代替肉の可能性

 現在、環境問題を重視する観点から、動物性タンパクの食品を、植物性タンパクでつくることが、欧米で浸透しつつある。大豆を主な材料でつくったビフテキなどである。ところが、こうした食品は日本では、なかなか売れないのだそうだ。私は、一度食べてみたいと思っているが、実際にそうした商品やレストランでのメニューに接したことがない。通常のファミレスなどでは、見たことがない。
 動物性タンパクのとり方を改善するべきであるという領域はたくさんある。そもそも、牛肉が環境派にとって攻撃の対象になるのは、牛を成長させるために必要な栄養素は、牛の肉等によってとれる栄養素の何倍もあり、例えば、飼料のトウモロコシを牛に食べさせるのではなく、直接人間が食べれば、ずっと多くの人の胃袋を満たすことができるということだ。それは、大きな魚の養殖にもいえる。ブリの養殖のためはには、大量のいわしを必要とする。いわしを直接食べれば、やはりずっと多くの人が栄養をとる点では合理的なのである。更に牛やブリの排泄物の環境汚染要因も大きい。そして、牛のための飼料を育てるために、アマゾンの熱帯雨林がどんどん伐採されているという、環境破壊も進んでいる。牛肉はおいしい、ブリはいわしよりおいしいのは確かであるが、私には、いわしをたくさんの人が食べられるほうがよい。いわしも十分においしいではないか。

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藤井寺市の教科書汚職から考える、日本の教育水準の低下1

 大阪府藤井寺市の教科書選定をめぐる汚職で、市の教育委員2名が辞職することになった。2020年に、実施された選定での汚職で、元市立中の校長か懲役1年6月、執行猶予3年、追徴金6万4000円の有罪判決を受けている。便宜を図った側の大日本図書の取締役らも罰金命令を受けている。
 この事件について、伊東乾氏が、「藤井寺市の教科書選定「贈収賄事件」に透けて見える日本弱体化 教科書利権と「自虐的」数学教科書排除は焦眉の急」と題する文章をあげている。
 教科書採択をめぐる汚職は、明治時代から続いており、そのために国定になったり、検定になったりしているが、法で厳しく罰せられるとしても、特に現在の採択制度では、採択されないと、会社自体が倒産してしまう危険性が高いためもあり、こうした汚職は耐えない。だから、検定や採択をめぐる制度面での改変が必要なのだが、伊東氏が主に論じているのは、更に、教科書の水準が下がっていることの指摘と危機感の表明である。

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成田氏の高齢者集団自決再論

 成田氏の高齢者問題を解決するためには、高齢者の集団自決しかないという提起が、国際的に問題になっているらしい。そして、そのことがまた日本での議論を再燃させている。そして、賛否両論、相変わらずの構図だが、成田氏擁護の側の議論のあまりに短絡的で視野狭窄的議論が顕著なので、再度書くことにした。
 
 まず、成田氏に限らず、高齢者は若い者に道を譲れという議論は、80歳を超えるような老人がのさばっていて、権力を発揮していることを非難している。しかし、実際のところ、そういう分野は、極めて少ないような気がする。そして、典型的には、政治の世界だろう。確かに、政治家は高齢者集団であり、かつ、活動力に疑問が隠せない人が、いまだに権力をもっているように見える。

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EUの死刑廃止=人権論の疑問

 宮下洋一氏と田原総一郎氏が死刑制度をめぐっての対談をしている。
「死刑を廃止した国でいったい何が起きているのか……日本の死刑について宮下洋一と田原総一朗が考える」https://news.yahoo.co.jp/articles/3d743a604b0111b9e75cc8155239eda6cad6b19b
 日本は、毎年アムネスティなどから、死刑制度があることが、民主主義の欠陥要素として批判されており、死刑が執行されると、その都度抗議がフランスから寄せられるという。EUに加盟するためには、死刑制度を廃止する必要があり、EUに加盟したいために、国民は死刑廃止を望んでいないが、政府レベルで廃止してしまうことがあるという。
 二人の基本姿勢は、死刑存続だが、執行しないというところのようだ。田原氏はそう明言している。

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東京23区区の大学が、地方就職促進条件にIT関連の増設

 
 政府が、東京都内は一切の大学新設・増設・定員増を認めない方針であったのを変更して、デジタル関係のみ期限付きで認めることになったと報道されている。 
「東京23区内の大学、デジタル系学部の定員増を容認…IT人材育成へ政府方針」
 それには条件がついており、情報系学部・学科の定員増が対象で、一定期間後は元に戻す、地方の就職促進策を組み込むというものだ。
 こうした大学の学部管理は、文科省がかなり強権的に行なっているもので、その評価は単純にはいかない。確かに、大学全入時代になって、入りたい大学・学部は偏りがあるから、人気のない大学は定員まで学生が集まらず、それが長期的に続けば倒産とならざるをえない。人気のない、つまり社会的に要請されていないと見なされる大学は、潰れたほうがよいという考えもありうる。時代の技術革新についていけず、あいかわらず安い労働力でしか対応できない企業は倒産して、技術革新をして力を増したところに吸収されるほうが、全体としての経済力は高まる、だから弱体企業を救うべきではない、という意見は少なくない。

