ウィーン・フィルは最高峰のオーケストラ?

 「厳選クラシックチャンネル」というyoutubeサイトが、「【徹底解剖】ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の魅力がわかる 世界最高峰の楽団の歴史や特徴を解説」https://www.youtube.com/watch?v=hOffU69BzSk
という番組を提供していた。非常に若い女性が解説しているのだが、説明がえらく古めかしい感じがしたので、感想を含めて、ウィーン・フィルについての個人的な見解を述べたい。
 
 ウィーン・フィルの魅力を、楽器がすべて楽団所有であって、基本ウィーンで制作されており、ウィーン・フィル独特の音を、楽友協会のホールとあいまって作り上げていること、以前はオーストリア人男性、ウィーン音楽院の卒業生に限っていたことでわかるように、共通の音楽スタイルをもっていること(もちろん、現在では、女性も外国人もいる。おそらく、ウィーン音楽院の卒業生に限定もしていないと思われる。)、オペラ劇場のオーケストラが母体であること、室内楽なども盛んであること、などによる、楽員同士の緊密で柔軟なアンサンブルなどが指摘されていた。解説者は、今来日しているウィーン・フィルの演奏会に行ってきたようで、感激したと語っていた。

 私自身は、コンサートでウィーン・フィルを聴いたことはないが、クラシカ・ジャパンの抽選にあたって、サントリー・ホールでのリハーサルをみたことと、アバド、クライバーで来日したウィーンオペラの3つの演目を聴いたことがある。リハーサルのときの指揮者はドゥダメルだった。リハーサルのときは、席が舞台に近い前のほうで、しかも右側の端だったことと、現代作曲家の曲のリハーサルにほとんど時間がさかれ、モーツァルトとドボルザークは、ごくわずかしか練習せず、そのあと、ながながと作曲者がウィーン・フィルの団員に対して、話をしていたので、ウィーン・フィルの魅力を味わえた気がしなかった。
 オペラは、アバドで「ボリスゴドノフ」(NHKホール)、「フィガロの結婚」、クライバーで「バラの騎士」(東京文化会館)だった。いずれも、超のつく名演だったが、やはり、比較的沈んだオーケストラボックスで演奏しているので、これもまた、これがウィーン・フィルなのか、と少々不満な響きだった。映像で見る限り、ウィーン国立歌劇場のオーケストラボックスは、それほど深くないような気がするのだが。やはり、舞台上のオーケストラとオーケストラボックでは、かなり響き具合が違うし、また、レコードやCDで聴く音は、けっこう加工されているので、その違いも強く感じた。
 
