野党共闘は失敗だったのか2 共産党への要望

 
 11月6日付けのJBpressに舛添要一氏の「惨敗の立憲民主党、共闘はフランス社会党に学べ」という記事が出ているが、何度 読んでも、フランス社会党のどの面に学べばいいのか、はっきりしない。舛添氏によると、1968年5月革命への対応に失敗したフランス社会党は、1972年に共産党とともに共同政権綱領を採択し、74年の大統領選挙では、敗れたもののミッテランが左翼統一候補として躍進した。しかし、共産党が共闘への利益がないと、社会党と袂をわかったので、社共連合で弾みがついた社会党は、81年に政権を獲得したと事実経過を述べたあと、今回の野党共闘には、どのような政権をつくるのかの青写真がなかったと指摘しており、国民民主が参加していなかったといっている。
 この記述で、どのようにフランス社会党から学べばいいのか、少なくとも私にはよくわからない。共産党と協力して、政権綱領を作成し、共同での大統領候補をだして、敗れたが躍進、共産党の離脱、フランス社会党の拡大、そして政権奪取ということだが、今回の立憲民主党が、「政権綱領」を作成しなかったことが問題で、作成するようにという提言なのか、共産党と協力して、力をつけたら単独で政権奪取を目指せ、ということなのか、頭脳明晰な舛添氏らしからぬ駄文である。このあと、立民が単独で政権をとるのは無理だから、他も含めて野党が生まれ変われるかだといっているのだから、フランスの例はあまり参考にならないのではなかろうか。

 
 何故、舛添氏の文章をひいたかというのは、結局、野党は共闘しなければだめだ、という結論しかないということなのだ。もともと、二大政党制は、政治が有産階級に独占されていた時代の産物であって、普通選挙が徹底し、様々な政治勢力が政党をつくる時代になれば、二大政党などは現実的ではないのだ。現に、イギリスは、既に二大政党制とはいえないし、アメリカの共和党、民主党は、ともに複数の政治勢力の合体政党である。中選挙区制時代の自民党の様なものだ。したがって、政権は、複数の政党の連合であることが「常態」になっていく。だから、日常的に、どの政党と組んで政権を目指すかを探り、それぞれ政権奪取時の政策を提示していくことが必要なのである。そういう点での不十分さが際立っていたという点では、舛添氏の指摘は妥当だ。
 国民民主党や維新は、自民党の政策との相違点はほとんどないといえるのだから、立憲民主党が政党として立脚点を維持しつつ共闘できるのは、共産党や社民、れいわであることは疑いない。そういう意味で、共闘が失敗だったわけではなく、成果が不十分にしかでなかったということだろう。それが何故なのかを、今後しっかり分析してほしいものだ。
 そういう視点から、共闘に期待する者としての要望を、今回は共産党に対してのものを書いておきたい。
 まず、責任問題を問われて、正しいことをしたのだし、一定の成果があったのだから、責任をとる必要はない、と早々と言い切ったことについては、やはり、疑問をもった人は多いのではないだろうか。そういう指導部に異見を述べることはできないのか、そういう党員はいないのか、という疑問がネット上にだされていたが、それは率直な疑問だろう。当選者数を減らしたのだから、一般的には敗北であり、敗北したら指導者は責任をとるというのは当然だろう。責任をとることが、辞任を意味するとは限らないとしても、ひとつの選択肢であることは間違いないし、辞任以外ならどのような責任なのか、選挙で支持をえる公党であるなら、国民に示す必要はある。
 あくまで外からみている印象に過ぎないが、レーニン時代の帝政下での活動、見つかればすぐに弾圧されてしまうような中での活動スタイルを、全面的にとはいわないが、部分的に引きずっているところがないだろうか。内部での議論を外にださない。レーニン時代はそれが不可欠であったろうし、今でも、党員であることがわかれば、職場で差別されることがあるかも知れないが、少なくとも議員などは、公的に活動している。
 今回の自民党の勝利の大きな要因のひとつが、選挙直前の総裁選だった。もし、総裁選をせずに総選挙に突入したら、確実に自民党は大幅に議席を減らしたに違いない。それを阻止するための総裁選前倒しだったわけだし、それが大成功だったわけだ。そして、重要なことは、総裁選を行ったという事実ではなく、それを国民の前に最大限晒して、選挙戦を演出したということだ。自民党のなかには、実に多様な勢力がいて、それを言論として争っている様をみせた。もちろん、実際には裏側の攻防が大きな意味をもっていたとしても、表で公明な言論活動が行われ、選挙の獲得数で当選者が決まったことは、間違いないし、そのレベルでは実に分かりやすい形で、国民への宣伝となっていた。
 これに対して、公明党や共産党は、あるとき、突然役職が交代したと告げられ、その選出過程でどのような議論があったのかは、ほとんどわからない。こうしたふたつのスタイルを見せつけられた国民が、どちらに親近感、安心感を感じるか、それは明らかだ。民主主義社会とは、そういう感覚に支えられる社会だ。
 
