腰痛克服記2

 前回の報告から、かなり日数が経過した。腰痛が起きたのが9月、10月に演奏会があったので、さすがに知人の整体にいき、みてもらった。かなり荒療治のような感じだったが、なんとか、翌々日の演奏会は乗り切った。そして、その後、中山道が国道化された部分をたどる旅行にでかけ、その間、ずっと運転していたので、かなりきついと覚悟していたが、思ったほどではなかった。もちろん、それでよくなったわけでもない。
 そして、腰痛対策は、1週間弱の旅行から帰ってから、本格的に始めた。
 前回は、痛みが出ても、なんとか緩和する方法がわかったということまで書いた。しかし、肝心のことは、なぜ腰痛が起きるのかということだ。もちろん、原因は、人によってかなり違うので、自分がどうなのか。整体では、原因などについては、まったく教えてくれず、チェックなどもしなかった。youtube情報では、整形外科にいっても、あまり原因はわからないという。確かに、他のことで、何度か整形外科にかかった経験はあるが、納得できるような原因説明と、対処法を教えてもらった経験がない。極端ないい方だが、痛いんですか、じゃ、この薬塗ってください、という程度だ。皮膚科だと、塗り薬をもらって、指示通りに塗っておくと、確かに症状が改善する。しかし、整形外科の場合には、これまでは、ほとんど薬が効いた感じがなかった。ということで、やはり、医者にいって、治療しようという気は全くおきない。それで、腰痛対策の本やyoutubeを、かなり調べまくった。

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ウィーン・フィルは最高峰のオーケストラ?

 「厳選クラシックチャンネル」というyoutubeサイトが、「【徹底解剖】ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の魅力がわかる 世界最高峰の楽団の歴史や特徴を解説」https://www.youtube.com/watch?v=hOffU69BzSk
という番組を提供していた。非常に若い女性が解説しているのだが、説明がえらく古めかしい感じがしたので、感想を含めて、ウィーン・フィルについての個人的な見解を述べたい。
 
 ウィーン・フィルの魅力を、楽器がすべて楽団所有であって、基本ウィーンで制作されており、ウィーン・フィル独特の音を、楽友協会のホールとあいまって作り上げていること、以前はオーストリア人男性、ウィーン音楽院の卒業生に限っていたことでわかるように、共通の音楽スタイルをもっていること(もちろん、現在では、女性も外国人もいる。おそらく、ウィーン音楽院の卒業生に限定もしていないと思われる。)、オペラ劇場のオーケストラが母体であること、室内楽なども盛んであること、などによる、楽員同士の緊密で柔軟なアンサンブルなどが指摘されていた。解説者は、今来日しているウィーン・フィルの演奏会に行ってきたようで、感激したと語っていた。

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岸田対安倍の死闘?

 「お前はもう死んでいるとばかりに…岸田首相が安倍元首相に“嫌がらせ”で関係悪化を 心配する声」という記事が、デイリー新潮(2021.11.8)に出ている。自民党内部の権力闘争にはあまり関心がないし、どうでもいいが、さすがに、元最高権力者と現最高権力者の争いとなれば、関心をもたざるをえない。題名のごとく、重要人事を岸田首相が、安倍元首相の意志に逆らって決めつつある状況を、記事は「心配」しているわけだ。
 しかし、本当に、岸田首相が安倍氏の意向を無視して人事を進めているなら、大いに応援したいどころか、もっと先に進んでほしいとすら思う。
 二人の関係は、周知のことだが、長いこと岸田氏は、安倍首相からの禅譲を期待して、忠犬のごとく振る舞ってきた。しかし、一向に禅譲の気配はなく、前回の総裁選、つまり安倍氏自身が政権を放り出したときには、さすがに岸田氏を推すのかと思いきや、安倍氏は菅氏を推薦して、圧倒的な差で菅首相が誕生した。岸田氏は、再起不能とまで言われたものだ。

