「仕事のできない東大生」という記事

 『週刊現代」の記事「東大を卒業しても『仕事がまったくできない人」の意外すぎる共通点」という記事がある。かなりピントが外れているという意味でも、興味深い文章だ。
 記事の要点を整理しておく。
1 東大に合格すれば明るい未来が待っていると、受験生たちは信じているが、そんな時代は終わり、社会環境は激変している。
2 優秀な東大生の能力は青天井だが、それは1割だ。
3 企業就職した東大生は、MARCHに負けることも珍しくない。大学まで勉学一筋だった東大生に対して、イベント系サークルで楽しんでいたひとたちの口と体力に負けてしまう。
4 顧客に上から目線しかできず、失敗する。
5 昔は官僚や弁護士など、そういう東大生も活躍できたが、弁護士は供給過剰、官僚は激務の上権限はない。キャリア採用の東大卒は14%にすぎない。
6 企業でも、能力の高い東大卒は使い勝手のよい道具で、型落ちになれば棄てられる。
 細かい部分はさておき、私が一番興味をもったのは、企業における仕事のさせ方が、このようなものだとしたら、日本は、いかにも能力主義ではなく、能力を無視して社員をこき使う社会だということだ。ずっと、日本の教育は、過度な能力主義によって荒廃させられているという、教育学の認識に、ずっと疑問をもって、このブログでも考えているわけだが、この記事は、その点でもヒントをあたえてくれる。

 東大生は、ある領域での能力が高いことは、受験競争に勝ち抜いたわけだから、証明されていると思うが、それは多面的な人間の能力の一部であることは、当たり前のことで、そのことは、昔から認識されていたのではないだろうか。東大卒のプロ野球選手は何人かでたが、活躍した人は皆無である。東大卒で、世界的なピアニストやバイオリニストはまだでていない。そういう分野での才能の有無を試験で確認して入学させるわけではないから、正真正銘の才能と努力をしないと頭角を現すことかできないプロスポーツや芸術の分野では、東大生だからといって、秀でた人がいなくても、当たり前のことだ。芸能人には何人かいるが、現在の芸能の世界では、よりあいまいな個性、資質、才能が求められるから、たまたま適性をもった東大卒がいても、またおかしくないのだ。
 研究者や政治家は、優れた人材を輩出していることは、誰しも認めるだろう。
 このふたつの領域で優れた人材をだしている理由は、この分野では情報処理能力が重要であるからだ。ただし、政治家はそれだけでは不十分なので、組織力や様々な能力を、卒業後に属した分野で伸ばしていく必要がある。東大生は、知識を中心に問う問題に正解をだすことで、受験競争を勝ち抜いてきたわけだから、そうした知識中心の情報処理能力に長けていることは間違いなく、それが職業的に最も有利なのは、研究分野なのである。また、研究者をめざす人は、あまり経済的成功などを重視しないから、この記事で書かれたような欠陥は、あまり表面化しない。私の勤めていた大学においても、東大卒の教授は、研究面や教育面で比較的に秀でていたことは間違いない。
 しかし、営業活動が得意だというのは、平均的な東大生の資質としては考えられない。まったく個人的に異なるのではないか。確かに、MARCHで、イベントなどを企画運営していた学生のほうが、営業活動の経験をしているし、能力が高いことは不思議ではないのだ。
 もし、企業がそうした個性資質をまったく考慮せずに、等しく営業活動をやらせ、うまくできない東大生はだめだ、などとして、活用しないとすれば、それはその企業の人材活用が間違っているだけのことだ。気になるのは、そんな資質を無視した人材活用が、企業で普通に行われているのかということだ。もし、そうだとしたら、日本の経済が停滞しているのは、当たり前である。
 
 以下感想だが、1や5は、事実ではないと思われる。
 東大を卒業すれば、それだけで明るい未来が待っていると、そのまま信じているような東大生はほとんどいなかったし、今でもいないのではないだろうか。社会にでれば、更なる努力が必要であり、競争にも晒されることは、分かりきったことであり、その競争に敗れたり、こんなはずではなかったと苦悩する者もたくさんいただろうし、現在でもいる。そういう点での社会環境は変わっていない。
 5では、弁護士が供給過剰になったとしても、成功する弁護士はもちろんいるわけだし、また、うまくいかなかった弁護士は、過去にもいただろう。更に、いわゆる出世などと違う目標で活動している東大卒の弁護士も少なくない。
 6のように、能力の高い若手が、使い勝手がよいとして使われるのは、出身大学に関係ないだろうし、その後、東大生だけが棄てられるなどということもありえない。
 この記事は、ほとんど説得力がないが、このような記事がどうどうと載せられるということは、やはり、日本の「能力活用」が中途半端だということを、再度確認できた思いだ。 
 題名の「仕事がまったくできない人の以外過ぎる共通点」については、この記事には書かれていない。後編があり、「「東大で終わる人」「東大からの人」の明暗を分ける“意外な要素”」という文章だが、それは次回に検討する。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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