総選挙については、「責任のとり方」について考えてみたが、賛否両論ある野党共闘について考えてみる。自民党の政治は、とにかく一端はとめてほしいと思う立場からの見解なので、その点ははっきりさせておきたい。自民党の支持者であれば、今回の野党共闘は、失敗そのものであったろうし、内心ほくそ笑んでいるかも知れない。そういう立場からすれば、立憲民主党が共産党と組んだことを、失敗の最大の理由となる。もっと穏健になれということだろうか。
立憲民主党以外には、現在の時点で自民党政権にとってかわる可能性をもった政党はないから、立憲民主党が政権をとるには、という立場から考えてみると、いくつかの可能性がある。
第一は、立憲民主党が単独で過半数をとって、政権をとること。
第二に、他党と共闘することで、過半数をとること。この場合、組み合わせとして、大きくはふたつがある。立憲民主党よりは、より保守的な国民民主党や維新と共闘する場合と、共産党、れいわ、社民と共闘する場合である。
立憲民主党の先祖ともいうべき民主党は、単独で過半数をとったのだから、その後継政党である立憲民主党が、単独で政権をとる可能性が皆無とはいえないだろう。しかし、政権を奪取した民主党は、段階を経て、複数の政党や政治勢力が合流してできた政権で、自民党に敗れたあと、いくつかに分裂して、その最大のものが立憲民主党である。従って、民主党が政権をとったときとは、政党の事情も変わっているし、政治状況も当時とは重要な点で異なっている。現在の議席数からみて、次回総選挙で、立憲民主党が単独過半数をとれるような前提となる、他党との合同は、現在では起きにくいと考えられる。従って、どの政党と共闘するかという問題になる。そして、国民民主党、維新と共闘するのと、今回のように共産党、社民、令和と共闘するのとでは、まったく違う性質を帯びることになる。もっと、維新や国民民主は、現時点で立民と共闘する意志は示していないので、共産党、社民、れいわとの共闘を維持するかどうか、ということだろう。
今回の共闘の結果としては、単純に失敗だったということにはならない。というのは、これまで無風だった小選挙区で、かなりの部分で共闘が功をそうして逆転、ないし接戦にまで持ち込むことかできたわけだ。そのことの意義を小さくみることは間違いだ。
しかし、共闘がスムーズに進んだわけでもないし、また準備万端整えて、協力して闘ったようにも見えない面があった。枝野代表が、土壇場まで連合と共産党の綱引きに、明確な態度をとりきれないような感じを与えたこと。政策協定が不徹底だったこと、れいわの扱いに問題があったことなど、共闘の効果を減じる対応があったことも見のがせない。
特に、国民民主や連合の非難を受けて、すっきりしない関係のようにみえた共産党との共闘について、今後も揉め続けるだろう。
ところで、まったく政治活動など行っていないから、詳しいことや裏の事情などまったく知らない立場から、つまり、公表されている部分、それから私自身への働きかけなどから考えてみると、小選挙区制での善戦は、やはり、共産党との共闘なしには、達成されなかったように思われる。
私の選挙区も、自民党、立憲民主党、維新の3人が主要な候補で、あと一人、泡沫と言わざるをえない人が一人立候補していた。自民の候補者が非常に強いので、立民候補の可能性は低かったためなのか、立民の宣伝活動はほとんど目立たなかった。それに対して電話がかかってきたのは、共産党からで、小選挙区は立民に、比例は共産党に、という訴えだった。つまり、立民の候補者なのに、電話などの働きかけは共産党のみであり、宣伝カーなども、立民は、まったく出会わなかったのである。だから、接戦というところまでもいかなかったが、それでも、立民の活動家がもっと積極的に動いて、維新の候補者がもっと得票すれば、2位の立民はもう少し接戦に持ち込めたのではないかと思う。
要するに、立憲民主党というのは、選挙活動を担う足がないように思われるのだ。かつての社会党がそうだったように、要するに労働組合などの組織に頼る。2021年3月の段階で、党員は4万人しかおらず、31万の共産党の8分の1である。(いずれもウィキペディアによる)連合の推薦を受けたとしても、実際に投票するのは組合員であり、大企業の正規雇用の従業員である組合員の多くは自民党支持者であると言われているから、立民の選挙のための実働部隊になってくれるわけではない。接戦区を勝ち抜くためには、更に日常的な活動が必要であり、自前の運動員の少ない立憲民主党としては、共産党のような動員力のある組織に頼らざるをえないのではなかろうか。
共産党に関しては、次回にする。