石原慎太郎都知事を振り返る

 石原慎太郎が亡くなった。直ぐに何人かの批判的なひとが、強烈な批判的文章を書いたので、礼儀を知らないのかというような非難が巻き起こるなどの、さすがに話題の多いひとだと思ったものだ。私が見た限りでは、最も早く石原非難をしたのは、一月万冊だったが、youtubeはあまり追いかけていないのか、たいしたことではないと思っているのか、あまり非難がないようだ。逆に、共産党の志位委員長が、「今日は控える」と言ったことが、評価されていて微笑ましかった。
 さて、日時も経過したので、そろそろ批判をしてもいいかと思う。
 まずは、私でも功績と認める点を書いておこう。

 人間的側面での功績で、私が最も評価したいのは、小沢征爾を救ったという点だ。まだ、石原が政治家になる前の作家であった時期だと思うので、大分前のことだ。ブザンソン指揮者コンクールで優勝して、欧米で高く評価されていた小沢征爾を、N響が常任指揮者に迎えたが、ドイツ流重厚型が好きだったN響に対して、軽やかな新人類のようにみえたのだろう、小沢排斥の動きに出た。年末のベートーヴェン第九を、小沢とでは演奏できないというので、リハーサルのボイコットをしたのである。この動きを事前に察知した石原が、諦めていた小沢に対して、とにかく当日練習場に来るようにいい、カメラマンを用意して、団員がこない練習場に一人寂しくたつ小沢、という写真を週刊誌に掲載させた。そこで、小沢擁護、N響批判が巻き起こり、日本フィルハーモニーが小沢に演奏機会を提供、たしかマーラーの「復活」を演奏して、大成功をおさめた。
 その後、N響の仕打ちに激怒した小沢の師匠ともいうべきバーンスタインが、小沢にポストを探してあげて、トロント交響楽団の常任となり、世界に羽ばたいていったわけだ。石原の対応がなくても、やがて小沢は世界的大指揮者になったろうが、この危機をベストの形で切り抜けることができたのは、石原の機転にみるものだろう。このことによって、N響が背負うことになった損失は計り知れないと思う。
 
 都知事としての功績の第一は、私はディーゼル規制だと思っている。既に東京の住民ではなくなっていたが、東京で育ったために、東京の大気汚染のひどさは身に沁みて実感していた。原因はディーゼルだけではないだろうが、大きな部分を占めていたことは間違いない。おそらく、石原のような力業をする都知事だからこそ可能だったディーゼル規制だったといえる。そして、確かに東京を中心とする空気が、以前よりはずっときれいになった。実感として感じるのは、私が住んでいる千葉県からも、富士山がみえるということだ。東京の空気が汚れていた時期には、東京を横断して、富士山がみえることは稀だったという。
 第二は、横田基地関連だ。ほとんどの日本人は知らないが、東京の空を支配しているのは、日本政府ではなく、アメリカ軍だ。制空権を米軍が抑えていて、日本の飛行機が飛ぶときには、許可が必要であり、昨年話題になった、羽田への進路変更の際、かなり急角度で降下しなければならないのは、この制空権の制約のためである。石原がめざしたのは、その制空権を部分的にせよ、返還させること、そして、米軍だけが使用していた横田基地を、日本の民間機も使えるようにすることだった。
 そもそも、東京に米軍の基地があり、制空権を抑えられているということは、日本が真の独立国ではないことを示しているのだが、歴代自民党は、そこに切り込むことをしてこなかったし、いまでもしていない。そういう意味で、石原の努力は高く評価されるべきだろう。
 
 さて、ここからは負の遺産だ。それはたくさんあるように思うが、ここでは、新銀行東京のおそまつな設立、敗退と、尖閣諸島の無意味な政治対立化を項目だけ確認し、主に教育政策について書いておきたい。
 石原都政の下で、東京の教育は確実に悪化したと思う。あるべき姿とはまったく逆の管理体制の強化が進んだということだ。もちろん、それらを石原知事が直接指示したことかどうかは、都政の内部に通じているわけではないので断言はできないが、ただ、石原都知事の間に、そうした事態が進行し、現在でも続いているということは間違いないのである。
 まずは、職員会議の無意味化である。これは文科省の政策と対応しているが、文科省もそこまではいっていないということがある。管理体制の強化のために、校長の指導性をずっと教育行政は強調してきた。もちろん、校長が優れたリーダーシップを発揮して、学校教育の改善をすることはいいことだ。しかし、リーダーシップは独善であってはならない。教職員たちの意志を尊重しつつ、意見が違うときには、説得をして、同意をえていくことが不可欠だ。校長は結局、授業をするわけではないのだ。
 職員会議で、審議をすることを文科省はずっと否定してきた。今は、法令で「補助機関」と位置づけてしまっている。つまり、審議をするところではなく、校長が決めたことを実行する機関というわけだ。東京は、更に進んで、職員会議で意見聴取をしても、意見分布をとってはならないという指示までしている。そして、あえて、意見分布をとって学校運営をした都立高校の校長に対して、報復的な対応までしているのである。現在、教職員は定年退職後もほぼ例外なく、嘱託として採用され、仕事を継続する。しかし、その校長は、嘱託希望をだしたにもかかわらず、採用されなかったのである。都教育委員会は、「総合的判断」などというとしても、校長の職員会議運営に対する報復であると、多くのひとは解釈している。
 しかし、まともに考えれば、教職員の意見分布を考慮して、校長が方向性を決めることは、ごく自然なことであり、そういうことを禁止する合理性はまったくない。決定権が校長にあるのだから、校長の意志として、意見分布をとることは、何ら問題ではないし、教職員の意見のありかたを考慮して、好ましい方向性をだすのが、優れたリーダーだ。
 次にボーナス支給の方法の変更である。
 現在、都では、多くの地域において、ボーナスを一部源泉徴収のように集めておいて、校長の裁定により、優秀な教師に再配布する仕組みを導入している。もちろん、優秀でないと評価されると、天引きされただけで、ボーナスがマイナスになってしまう。
 もし、給食を配ったあとで、それぞれのおかずから2割ずつ戻して、成績のよい子どもにだけ分配するというようなことをしたら、どういう反応があるだろう。子どもたちだって、また保護者は断固として抗議をするのではないか。そんなことが支持されるはずがない。しかし、教師に対して、それをしているのだ。アメリカでは、日本のようなボーナスはないが、学校で、ある基準を決めて、優秀な教師にボーナスをだすことがある。しかし、その原資はちゃんと予算化されており、教師の給与から抜き出したりしない。この話を聞いたときには、心底いかりを感じた。
 次に君が代の強制である。
 石原慎太郎自身は、君が代はつまらない歌だと公言していたようだ。自分は歌わないともいっている。しかし、儀式で、教師や子どもたちには歌うことを強制し、それだけではなく、歌わなかった教師を処分しているのである。文科省が、学習指導要領で歌うことを求めている以上、現場の人間としては、歌うように指導する必要はあるのかも知れない。しかし、君が代に反対するのは、良心の自由に属することであり、世界の民主主義国家で、国家を歌うことを強制するだけではなく、歌っているかどうかをチェックし、歌わない教師を処分するような国は存在しない。石原都知事は、その処分を押し進めた。法は、内面の強制は認めていないのである。
 他にも、東京都立大学その他の都立の高等教育機関を、首都大学東京として再編成したことも、マイナスだったといわざるをえない。これは、再編自体よりも、学問の自由や大学の自治を侵害する側面が強かった。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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