教師が10年ごとに、必要な講習を受けて、教員免許の更新をしなければならない制度が、いよいよ廃止されることが決まったようだ。従って、新年度からの講習は開催されないことになるのだろう。大変いいことだ。医師や弁護士のような高度な専門性を必要とする資格ですら、更新制度がないのに、教師にだけ更新義務を課すのは、いかにも教師いじめ的な現象だし、そもそも、短期間の講習とテストを受けて、教師の力が増すわけでもない。いかにも、教育現場を無視した、安倍内閣の人気とり政策であったのだから、廃止はもっと早くになされるべきだったが、もちろん、実施当人の安倍内閣では不可能だったのが、やっと、安倍内閣が終わって、廃止に向かって動き出していたわけだ。
カテゴリー: 教育
大学入試特別措置から考える改革
今年もコロナが入試に対して大きな影響を与えている。しかし、入試に対してマイナス要因となる自然の猛威は、決してコロナに始まったことではない。インフルエンザや大雪などは、毎年のように問題となっていた。そういうことから考えると、コロナへの対応は、度を越しているのではないかと思われる部分もある。大学共通テストを前提とした試験なのに、コロナのために二度とも受けられなかったら、二次試験や独自試験で対応せよなどという、可能なのかと疑問になるような措置も、文科省からだされている。入試は、具体的措置については、どのようにやっても、どこからか不満が出てくるもので、万人が満足するやり方などはないことは、理解しておくべきだ。
もちろん、今回の受験にはまったく関係ないが、長期的に日本の大学入試は、抜本的に見直す必要があるのではないかと思う。
読書ノート『知の鎖国』アイヴァン・ホール2
本書のコメントからは離れてしまうが、どこまで一般化できるかは別として、私自身の体験を書いておきたい。元同僚たちの批判になってしまうが、現在ほぼ全員が退職しており、かなり昔のことなので、あえて書くことにした。ここで書いたような側面はあるが、皆まじめで、誠実な人たちであったことは、断っておきたい。
日本の知識人たちが、少なからず、外国人に対して、あるいは外国で教育を受けたものに対して、排外的な姿勢をとることの具体例である。
第一は、私がまだ大学院の担当者であったときのことだ。大学院の入試判定前の段階で、受験可能かどうかの問い合わせについて議論したものだった。
その受験予定者は、イギリスの大学を卒業していた。しかし、一般的なイギリスの大学は3年間で終えることができる。ヨーロッパの大学は4年制であるが、修士号を付与することが一般的である。尤も以前は6年が原則だったので修士号の付与は当然だったのだが、カリキュラム改革などを経て4年で終了できるようにして、修士号付与はそのままだったのである。だから、学士号を付与する教育機関は、3年でオーケーということになっているのだ。
そのことで、日本人がイギリスの大学を卒業したが、日本の大学院は4年間の大学教育を条件としているので、問い合わせがあったわけだ。
読書ノート『知の鎖国』アイヴァン・ホール(毎日新聞)1
まだ全部ではないが、アイヴァン・ホール『知の鎖国』なる本を読んでみた。1998年に書かれた本なので、かなり古いが、日本が停滞に陥り、数年経過した時点での日本批判であり、この批判が適切であれば、日本が停滞から抜け出すのは難しいと思わせたに違いない。事実、日本は停滞から抜け出していないので、指摘は多くあたっていたということになるのだろう。
一言でいえば、日本の知的専門職が、外国人に対して開かれておらず、外国人を差別しているという事例がこれでもかと出てくる本である。残念ながら、翻訳がよいとはいえないので、意味が鮮明でない部分がある。また、著者の誤解もあるような気がするが、しかし、日本人としては、このような批判に対しては、率直に耳を傾けるべきであろう。
法律家(弁護士)、報道陣、大学教師、科学者と留学生、批評家の分野で、いかに日本社会の知的閉鎖的であるかを具体的に示している。まずは、大学教師の部分について考えてみたい。
行き詰まった悠仁親王進学問題
あまり根拠が示されていないのだが、youtubeでは多数、悠仁親王の進学に際して、筑波大学が断ったということが言われている。そこで、早稲田に志望を切り換えたというのだ。現時点で、確実な情報ではないので、どこに決まるかは論及しないとして、この問題は、予想よりも広い影響を与えているように思われた。教育問題でもあるので、避けて通れない気がした。
進学を望まれた筑波大学付属高校の側から、この問題を考えてみる。もし、一般の入学試験を受けて、確かに高得点をとり、堂々と入学してもらえるならば、学校としてはかなりの名誉になるのかも知れない。しかし、誰がみても、学力不足の、特別な地位にいるひとが、そのひとのために設けられた特別入学制度「提携校進学制度」(特別裏口入学制度というべきか)を使って入学してくるとなると、名誉などとは遠い評価を受けることになるに違いない。
新年早々だが、いじめ話題2
旭川の事件に関しての続きであるが、今回は、論点になる部分についての考察をする。
