雑感3 酒問題2

 コロナ対策で、とにかく政府による飲食店への攻撃がやまない。そして、中心は、酒の提供だ。常識的にみて、大勢で酒を飲めば、気が大きくなり、大声で話すようになるから、感染拡大の要因になるというのは、わかりやすい。しかし、他方、飲食店が感染の場になっている事例は、極めて少ないという統計もある。
 酒に関しては、ついに、金融機関に、違反している店にはそれなりの対応をせよという申し入れをするまでになっていたが、大きな批判で取りやめにはなったようだが、卸売業者に対して、酒を卸すなという要請は、現時点でまだ撤回していないようだ。両方とも、とんでもない暴挙である。(今日のテレビで橋下徹が、国民が馬鹿だから、こういう無理難題になんら抵抗しないでいる、それを改めねばだめだ、というような発言をしていたが、このふたつの要請については、両方とも、金融機関や卸売業者が問題外として、相手にしていない。国民の批判もかなり強かった。つまり、橋下のいうことは、現実にはまったくあっていない。)
 こういう議論のなかで、一月万札だった思うが、禁煙論議が盛んだったころに、ある人(番組では名前が出ていたと思うが、忘れてしまった)が、「次は酒がやられる」と語っていたが、その通りになりつつあるという話をしていた。

“雑感3 酒問題2” の続きを読む

雑感2 テレビ局のリモート・酒類制限は?

1 緊急事態宣言とテレビのリモート
 コロナ禍で、リモートの作業が重要視されるようになった。当然テレビでも、そうした話題が出てくる。だが、コロナ禍で、仕方ないからリモートをせざるをえないということに留まっていたら、リモートの最大限活用とはいかない。
 そういう意味で、最大メディアであるテレビこそ、リモートワークを最大限活用すべきであると、前から思っていた。というのは、アメリカのCNNは、ずっと前から、対談の多くがリモートで行われていた。ずっと前からというのは、私が知る限りということだが、おそらく、CNNというニュース専門局の誕生からそうだったと思われる。というのは、本社がアトランタにあり、政治番組が多いわけだが、コメンテーターや政治家のほとんどは、アトランタに住んではいない。したがって、遠くから参加してもらう必要があり、当然のこととして、リモートの出演になっていた。若干音声などの質は、正規のスタジオよりは悪いが、必要と思われる人は、時間をあわせさえすれば、どこにいても出演してもらえるわけで、内容の充実を図る上では、多いにリモートが役立っている。

“雑感2 テレビ局のリモート・酒類制限は?” の続きを読む

教員免許更新制廃止はいいことだが

 文科省が、教員免許更新制度の廃止を決めたようだ。大変けっこうなことだが、それでよかったよかったというわけにはいかない。根本的な姿勢が改められなければ、別の制度が導入されるに過ぎないからだ。
  まず、報道によって、何がまずかったのかと文科省が認識しているかを確認しておこう。
・夏休み期間を使うことが、時間的、費用的に大きな負担になっている。
・役にたったと考えている教員が3分の1しかいない。
・教壇にたっていない免許保有者が失効することが多いため、産休や育休の代替教員の確保が難しくなっている。
・うっかり失効も多い。(「教員免許更新制廃止へ 文科省、来年の法改正目指す 安倍政権導入」毎日新聞2021.7.10) “教員免許更新制廃止はいいことだが” の続きを読む

天皇のオリンピック開会宣言

 
 オリンピックは強行開催されるようだが、オリンピック憲章には、元首が開会を宣言するという項目がある。日本の場合、元首は絶対的に明確であるわけではないが、このようなときには天皇ということになっている。そして、天皇はオリンピック・パラリンピックの名誉総裁になっている。
 普通であれば、天皇が開会式に出席して、開会宣言をするのだろうが、今回は「普通」ではない。いまだに、中止論が多数ある。そして、注目すべきことに、天皇の意志を拝察するという形で、西村宮内庁長官が、天皇がオリンピック開催によって、コロナ感染の拡大をもたらすのではないかと心配しているという発言をした。そして、その時点で、天皇がワクチンを接種していないことが、明らかになっていた。 
 こうした状況を考えれば、政府、あるいは組織委員会、IOCが天皇に対して、開会宣言を行うことを要請すべきではないという結論にならざるをえない。
 
 西村宮内庁長官の発言をめぐって、大きな社会的論議を呼んだが、いかに多くの人が、天皇制についての誤解をしているかが、明らかになった。しかも、驚くべきことに、その誤解が、正解としていまだに浸透しているように思われることだ。

