指揮者の晩年 ブロムシュテット

 最後まで現役で、幸福な指揮者生活を送った人として、絶対に欠かせないのがヘルベルト・ブロムシュテットだ。もっとも、まだ現役ばりばりだから、「最後まで」というのは、どうなるかわからないが、現在の活躍ぶりをみると、そのように予想できる。現在94歳だが、活発に指揮活動をしている。といっても、私はほとんど彼のCDはもっておらず、かなり以前に買ったドレスデンでのベートーヴェン全集と、レオノーレの全曲くらいだ。あまりフィデリオは好きではないということで、後者は聴いてもいない。ベートーヴェンの全集はすばらしい。しかし、以前からの評価でも顕著だが、多くの人は、このベートーヴェン全集をすばらしいと誉めるのだが、すばらしいのはオーケストラであって、指揮者をほめるのはまた少なかったような気がするし、私の感想もそうだった。

 今回、最近のブロムシュテットの演奏を知るために、以前にクラシカジャパンで録画していたベートーヴェンの第九をじっくり鑑賞した。オケはライプチッヒ・ゲバントハウスである。DVDでも販売されている。ブロムシュテット89歳、大晦日のジルベスターコンサートの実況録画である。実は、1楽章くらいは聴こうと思ってスウィッチをいれたのだが、やめられなくなり、-結局全曲聴き通すことになった。それほどすばらしい演奏だった。
 全体的に快適テンポのすっきりした演奏だが、古楽スタイルではなく、ドイツのオーケストラらしいずっしりとした重みもある。そして、何よりも印象的に感じたのは、楽器間のバランスのよさだ。通常は埋もれてしまうファゴットやビオラなどの、対旋律などもきっちり聞こえる。それは、主旋律を弾いている楽器も、必要以上に大きくならず、特にトランペットのような、他の楽器を打ち消してしまうような楽器も、収まりよく鳴らしているからだ。かといって、消極的になっているわけでもない。団員全体として、楽曲の構造を理解し、きちんと聴きながら演奏しているということだろう。
 3楽章はかなり速いテンポで演奏されている。ベートーヴェンのメトロノーム指定とおりという触れ込みになっているが、古楽はさておき、通常のオーケストラでここまで速めであるのは、あまり聴いたことがない。第2主題のビオラは、もう少し美しい音を期待したかったが、ここだけは、少々不満だった。しかし、主題以外のあわせのメロディーとの絡みは絶妙だった。
 4楽章の合唱も非常に優れている。歓喜の歌のチェロとコントラバスの旋律などは、まったく思わせぶりなところはなく、淡々と進んでいき、おおげさなことが嫌いだという、いかにもブロムシュテットという感じがした。
 そして、最後に驚いたのは、あの熱狂的な終わりのあと、しばらく拍手がなかったことだ。チャイコフスキーの悲愴や、マーラーの9番のように、消えるように終わる交響曲では、演奏の終了後、しばらく拍手が起きないのが普通だが、ベートーヴェンの第九は激しく盛り上がった状態で終わるので、直ぐに拍手が激烈に起きるものだ。しかし、この演奏では、けっこう長い間沈黙が支配して、指揮者がいかにも緊張を解いたという感じになって、拍手が起こり始め、やがてスタンディングオベーションとなった。
 あとで紹介するブロムシュテットの伝記によると、ライプツィッヒやドレスデンでは、こうした慣習が普通で、直ぐに拍手が起きるのはアメリカ式だと、彼自身が言っている。しかし、ドイツでも、直ぐに拍手が起きるのが、多いと思うが。
 
 さて、彼について調べていると、『ブロムシュテット自伝 音楽こそ私が天命』という本があるので早速購入し、直ぐに全部読んでしまった。本当に面白かった。ユリア・シュピノーラという人が、行動をともにしながら、インタビューして、それをまとめたもので、すべて問いと答えの形式で書かれている。そのために、非常に具体的でわかりやすい。しかも、かなり率直に、ブロムシュテットがいろいろなことに批判的に語っているので、驚くところも多々ある。気軽に読めるので、興味のある人は、本そのものを読むことを勧めておきたい。ここでは、私が特筆すべきと思ったことをいくつか紹介したい。
 社会主義体制だった東ドイツのドレスデン・シュターツ・カペレの常任指揮者を、正式に10年、隠れ常任と彼が語っている期間を含めると15年ものあいだ、なぜ務めたのかについて、けっこう詳しく語っている。とにかく、体制がいやだったので、かなり抵抗したようだ。そのために、強力なオファーを受けてから、数年間ものあいだ断り続けたという。もっとも、その間も客演はしていたようだが。
 最終的に決心したのは、有名なカラヤンの「マイスタージンガー」にかかわっているという。チェコ事件に関連して、予定されていたバルビローニの代役で、カラヤンが、「マイスタージンガー」の録音をドレスデンで行ったのだが、非常にシュターツ・カペレを気にいったカラヤンは、別れの挨拶で、自分はベルリンがあるので無理だが、それがなければ、ここの指揮者になりたい、と語ったのだそうで、それをオーケストラ側が密かに録音して、ブロムシュテットに聞かせたのだという。それで、常任になることを決意したそうだ。
 ただ、当時、東ドイツマルクは、国外もちだし禁止だったので、ギャラはすべて東ドイツ内で使うしかなかった。家族を養うために、他のオーケストラの常任も引き受けていたということと、東ドイツではたくさんの楽器を購入し、後に、ライプツィッヒのオーケストラの常任になったときに、あまりいい楽器を使用していなかったので、その楽器を寄贈したのだそうだ。
 
 ブロムシュテットの私生活についても、いろいろと興味深かった。彼がキリスト教徒としての信仰が厚い人であることは知っていたが、ここまでとは思わなかった。父親が教会で仕事をしており、その影響を受けていたということだが、彼の音楽にも大きな影響をあたえている。とにかく、音楽の本質を追求し、単に美しいとか、熱狂的な音楽は好まない。今回の第九もそれを感じた。だから、表現がオーバーになりがちである、オペラは嫌いだという。ドレスデン時代は、それでもいくつかのオペラを指揮したが、彼の録音は、「レオノーレ」という、ベートーヴェンの「フィデリオ」第一稿だけだ。
 自伝で語られているわけではないか、彼は徹底したビーガンで、日本で蕎麦をだされたとき、だしに鰹節が使われていることを知って、蕎麦だけ食べたそうだ。音楽の解釈、読書など、信仰と密接不可分であることがわかる。だから、彼の音楽の中心は、バッハということになる。
 従って、私生活が乱れているように思われる人には、辛辣な評価をしている。音楽家としてバーンスタンを尊敬しているが、とにかくタバコとお酒に溺れているような彼の生活には、批判的だ。
 自分の録音も、また他人の録音もほとんど聴かないという。ただただこれからの演奏のために、楽譜を見直して、日々精進している求道者である。だから、最近たくさん出ている「**録音全集」のように、「ブロムシュテット・コンプリート」は当分でないに違いない。ただ、ベルリンフィルやウィーン・フィル、そしてN響の演奏がCDとして、でてほしいと思う。ただ、オペラは期待できない。オペラ狂である私としては、かなり残念なことだ。せめて、『魔笛』くらい演奏してほしいと思った。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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