 情報をその都度開示しているというかも知れない。しかし、国民の圧倒的多数は、共産党や社会民主党の政策を知らない。共産党と公明党は、日刊新聞をもっており、確かに情報活動をもっともしっかりとやっている政党といえるのだが、それはあくまでも機関紙を講読している人にとってであって、それはごくわずかな国民しかいない。公明党は与党なので、メディアで頻繁に取り上げられるから、公明新聞を読んでいなくても、公明党の主張を知る機会は少なくない。しかし、共産党の政策がメディアに取り上げられることは稀であるし、共産党の機関紙赤旗の記事が、ネットに流れることも、私は見たことがない。MSNやYAHOOのニュースポータルに記事が出たことは、まずないだろう。サイトが取り上げないのか、赤旗が配信されることを拒んでいるのか、それはまったくわからないが、赤旗が拒んでいるのだとしたら、改めるべきではないだろうか。毎日新聞や朝日新聞の記事が掲載されることは、日常的にあるのだから、公明新聞や赤旗の記事がYAHOOニュースで部分でも、読めるのは、たいへんいいことだ。
 定期購読はどうか。この点で、率直なところ赤旗は残念な状態だ。公明新聞は紙版で月1900円弱、赤旗は紙、電子版、ともに3500円弱だ。電子版ができたのは昨年だったが、電子版ができたら講読してもよいと考えていたので、講読してみたが、3カ月でやめた。私は、毎日新聞と産経新聞を電子版で講読しており、外国の新聞は多数読めるサイトを、勤務していた大学のデータベースで読めるので、そこで数カ国の新聞を読んでいる。毎日は約1000円、産経は600円だ。しかも、新聞だけではなく、様々な余祿の雑誌が読める。それに対して、赤旗の3500円はいかにも高い。しかも、情報量はやはり、かなり少なめだ。いくら研究に役立つとはいえ、年金生活者としては、月3500円の出費は負担に感じる。公明新聞の電子版は、有料なのかどうかわからなかったが、紙は赤旗の半分より少々高い程度だ。これでは、貧しい者の味方といわれても、そうなのかと思ってしまう。政党にとって、政策が柱で、機関紙はその宣伝の最大の手段だ。そういう意味で、機関紙がしっかりしていることは、まっとうな政党である証拠だ。(立憲民主党の機関紙「立憲民主」は、A4の8ページの月刊で、年間2000円だそうだ。まるで機関紙の体をなしていない。前回書いたように、立憲民主党には日常活動やどぶ板選挙をする体制がないことは、ここでもわかる。要するに議員によって成立している政党なのだ。)やはり、あまり負担なく講読できること、講読していなくても、重要な部分は、国民が簡単に読めること、そういう改革が必要なのではないか。購読料を半額以下にすること、ニュースサイトに日常的に記事を提供することが実現できれば、反対ばかりしている政党というイメージを払拭するのに役立つに違いない。
 赤旗は、共産党の重要な資金源だから、そんな値下げはできないというかも知れない。ならば、政党助成金を受け取ればいいと思う。共産党が政党助成金受け取りを拒否しているのは、政策上必要なこととは思えない。政党助成金という制度自体は、私もおかしいと思うし、それに頼らずに活動できることはすごいことだと思うが、しかし、共産党が受け取らない部分は、他の政党がとってしまうのだそうだし、受け取ったとしても、おかしいと思う国民は、ほとんどいないのではないだろうか。助成金を受け取って、赤旗の値段を下げ、もっと普及させることのほうが、政策が国民に行き渡ることは間違いないと思うのだが。
 
 政策としては、ネットを読んでいると、共産党は、自衛隊違憲、天皇制廃止、安保条約廃棄という三点セットが、非現実的な政策で、トータルに選択肢から外れる理由となっている。日本国憲法が提案されて、議論されているととき、9条は非現実的で国家が軍隊をもつのが当然という理由で反対したのが、共産党だから、自衛隊違憲が、軍隊をもたないという政策になるのだと、私自身は理解していないが、しかし、そこを不信に思っている国民が多数いることはまちがいない。
 また護憲を明確にしているならは、天皇制を支持しなければおかしいというのは、ごく自然な考えだろう。天皇が開会を宣言するために、国会の開会式には長らく出席していなかったが、報道によれば、小沢一郎の説得で、開会式に出席するようになったという。戦前の天皇制によって、激しい弾圧を受けたことを受けての天皇制廃止であろうが、平成以降天皇のあり方もずいぶん変わったから、それを踏まえてどうなのか。
 もっとも難しいのは、安保条約問題だろう。以前は、共産党関係者は、アメリカ入国ができなかったが、現在ではできるようになっていると聞いている。そして、アメリカの政治家とも会談をしているとも言われている。詳細は知らないが、そういう積み重ねができていけば、これもまた変わるのかも知れない。もちろん、非同盟ということもありうるのだろうが、ただ、中国やロシアと軍事同盟を結ぶことを志向していることは、これまでの関係からみて、まったくありえないことだろう。そして、屈辱的な日米地位協定の改定には、取り組むのではないだろうか。むしろ、治外法権なども含む地位協定、日本の首都の制空権をもたないなど、そうした明らかに不利益な部分を改善しようとしてない政権与党のほうに、大きな問題があることも事実なのだ。
 
 今回の選挙では、それこそ共闘に対する、事実に基づかない「誹謗中傷」が目立った。誹謗中傷をなくしていく公党のとるべき道は、正確な情報をどんどん国民に浸透させていくこと以外にはない。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です