1 いじめと自殺との関連性
当時の校長は、いじめも否定し、当然自殺との関連をも否定しているわけだが、いじめというよりは、犯罪にまで至る行為であったことは疑いない。しかし、このいじめ・犯罪行為と自殺の関連性については、簡単にはいえない要素があることも事実だ。
というのは、いじめ・犯罪行為があったのは、2019年の4月から6月までであり、その後被害生徒は入院不登校となり、9月には別の学校に転校してしまい、そこでも不登校と入退院をしている。これまでの報道を見る限りは、転校先の中学で、同様のいじめを受けたようには言われていない。しかし、PTSDを患い、苦しんで入院しており、その原因がY中学でのいじめ・犯罪であることも疑いようがない。自殺をしたのが、2021年の2月であるから、かなり日時が経過している。そして、2020年に、インターネットの相談コーナーでの相談の会話を聴いている限り、もちろん悩んでいるが、本人の対応はしっかりしている。
旭川のいじめ自殺
元旦にネットでニュースをチェックしようと思ったら、文春オンラインが北海道旭川で起きたいじめ自殺事件の、過去の記事を再度掲載しているものが目についた。もちろん、この事件については知ってはいたが、詳細を追いかけることはしていなかったので、改めて文春オンラインだけではなく、いろいろと調べてみた。テレビによく出てくる犯罪コメンテーターというべき小川泰平氏が、何度も現地調査して、かなり多数のyoutube動画をあげているのに驚いた。そして、事実を知るほどに、怒りの感情が増大してくるのは、多くの人と同様だった。大津の事件と、いじめの陰湿さと教育関係者の隠蔽体質は似ているが、隠蔽を破ったのが、メディアだったという点では、福島の須賀川一中の柔道部事故に似ている。
旭川事件は、週刊文春が報道したことで、大きく動いたわけだ。つまり、文春の報道がなければ、隠蔽されたままだったかも知れない。
教育学を考える28 教育的価値2
他の領域の価値ではなく、教育独自の価値は何か、それはあるのか。
ずっと考えているのだが、かなり難しい問題であると感じた。つまり、これが教育的価値であるという内実が、あまり出てこないのである。勝田も「全面発達」しかあげていない。「全面発達」自体がかなり論争的な問題であるから、そんなありもしない概念が、価値というのはおかしいという批判もでてきそうである。勝田の議論は、教育的価値を論ずる場合の歴史性とか、産業構造とか、周辺の検討に終始して、本丸になかなかいかないのである。
もう少し、教育の基本から考え直してみよう。
宮原誠一の有名な「教育の本質」規定について考えてみる。1949年に書かれた「教育の本質」という論文で主張されていることは、現在なお有効であるといえる。それは、ふたつのことをいっている。
教育学を考える27 教育的価値1
教科研の教育学部会で、教育的価値についての議論があったそうだ。教科研ニュースに議論の紹介が比較的詳しく紹介されている。しかし、私には、極めて基本的な問題、そもそも「教育的価値」とは何かという点は議論されていないので、不満だった。教育的価値は、教科研の戦後初期の理論的リーダーだった勝田守一の主要な主張のひとつだったから、「教育的価値」とは何かについては、議論の余地がないと考えられているのだろうか。勝田守一著作集第6巻の目次をみると、「教育的価値」という言葉がでているのは、一カ所しかない。「教育の概念と教育学」という1958年に書かれた論文に「教育的価値」という節がある。しかし、この論文においても、では何が教育的価値なのかということは、「例えば全面発達」といういい方がされているだけで、それ以上の具体的価値内容は記されていないのである。
では、教育的価値とは、どういう文脈で出てくるのか。
日本は本当に能力主義社会か12 コネ採用 日大田中体制から
本日(12月26日)に時事通信の記事「日大に「縁故採用」規定 職員応募、学長・監督の推薦必須 田中体制で強化」が掲載されている。 https://news.yahoo.co.jp/articles/ba0fe2910f8dfe7d2fffb640a175eaa6ea49c1dc
ヤフコメが実に多様な意見が出ていて、珍しい現象だと思う。また見出しを読むと、日大が縁故採用をルール化しているような印象を与えるが、記事を読むと、必ずしもそうではない。
記事によると、日大の2022年度大卒職員(一般職)採用選考試験実施要項によると、応募資格は
(1)大学の長等(他大学の長も含む)により推薦された者
(2)日大競技部に所属し、優秀な競技歴を有し、かつ将来競技部の監督・コーチの後継者となることについて期待し得る者
(3)日大任期制職員(一般職)にある者で、所属部科校長等により推薦された者
要するに推薦状が必要であるとしているだけで、推薦状を大学が発行する場合には、実際に文章を書く人がだれかは別として、推薦する名義は学部長であったりする。ただし、この記事が批判的に扱っていることは、このことではなく、以下の部分だと思われる。