 youtubeでの解説に戻るが、さかんにウィーン・フィルが世界最高峰のオケであることが強調されていた。私は、最近のウィーン・フィルは、ランク付けは好まないが、他のオケと比較して、それほど優れたオケとは思えなくなっている。それに、驚くほど、CDなどで最近の録音が紹介されることが少なくなっている。10年くらい前だろうか、キュッヒェルさんが、ウィーン・フィルの最近事情をインタビーで語っていたのだが、レコード会社からの録音のオファーがほとんどなくなってしまったという。その代わりに、海外への演奏旅行に力をいれているということだった。それは実感として、感じる。以前は、指揮者をかえて、たくさんの新録音が発売されていたが、最近は、少なくとも日本では1年に1枚あればいいほうではないかと思うのだ。ザルツブルグ音楽祭のオペラのライブなどはコンスタントに出ているが、本拠での録音は、滅多にでない。 
 かつてマーラーは、「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけだ」と語ったそうだが、マーラーの時代には、当てはまらないが、現代のオーケストラでは、まさしくその通りだと思う。日常的に活動しているプロのオーケストラは、どこでも、小さい頃から楽器を練習し、音楽大学を優秀な成績で卒業し、かつ、いくつかのコンクールで上位入賞をしていないとメンバーになれない。NHK交響楽団などは、日本音楽コンクール優勝者がごろごろいる。日本の他の楽団も決して劣らない技術をもっている。
 つまり、オーケストラとしての技術では、ウィーン・フィルと同レベル、あるいはそれ以上のオーケストラは少なくないのだ。そういうなかで、録音が活発なオーケストラは、優れた指揮者が常任を務めているところだ。人気指揮者が就任すると、突然録音が活発になったりする。ウィーン・フィルは、そうした変化に対応できていないのではないだろうか。何故なら、ウィーン・フィルは常任指揮者をおかないポリシーを貫いているからだ。それでも、以前は、カラヤン(ベルリンフィル)、ショルティ(シカゴフィル)、など、自分のオケをもっている人、また、バーンテタイン、ジュリーニなどのように、常任になっていないトップ指揮者たちが、さかんにウィーン・フィルに登場して、録音も活発に行っていた。全体としてレコード会社は新録音に熱心だったからだ。
 しかし、最近の優れた指揮者は、自分のオーケストラを育て、そこで録音をして世界に売り出すことに熱心になっている。ウィーン・フィルは所詮たまに客演するオケに過ぎなくなっているのだ。
 ベルリンフィルは、レコード会社に頼るのではなく、自前のレーベルをつくり、更に、演奏会をライブ配信するインターネット活用オケに変化している。アーカイブを利用できるので、わざわざCDにして販売する必要も薄れているわけだ。
 ウィーン・フィルは、録音活動から遠ざかってしまったことで、オーケストラとしての技術も、聴き劣りとはいわないが、普通になってしまったと思うのである。
 更に、明らかに有力指揮者たちから嫌われているウィーン・フィル独自の方式がある。それはローテーション・システムと言われるものだ。たぶん現在でも変えていないに違いない。通常のオーケストラは、練習と本番がセットで、同一のメンバーが参加する。しかし、ウィーン・フィルは、演奏会の回数が少ないためなのか、練習と本番のなかでメンバーのローテーションが行われる。つまり、練習ごとに、そして本番も演奏メンバーが変わってしまうのだ。これを歓迎する指揮者は、まずいないだろう。だから、何人もが変えようしたが、ウィーン・フィルは、自主運営なので、団員の意志がすべてを決定するために、どんな大指揮者でも、要求をはねつけてしまう。少なくともこの点については。多くの指揮者はウィーン・フィルで指揮することは、ステータスだと思っているから仕方ないと受け入れているが、アバドは、これを理由に、ウィーン・フィルとは共演しないと宣言して、以後指揮しなくなった。アバドは、若いころに、ウィーン・フィルのパーマネント指揮者の称号を与えられたと思うのだが。
 このように考えてくると、ウィーン・フィルの未来は、あまり明るくないと思うのだが、どうだろうか。
 
 さて、最後にyoutubeでは、当人の推薦録音を3つあげていたが、これもまたびっくりだった。まず、ベームの70年代のブルックナー8番、ワルターの戦前のマーラー9番、そして、クレメンス・クラウスのウィンナワルツ集だ。どれも解説者が生まれる以前の録音ではないかと思う。個人的な好みとしては理解するが、ウィーン・フィルの魅力を伝える代表盤とは思えない。ウィンナワルツは、当然ウィーン・フィルの独壇場だが、私はボスコフスキーの録音のほうが圧倒的に推薦できる。なんといってもステレオ録音で音がいい。ウィーン・フィルのは魅力は、あの音色なのだから、1950年代の録音では、十分に魅力が伝わらないし、ボスコフスキーは、演奏者としても、また指揮者としても、ニューイヤーコンサートにずっと長く関わっていたウィンナワルツの申し子みたいな人だ。
 それから、確かにワルターのマーラー9番は、ナチスに追われるように亡命する直前の演奏会のライブという、歴史的意味があるが、なにせSP録音だ。ワルターのマーラーなら、フェリアーとの「大地の歌」のほうが、はるかに総合的に魅力的だ。戦後ヨーロッパに戻って、盛んにこのコンビで演奏していたもので、現在でも「大地の歌」の代表的な名盤だから、こちらではないか。
 ベームのブルックナー8番が、ウィーンフィルの魅力を代表する録音かは、少々疑問だが、理解はできる。私なら、カラヤンかショルティを選ぶが。カラヤンのオペラ、特に、「サロメ」「蝶々夫人」は、ウィーン・フィルの魅力を最大限引き出していると思う。
 
 最後に、1980年以降は、ぜひとも勧めたい録音は見当たらないということなのだろうか。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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