわせになっていることなど、他の地域ではいくらでもあるいうわけだ。その批判はさておき、記事自体が、実に不十分なもので、これでは誤解されても仕方ないように思われる。

“流山市の人口急増による学校移転問題” の続きを読む

大学のオンライン授業拡大を文科省が容認の方向

 毎日新聞に次のような記事がでた。
「大学のオンライン授業「60単位上限」規制緩和へ 留学生獲得後押し」(2022.2.3)
 現在、上限が60単位となっているオンライン授業を、より緩和するということだ。私は、インターネットは大学のあり方そのものを変えることになると予想している。私は、既に定年退職してしまったが、この動向に関与できないのは、少々残念である。映像付きのオンライン授業はできなかったが、インターネットを可能な限り活用して、授業だけではなく、前後に様々な実践をしていた。
 コロナによって、オンライン授業が普通になったことによって、これまでの大学の制約を大きく取り払う可能性がでてきた。もちろん、可能性であって、実施するかどうかは大学自体が決めることだ。それは、積極的に活用する大学と、消極的な大学の格差が開いていくということでもある。

“大学のオンライン授業拡大を文科省が容認の方向” の続きを読む