“天皇のオリンピック開会宣言” の続きを読む

読書ノート『「いろんな人がいる」が当たり前の教室に』原田真知子(高文研)

 歳をとると、本を読んでもあまり感動しなくなってきたのだが、この本は、とても感動した。教育実践録としては、津田八州男氏の『五組の旗』以来だ。原田氏は、神奈川県で小学校教師を30数年勤めたあと、定年退職しているが、この本は、これまで雑誌などで発表してきた素材をもとに、実践の集大成としてまとめたような感じだ。こんな小学校の教師がいるのかと、正直驚いた。
 これほど優れた教育実践書は、滅多にないので、教師のあり方を考えたい人には、ぜひ読んでほしい。
 神奈川県のどういう地域で教師をしていたのかはわからないが、出てくる話は、とにかく、手をつけられないと多くの教師や親が考える子どもを、たくさん抱えて、彼等とコミュニケーションをとりつつ、子どもたち同士の繋がりを、通常のクラスよりもずっと強固なものに形成していく話である。しかし、そういう実践が、すんなりいくはずもなく、どの話も、苦労の連続で、暗中模索のなかで、子どもたちと一緒に考えて、なんとか改善しようという姿勢で貫かれている。
 どんな優れた実践であっても、表面的にそれをまねることなどはできない。そして、原田先生も、最初からうまくいったわけではなく、また、ベテランになっても、それまでいじめられたり、教師に不信感をもっている子どもたちを、直ぐにまとめられたわけではない。悪戦苦闘を繰りかえして、次第に子どもたちを集団としてまとめていったわけである。その基礎には、全生研の民主主義的学級と班作りの理論があることが、随所でわかる。

“読書ノート『「いろんな人がいる」が当たり前の教室に』原田真知子(高文研)” の続きを読む

スマホは脳に悪いという科学的説明があるが?

 ダイヤモンドオンラインに「スマホが頭を悪くすると断言できる科学的な理由とは」と題する文章が掲載されている。(川口友万 2021.7.7)https://diamond.jp/articles/-/275768?utm_source=daily_dol&utm_medium=email&utm_campaign=20210707
 このような議論は多数あるが、これは、「5分間のスマホ利用で記憶に重大な障害(Mobile phone use for 5 minutes can cause significant memory impairment in humans)」(Hell J Nucl Med. Sep-Dec 2017;20 Suppl:146-154 Kalafatakis Fほか)という衝撃的(?)な論文の紹介である。原文の要約はウェブで読むことができるが、川口氏の紹介は、要約に基づいているようだ。簡単に紹介すると、(私も本文を読むことはできなかった)
・健常者64名、軽度認知障害者20人を実験群、健常者36人が対照群とする実験。
・実験群に対しては、最初に10個の単語を見せ、思い出して書いてもらう。
 スマホを使う前・スマホを5分使った直後・スマホを5分使ってから5分後でスコアを比較。

“スマホは脳に悪いという科学的説明があるが?” の続きを読む

雑感1 松坂の引退・子どものオリンピック観戦

 今日は昼間他のことに時間をとられたので、まとまったことを調べることができなかった。それで、雑感をいくつか書くことにする。
 
1 松坂大輔が引退をするという。平成の偉大な投手の引退を惜しむ声が彷彿として起こっているらしい。しかし、私は、遅すぎた引退だと思う。選手としては、晩節を汚したとしかいいようがない。甲子園の試合をほとんど見なかった私だが、松坂のときだけは、何度かみたし、例のノーヒット・ノーランをやってのけた決勝戦はずっとみていた。そのくらい、高校生のときの松坂をすごかったと思う。しかし、その後の松坂は、高校生までの遺産を食いつぶしていっただけで、激しいトレーニングによって、更なる高見に昇ったとは思えないのである。西部という球団は、大スター選手を甘やかす傾向があった。現場の監督やコーチではなく、球団経営者のことだ。鮮明に覚えているのは、まだ新人だったころに、松坂が車での交通違反をして、その身代わりに、付き人をしていた元オリンピック選手だった黒岩が警察に出頭したのである。こんなことは、黒岩の一存でやるはずがないので、球団の指示だったとしか思えない。もちろん、直ぐにばれたが、これで、私の松坂の印象は180度変わり、以後好感をもつことはなかった。