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失敗と中止、正さの担保

 JAXAのロケットの打ち上げが発射直前に中止になったことについて、共同通信の記者が、失敗だったのではないか、とかなり執拗に質問を繰り返し、最後に、「それは一般に失敗といいます」と言い捨てて質問を終わったことが、ネット上で炎上している。
「打ち上げ中止「H3」会見で共同記者の質問に批判相次ぐ ロケットを救った「フェールセーフ」とは」
 ヤフコメでも記者を非難するコメントがほとんどで、擁護するものは見当たらない。しかし、問題を掘りさげるようないい質問だったと思いながら読んでいたところ、最後の捨てぜりふで、印象が確かに変わった。そんなこという必要はなかったように感じた。ただ、圧倒的な非難に晒されるような失言だったかは、また別問題だが。
 

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またまたマイナンバー・カードにおかしなことが

 マイナンバー・カードが新しくなるというニュースが、16日夜に流れると、17日朝に既にヤフコメが5000以上になっている。
「【独自】“新”マイナカードを検討 政府 2026年視野に」https://news.yahoo.co.jp/articles/a6247294503fae4d872532a6886a270ace28d94b
 記事は、カードに顔写真等の個人情報が記載されているので、載せたくないという声に配慮するのだそうだ。こうした政府のいっていることや、それを伝えるメディアは、本当に問題を掘りさげていない、あるいはしているのにそれを公表しないことがわかる。こうしたニュースだけ読んでいても、まったく問題は理解できないだろう。ヤフコメなどは、馬鹿にする専門家もいるが、けっこうその分野の専門家も書いており、また、様々な観点からの意見が載せられているので、記事よりは、ずっと掘りさげ可能である “またまたマイナンバー・カードにおかしなことが” の続きを読む

松竹氏除名の大きすぎた影響

 松竹氏除名の波紋はまだ収まらない。というより、ますます拡大している。朝日や毎日の社説に志井委員長が噛みついたのが、メディアの反感を買ってしまったように思われる。その後、様々なメディアが、扱い始めた。
 松竹氏除名の反応は、大きく分けてふたつあった。ネット上の意見などをみれば、はっきりわかる。
 最も多いのは、もともと共産主義は独裁制であるという認識をもっているひとたちは、「それみたことか」と溜飲を下げたような反応である。共産党が嫌いなひとたちが、ますます嫌いになり、自分の見解が正しかったことを再確認したということだ。
 それに対して、共産党に共感をもっていたり、部分的にせよ支持していたひとたちは、大きな衝撃を受け、これまでの支持を捨てる方向に向かったひとたちである。

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トロバトーレを聴く

 トロバトーレは、最も好きなオペラのひとつだ。最近は、一人の指揮者が同じオペラを、何度も録音・録画するが、以前はオペラの全曲録音はかなり大変な作業で、カラヤンやショルティでも、複数回録音したオペラは少ない。しかし、カラヤンはトロバトーレを4種類出している。ミラノ・スカラ座とのモノラル(主演はマリア・カラス)、ベルリン・フィルとの録音(レオタイン・プライス、ボニソッリ、カプッチルリ)、ウィーン・フィルとの録画(ドミンゴ、カプッチルリ)、そして、カラヤンとしてはめずらしいザルツブルグライブ(プライス、コレルリ)だ。最後のライブは、カラヤンが正式にセッション録音したわけではないが、生前から市販されており、かつカラヤン・コンプリート、オペラ集にも入っているから、発売そのものは認めていたのだろう。他には4回というのは、バラの騎士くらいだろう。

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五十嵐顕考察4 教育費を考える3

 五十嵐氏の教育費分類の2番目が、「社会的に組織された教育費」である。
 正直なところ、氏の「社会的に組織された教育費」という概念は、理解が難しい。それは、概念的な分類と歴史的な位置づけとが重なり合っているからである。
 特定の階級による教育費が、氏のいう「社会的に組織された教育費」であるが、これが、国家が関与するようになると「国家的に組織される教育費」つまり「教育財政」として扱われることになる。
 具体的に、あげられている「社会的に組織された教育費」としては、
・アメリカの town school, district school, イギリスの parish school
だが、これは、地域に限定された学校で、かつそれが国家的制度に組み入れられる前の形とされる。このような地域に限定された学校、しかも階級的性質を帯びているとされる学校を、様々な地域、国の状況を踏まえつつ、ひとつの概念にまとめることは、かなり混乱を招くように思われる。

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