立民の敗北要因は、政権奪取の意志がなかったことだ

 事前には、与野党逆転には至らなくても、自民党はかなりの議席数を減らし、単独過半数も取れない可能性があり、立憲民主党は小選挙区で勝利して躍進するなどというムードが漂っていた。自民党の内部資料などを使って、一月万冊などは、小選挙区であぶない自民党の候補者を大々的に揶揄するような発言を毎日していた。もっとも、意外と朝日新聞は自民党の健闘と立憲民主党の伸び悩みという指摘をしていたのだが。朝日新聞の元記者である佐藤章氏は、一月万冊で、この朝日の調査にクレームをつけ、国民が望んでいることと真逆のことを書いていてけしからん、ということをいっていたが、国民が望んでいることと、選挙情勢の調査はまったく別物であるのに、そこを混同して怒っていたのが、不思議な感じがした。
 とにかく、多くの大手メディアが自民の苦戦と立民の躍進を予想していたのは事実だ。しかし、事実は全く逆だった。自民は確かに減らしたが、安定多数を確保し、連立の公明党も延ばし、そして、自民の減少以上に維新が伸びたことは、事実上与党は躍進したというべきだ。更に、議席を減らした枝野立民党首と志位共産党委員長は、ともに、野党共闘で自民との対決可能な状況を作り出したのがよかった、と敗北を認めない姿勢をとったことが、おそらく更に批判を呼ぶに違いない。
 
 さて、何故野党、特に立憲民主党は議席を減らすほどの敗北を喫したのか。事前は大躍進するはずだったのに。
 端的にいって、私は、立憲民主党に政権奪取の「意志」がなかった、野党でいいという姿勢だったということだと思っている。

 野党は、批判ばかりして、建設的な提案をしない、とよく批判されるが、それは正しくないし、公平な見方ではないだろう。野党だって、建設的な提案をしている。しかし、建設的な提案をすることと、本気で政権奪取の意志をもって準備し、政治活動をすることとは、かなりの距離がある。そういう意味で、政権奪取の意志を示していなかったといわざるをえないのだ。
 それはどこに表れているか。「影の内閣」をまったく作っていなかったことにある。政権をとって政治に責任を負うことと、野党として建設的な提案をすることの違いはなにか。それは、前者は、政治、経済、社会に関するあらゆる領域についての政策をもち、それを現実と突き合わせながら、絶えず提示、実践、検証していくことであるのに対して、後者は、部分的な領域で政策を提起しているということだ。
 では、前者の取り組みを野党がとれるのか。もちろん、実際の政権を担っているわけではないので、実践はできないが、政策を示し、検証していくことはできる。そして、それを日常的に行っていくためには、やはり影の内閣を設置して、大臣、副大臣、政務官、そして、事務をすべて設置し、日常的に政策立案活動をするとともに、その成果を国会で提示していく。そういう具体的な活動を国民に示していけば、批判ばかりしているのではなく、建設的な提案をもているのだと、実感することができる。
 普段は、疑惑の追求を主にして、目立たないところで、部分的な政策を提示しても、批判ばかりする存在という印象は、やはり変えることはできないし、政策立案と政権担当能力を国民に実感させなければ、選挙で過半数をとることはできないだろう。多少あいまいだが、民主党が政権奪取する前は、影の内閣があったと記憶している。やはり、それだけの準備があったのだ。
 今回の総選挙は、ずっと以前から確実にあることがわかっていた。そして、1年前からは、10月選挙になるだろうと、ほぼ予想されていた。それにもかかわらず、影の内閣をつくろうとしなかった。作れという声はあったはずだ。しかし、それに答えようとしなかった枝野執行部には、政権奪取する意志がなかったと判断せざるをえなかったのである。今回の敗北は、当然の結果だったといえるだろう。
 次の総選挙で勝利したければ、早急に影の内閣を発足させ、そこでの活動をどんどん国民に示していくべきである。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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