人間性は能力ではないのか ソト騒動で考える

 ニューヨーク・メッツのフアン・ソトを軸とした騒動にyoutubeは賑わっている。かなりのフェイク・ニュースが氾濫しているが、騒動であることは間違いないようだ。
 今回の騒動のきっかけは、メッツの中心選手であるディアスとアロンソがいずれもFAから、それぞれドジャース、オリオールズに移籍したことであった。そして、それぞれ記者会見で、メッツの球団としての雰囲気が壊れ、とくにソトによる仲間性の破壊となるような、人への敬意を払わない態度が、耐えられなくなったと両人ともに語っている。こういうことは、記者会見での発言であり、また、たくさんのyoutubeが発信しているので、おそらく正しいのだろう。
 そして、きっかいな情報として、メッツはソトを解雇し、同じニューヨークのヤンキースが契約をしたのだが、主力選手であるジャッジの猛抗議によって撤回したというのである。これは、ほぼ信じることができない情報だろう。youtubeの大リーグ情報をみていると、何度も解雇された監督や放出された選手がいる。そうしたいいかげんな情報はすぐにわかるので、もちろんたまともに受けとらないが、ただ、このソト騒動で行われていたソト批判の様式について、疑問がある。
 それは、スポーツ選手の資質として、才能・努力などを含めての能力と、人間性があるというのである。常識的にはそうだろう。しかし、ここで人間性と言われていることは、その多くの部分が能力の一種ではないかと思うのである。
 大谷は人間性がよいので、チームの雰囲気をよくし、また、大谷と一緒にプレーしたいという選手もたくさんでてくるというのだ。それは確かにそうだろうと思うのだが、しかし「人間性」とは何だろうか。伝えられる大谷の人間性は、誰にもしっかり挨拶する、試合の間はみなを励ましている、トラブルでも冷静で激した対応をしない、めでたいこと、不幸なことがあると、当人にさまざまな贈り物などをする、等々。そして、人一倍練習する。こうしたことは、一緒にプレーしている選手たちがみな口をそろえていっていることなので、事実だろう。
 しかし、挨拶したり、試合中に励ましていれば、それだけでチームがまとまるわけではないだろう。やはり、そこには、大谷独特のニュアンスがあり、それが他の選手たちに伝わっている。つまり、コミュニケーション能力として分析したほうがよいと思うのである。
 スポーツだから、数値化することが容易な部分が大部分であるが、やはり人間の行為には数値化は難しいが、しかし、能力の一種であると考えられるものがあると思う。そういう能力を可視化する研究が必要だといいたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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