“雑感1 松坂の引退・子どものオリンピック観戦” の続きを読む

メガソーラーシステムへの疑問

 熱海の土石流の災害の原因のひとつとして、メガソーラー設置がいわれているそうだ。もちろん、証明はされておらず、今後の調査にまつことだが、私は常々メガソーラーの設置に疑問を感じている。
 ドライブででかけると、メガソーラーの脇をよく通る。大きな施設ほど、山や森林を切り開いて設置しているようだ。しかし、ソーラーシステムは、火力発電における二酸化炭素排出を減らすとか、原子力発電の危険性をもたない等の利点、つまり、環境に優しい発電であるはずだ。それなのに、森林という二酸化炭素吸収の重要な資源を削って、メガソーラーを設置するのは、本末転倒ではないかと思わざるをえないのである。森林を削ることは、今回の熱海の災害がそうであるかは別としても、当然大雨による二次災害の原因になることは明らかである。
 森林を切り開いて設置するメガソーラーは、厳しく制限すべきであると思う。
 しかも、もうひとつの欠点がある。それは、発電した電力の消費地と遠いことである。規模が大きいものほど、おそらく大都市から離れているはずである。これでは、送電ロスや余計なコストがかかってしまう。

“メガソーラーシステムへの疑問” の続きを読む

1964年オリンピックと比較してみると

 菅首相が、党首討論で1964年のオリンピックを懐かしがった話をして、64年オリンピックが、また話題になっているようだ。そして、64年オリンピックが成功したから、その再現を夢みたいという人々がいるようだ。しかし、64年のオリンピックというのは、それほど、素晴らしいものだったのだろうか。もちろん、それをきっかけに、日本が高度成長を実現し、先進国の仲間入りが可能ではないかという自信をもたらしたことは事実だ。しかし、そんなに単純にいいきることはできないのだ。
 まず、ふたつの違いを確認しておこう。
 何よりも、大きなことは、開催の時期である。64年は10月10日が開会式であった。何故10月だったのか。それは、夏は暑すぎるので、秋にする、そして、過去の統計を調べて、最も快晴が続く時期を選んだのだ。そして、統計の通り、開会式は晴天のなかで行われた。大会中雨が降らなかったと思う。それに対して、今回は、真夏の酷暑のなかだ。真夏は暑いといっても、1960年代より、いまは平均気温が非常に高くなっているし、コンクリート化と冷房の普及で、更に実感の暑さが高くなっている。もし、予定通り、小学生がふたつの駅を歩いて会場に行き、数時間を競技場で過ごし、そして、また二駅を歩くとしたら、死者がでる危険すらある。実際に、数年前1キロの校外学習で歩いて、亡くなった小学生がいるのだ。観客をいれれば、観客のなかから、また、選手からも熱中症患者が多数でるだろう。

“1964年オリンピックと比較してみると” の続きを読む

官僚の劣化はなぜ起きたのか

 経産省の若手官僚が、省内で、しかも業務にかかわる内容での給付金詐取で逮捕され、官僚の劣化がまたまた話題になっている。安倍政権の下でさんざん言われたことだが、ここまでの「劣化」、まさしく劣等な意味での犯罪は、あまり例が内容に思われる。しかも、若手キャリアの犯罪だ。もっとも、彼等の経歴は、典型的なエリート官僚とは違っていて、二人とも、寄り道をしている。Aは、2浪して東大法学部に入学、大学院に進んで司法試験合格後に、入省している。Sは、私立の付属高校から、そのまま上の大学に進学して、メガバンクに就職、その後コンサルティング会社の経営者となったが、分裂して、退社、その後入省である。毎日新聞の報道で、少々不思議に思ったのは、付属高校と上の大学が慶応であることが伏され、銀行名も書かれていない。Aが東大であることは明記されているのに。
 それはさておき、この事件が、官僚の劣化の象徴として扱われていることである。確かにそうなのだろう。この背景として、官僚志望者が年々減少していること、そして、官僚になっても、近々辞めたいと思っている若手官僚が増加していることが、頻繁に報道されてもいる。
 なぜ、こうした官僚の劣化や、その前段階ともいうべき人気の低下が生じているのだろうか。中央公論は、2018年にいくつかの号からの文章を選択して、「徹底検証、官僚劣化--誰が霞が関を「三流劇場」にしたのか」という書物をだしている。様々な分析がなされているが、ここでは、多少異なる観点から私見を書いてみることにする。

“官僚の劣化はなぜ起きたのか” の続きを読む