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野党共闘は失敗だったのか2 共産党への要望

 
 11月6日付けのJBpressに舛添要一氏の「惨敗の立憲民主党、共闘はフランス社会党に学べ」という記事が出ているが、何度 読んでも、フランス社会党のどの面に学べばいいのか、はっきりしない。舛添氏によると、1968年5月革命への対応に失敗したフランス社会党は、1972年に共産党とともに共同政権綱領を採択し、74年の大統領選挙では、敗れたもののミッテランが左翼統一候補として躍進した。しかし、共産党が共闘への利益がないと、社会党と袂をわかったので、社共連合で弾みがついた社会党は、81年に政権を獲得したと事実経過を述べたあと、今回の野党共闘には、どのような政権をつくるのかの青写真がなかったと指摘しており、国民民主が参加していなかったといっている。
 この記述で、どのようにフランス社会党から学べばいいのか、少なくとも私にはよくわからない。共産党と協力して、政権綱領を作成し、共同での大統領候補をだして、敗れたが躍進、共産党の離脱、フランス社会党の拡大、そして政権奪取ということだが、今回の立憲民主党が、「政権綱領」を作成しなかったことが問題で、作成するようにという提言なのか、共産党と協力して、力をつけたら単独で政権奪取を目指せ、ということなのか、頭脳明晰な舛添氏らしからぬ駄文である。このあと、立民が単独で政権をとるのは無理だから、他も含めて野党が生まれ変われるかだといっているのだから、フランスの例はあまり参考にならないのではなかろうか。

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野党共闘は失敗だったのか

 総選挙については、「責任のとり方」について考えてみたが、賛否両論ある野党共闘について考えてみる。自民党の政治は、とにかく一端はとめてほしいと思う立場からの見解なので、その点ははっきりさせておきたい。自民党の支持者であれば、今回の野党共闘は、失敗そのものであったろうし、内心ほくそ笑んでいるかも知れない。そういう立場からすれば、立憲民主党が共産党と組んだことを、失敗の最大の理由となる。もっと穏健になれということだろうか。
 立憲民主党以外には、現在の時点で自民党政権にとってかわる可能性をもった政党はないから、立憲民主党が政権をとるには、という立場から考えてみると、いくつかの可能性がある。
 第一は、立憲民主党が単独で過半数をとって、政権をとること。
 第二に、他党と共闘することで、過半数をとること。この場合、組み合わせとして、大きくはふたつがある。立憲民主党よりは、より保守的な国民民主党や維新と共闘する場合と、共産党、れいわ、社民と共闘する場合である。

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COPは成功するのか 温暖化で儲ける人々

 イギリスでCOP首脳会談が開催され、岸田首相は数時間だけ滞在するという離れ業のような参加をして、とんぼ返りをしてきた。総選挙とその後の特別国会を控えているためだが、とにかく大変な仕事だ。ところで、COPは成功するのだろうか。これまで、世界の首脳が声を大きく主張してきたわりには、目標の達成はおぼつかないようにも思われる。スウェーデンの高校生グレタが、今でも政治家たちは偽善的で、しなければならないことを回避していると非難している。おそらく、世界の指導者たちが、努力を表明しているのだから、真剣なのだろう。しかも、今年度のノーベル物理学賞は、気候変動のモデルをつくった真鍋氏が受賞したが、これは、世界の科学者たちが、温暖化ガスと人間の活動による気候変動が、本当に深刻な状況になっていると、大々的にアピールしたようなものだろう。
 しかし、残念ながら、それとはまったく異なる動きもある。そのことを少し考えてみたい。

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国民の教育権論の再建2 堀尾論の検討2 自由権と社会権

 国民の教育権論の再検討として、今回は、自由権と社会権の関係、そして、学習権を認めることは、具体的にどのようになるのかという点を考察する。
 
 教育権を論じるときに、教育の自由や教育を受ける権利(就学権)を並列して論じているが、しかし、「教育の自由」は、当然自由権に属し、教育を受ける権利と国家による保障は社会権に属する。自由権は国家の不干渉を求める権利であり、社会権は国家の関与を求める権利である。従って、「教育の自由」と「教育を受ける権利」は、並列して成立する概念ではない。教育を受ける権利は、国家が学校を建設し、教師を養成して、子どもの教育を保障することである。
 他方、教育の自由は、その範囲は広く、最大限で考えれば、「学校設立の自由」「教育内容制定の自由」「教師の教授の自由」「親・子どもの学校選択の自由」等を含む。そして、これらを並列しているだけでは、実は、「教育の自由」は現実的な権利にはならない領域が多いのである。並列ではなく構造化が重要になる。
 例として「学校設立の自由」を考えてみよう。現在、日本も含めて、ほとんどの先進国では、私立学校を設立する自由が認められている。しかし、日本では、学校教育法に規定された一条校としての私立学校を設立するためには、極めて厳しい設立基準があり、一般の人が学校を設立することは不可能といってよい。そうすると、実態としては、学校設立の「自由」は存在しないに等しい。今、教育的理想に燃えて、その実現のために学校を作って、教育活動に邁進したいと思っても、そんなことは事実上できないのである。それは、私立学校を選ぶ権利としての学校選択の自由があるといっても、十分に多様な私立学校があるわけではない。むしろ、高校以上になると、ある部分では、公立の学校にいけないから私学にいかざるをえないという側面もある。

