EUの死刑廃止=人権論の疑問

 宮下洋一氏と田原総一郎氏が死刑制度をめぐっての対談をしている。
「死刑を廃止した国でいったい何が起きているのか……日本の死刑について宮下洋一と田原総一朗が考える」https://news.yahoo.co.jp/articles/3d743a604b0111b9e75cc8155239eda6cad6b19b
 日本は、毎年アムネスティなどから、死刑制度があることが、民主主義の欠陥要素として批判されており、死刑が執行されると、その都度抗議がフランスから寄せられるという。EUに加盟するためには、死刑制度を廃止する必要があり、EUに加盟したいために、国民は死刑廃止を望んでいないが、政府レベルで廃止してしまうことがあるという。
 二人の基本姿勢は、死刑存続だが、執行しないというところのようだ。田原氏はそう明言している。

 そして、興味深いのは、欧米で、警官への抵抗で射殺される人が、日本での死刑執行などよりずっと多いという事実だ。これは、以前から私も感じていた。アメリカで、黒人に対して、警官が射殺する事件が起きているが、映像を見る限り、どう考えても射殺する必要があるとは思えない状況だ。また、テロ事件があると、犯人たちは、ほぼ確実に射殺されてしまう。
 おそらく日本では、そうした場合でも、可能な限り射殺せず、逮捕するように努力する。もちろん、最終的に射殺してしまうこともあるが、(そして、近年そういう姿勢が強まっているようにも思うが)逮捕すべしという姿勢はまだまだ強い。アメリカであれば、山上容疑者は確実に現場で射殺されていたに違いない。
 
 このように考えてみれば、日本は死刑を存続しているから、人権を十分に保障していないという論理は、あまり説得力がないように思うのである。シャーロック・ホームズを読んでいると、20世紀初頭には、人を殺害すると、ほぼ確実に死刑判決を受けていたように書かれている。
 この記事で興味深かったのは、警官に抵抗して射殺された人の親が、「こんなことなら、裁判にかけられて死刑になったほうがよかった」と語っていたことだ。この話は、ヨーロッパの死刑廃止論の、ある種の欺瞞性をついたものだといえる。
 
 田原氏は、死刑は存続させるが、執行しないという提案をしているが、それは死刑廃止論と同じであって、死刑制度そのものの議論を回避するご都合主義と言われても仕方ない。また死刑執行をする刑務官の苦しみを理由に、死刑制度批判をする場合があるが、それこそ本末転倒な議論というべきだろう。刑務官が苦しい思いをすることは事実だろうが、それは、その軽減やケアをする形で解決するべきことであって、制度そのものを改変をする理由にはならない。
 
 だからといって、現在の死刑制度をそのまま存続させればよいと思っているわけではない。改善すべき点がいくつがある。(これまでも何度か書いたが、加える点もある。)
 死刑判決をするための条件を、より厳格にすべきである。
・死刑判決がでる可能性のある裁判は、裁判員制度であるが、裁判員個々の判断を最大限尊重し、裁判官も含めて全員一致を条件とする。雰囲気に飲まれて賛成するというようなことがないように、予め確認しておく必要かある。
・容疑者が犯罪を認めていることを原則とする。認めていない場合には、誰がみても、容疑者が犯人という確実で客観的な証拠がある。
 現在は、原則的に多数決での判決になっているが、死刑判決の場合は、全員一致を原則とすることを法で明示すべきである。そうすることで、誤審を最大限減らすことができるはずである。和歌山カレー事件は、死刑か確定しているが、冤罪の可能性が極めて高い。そう思われているからこそ、執行が遅れているわけだ。こういう場合は、再審をするべきである。法の形式的適用は、生命よりも軽い。
 
 前に、死刑が適用される事例で、当人が、終身重労働を選択することができるようにすべきだと書いたが、その考えは変わっていない。単なる終身刑は、国民の税金で凶悪犯人の生涯の生活を保障することだから、到底容認できないが、通常の国民がやりたくない仕事を、望んでやるのならば、死刑の代替として、私は許容できる。もちろん、それは本人の意思による選択としてであるが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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