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責任をとること 総選挙から考える

 総選挙が終り、結果は自民党・公明党、そして維新の勝利、立憲民主党、共産党の敗北というところが、注目されている。れいわがゼロから3とったことも注目されるが、「責任論」が話題になっている。自民党は勝利したとされるが、自ら小選挙区で敗北した(比例復活したが)甘利自民党幹事長と、敗北した枝野立憲民主党代表が辞任し、敗北した共産党の志井委員長は、政策は正しかったとして辞任する意志がないことを表明している。責任のとり方として、大きな相違があることが示されたわけだ。私は、結果責任をとらされるような地位についたことがないので、裏事情を想定することも難しいが、しかし、それだけ、公開された情報だけで、冷静に見ることができるかも知れない。
 
 戦後の日本で、最大の「責任」問題として、長く論争されただけではなく、実際の政治や社会に大きな影響を与えたのは、「戦争責任」だろう。これも、極めて特異な処理がされた。

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国民の教育権論の再建2 堀尾論の検討1

 「教育の私事性」論の崩壊について書いてきたが、本家である堀尾輝久氏の論で、見ておこう。 
 簡単に私の問題意識を整理しておくと、国民の教育権論が破綻したのは、「私事性の委託として、教師の専門性が位置づけられる」というが、「委託」を抽象的にしか位置づけなかったこと、そして、実際に文科省から「委託」の具体的な提起(学校選択)されたとき、反対したことによって、論理としても「委託論」を棄ててしまい、私事性論が成立しなくなった。従って、国民の教育権論を再構成するためには、「委託」を具体的な制度構想をともなった論理を構築する必要があるということである。
 今回は、堀尾氏の論を直接検討することで、氏の私事性論の弱点を示したい。
 対象としたのは、『人権としての教育』(岩波書店)の主に第一章で、「国民の学習権」という題がついている。本の初出は1991年だが、この論文は1986年7月で、国民教育研究所編『国民教育』68号に掲載されたものである。

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立民の敗北要因は、政権奪取の意志がなかったことだ

 事前には、与野党逆転には至らなくても、自民党はかなりの議席数を減らし、単独過半数も取れない可能性があり、立憲民主党は小選挙区で勝利して躍進するなどというムードが漂っていた。自民党の内部資料などを使って、一月万冊などは、小選挙区であぶない自民党の候補者を大々的に揶揄するような発言を毎日していた。もっとも、意外と朝日新聞は自民党の健闘と立憲民主党の伸び悩みという指摘をしていたのだが。朝日新聞の元記者である佐藤章氏は、一月万冊で、この朝日の調査にクレームをつけ、国民が望んでいることと真逆のことを書いていてけしからん、ということをいっていたが、国民が望んでいることと、選挙情勢の調査はまったく別物であるのに、そこを混同して怒っていたのが、不思議な感じがした。
 とにかく、多くの大手メディアが自民の苦戦と立民の躍進を予想していたのは事実だ。しかし、事実は全く逆だった。自民は確かに減らしたが、安定多数を確保し、連立の公明党も延ばし、そして、自民の減少以上に維新が伸びたことは、事実上与党は躍進したというべきだ。更に、議席を減らした枝野立民党首と志位共産党委員長は、ともに、野党共闘で自民との対決可能な状況を作り出したのがよかった、と敗北を認めない姿勢をとったことが、おそらく更に批判を呼ぶに違いない。
 
 さて、何故野党、特に立憲民主党は議席を減らすほどの敗北を喫したのか。事前は大躍進するはずだったのに。
 端的にいって、私は、立憲民主党に政権奪取の「意志」がなかった、野党でいいという姿勢だったということだと思っている。

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