マスク争奪戦に敗北? 休校措置なのに教職員は勤務?

 AERAdotに「マスクブローカーが暴露『世界的争奪戦に敗れる日本政府』の実情『供給増』はウソだ!」という記事が出ている。一向にマスク不足が解消しない理由が、これでよくわかった。こんなことだろうとは思っていたが、要するに、多くを輸入に頼っているのだから、商品(マスク)を買いつけしなければならないわけだが、購入方式の固執、そして、日々動いている値段の無視、あるいは無配慮によって、購入合戦に負けているから、輸入できないのだということが、媒介しているブローカーによって説明されている記事だ。
 日本の官僚って、いつからこんな無能になったのだろう。おそらく、データ改竄・隠匿や忖度を日常的にせざるをえない状況のなかで、士気が著しく低下しているのだろう。
 理容室やパチンコが、業界やIR絡みであるとの報道もある。
 更に、どうも理解できないのが、学校への対応だ。休校措置をとっているのに、教職員は出勤している。もちろん、学校でないとできない仕事などはあるだろうが、東京などはテレワーク可能な条件があるはずであるし、また、ないとしても、教師は日常的に仕事を家庭に持ちかえってやっている。だから、かなりの人数を在宅での仕事、あるいはテレワークに切り換えることができるはずなのに、ほとんど当然のように、出勤が求められている。子どもの感染を防ぐことは重要だが、教職員の感染を防ぐことだって大事ではないか。地方の学校の教師は、マイカー出勤が多いので、感染の確率は低いかも知れないが、今回緊急事態宣言が出されたのはいずれも大都市を含む自治体だ。特に東京では、車での出勤が禁止されている学校が多いと思われる。だから、職場への往復での危険はあるのだ。教師が感染したら、それだけ休校措置を延長しなければならない。
 政策の趣旨をもっと徹底する必要があるのではないか。
 

学校教育から何を削るか 運動会と合唱祭


Ⅰ 運動会と合唱コンクール

 運動会は、おそらく最も多く、通常の授業を潰す行事なのではないだろうか。
 学校の教師たちは、ほとんどが学校教育での勝者、あるいは、学校時代によい思い出をもっている人たちだから、最も重要視される行事の運動会を削る対象としてあげられると、「えっ?」と言う人がほとんどだ。大学での授業で、運動会の必要性を議論しても、多くが当然あるべきものという見解を示す。
 しかし、実は、運動会こそもっとも嫌な思い出だという人も、少なくないのだ。徒競走をやれば、確実にビリの子どもがでる。いつもビリになる子どもにとっては、運動会は悪夢でしかない。だからといって、私自身、実際にそうした経験があるという学生に出会ったことがないのだが、よく嘲笑的にだされる「全員一緒にゴール」などというのも、もちろん、実際にやるのは馬鹿げているだろう。
 運動会準備が大変であることは、現場でもかなり意識されており、少しずつ運動会を縮小する学校も出てきている。特に、異常気象で5月6月、そして秋でも暑すぎる気温の日が多くなり、練習中に倒れる子どもが以前よりも多くなっていることも影響している。 “学校教育から何を削るか 運動会と合唱祭” の続きを読む

不可解な新型コロナウィルス対策のいくつか

 非常事態宣言が発せられて以降、かえって感染者が増えている。私は、退職の身なので、ほとんど一日コロナ情報に接しており、また、海外の情報もテレビで得ている。そういうなかで、現場で影響力を行使しているひとたちの行動に、理解できないものをいくつも感じる。
 現在、本当に医療崩壊の危機に直面している。というより、既にいくつかの地域では医療崩壊の現象が起きている。今後そうした事態がどんどん進行するだろう。
 何が不思議かというと、そういう現象がおきるという警告を、たとえば、羽鳥モーニングショーは2カ月くらい前から、毎日のように発してきた。そして、そうならないための方策を説明してきた。厚労省との論争などになった番組だから、政府関係者も注目していることになる。どういうことを言ってきたかというと、私なりの理解で整理すると “不可解な新型コロナウィルス対策のいくつか” の続きを読む

有名大病院の研修期間の感染

 大学病院での研修医の研修に際して、禁止されている会食に出て、新型コロナウィルスに感染した例が複数生じている。高い倫理をもっていなければならない医師なのに、と批判が高まっている。
 ふたつの点を考えた。
 医師が高い倫理をもっていなければこまることは、もちろんそうだが、実際の医師が高い倫理をもっている人ばかりであるとは、到底思えない。これは聞いた話だが、ある女子大学のあるサークルが、有名国立大学の医学部の学生と共同して活動していた。そして、新入生歓迎会において、かならず新人たちに大量の酒を強要して、酔いつぶれるまで飲ませる慣習があるというのだ。大学の新入生だから、ほとんどは未成年である。だから、違法行為ともいえるが、まだ飲酒経験のない人に、酔いつぶれるまで飲ませることが、命にかかわる危険な行為であることは、当然医学部の「先輩」たちは、充分に知っているはずである。心底驚いた。もちろん、医学部の学生みんながそういう非常識人間だとは思わないが、集団的、かつ慣習的になると、そこまでやってしまうのだと憂鬱になった。 “有名大病院の研修期間の感染” の続きを読む

学校教育から何を削るか(再) 1 通知表

通知表

 教育と評価はコインの表裏の関係である。教育のプロセスには、必ず評価が背後にある。従って、教師は高い評価能力をもっていなければならない。最も頻繁に行われる評価は、授業のなかで、子どもたちの反応を確認しながら、その理解度を評価している行為である。さらに、テストをしたり、宿題や提出物をチェックしながら、評価をすることで、次の授業につなげていく。もし、評価なしに授業を進めていく教師がいたら、授業の妥当性そのものを疑わざるをえない。
 そうした教師の評価に関する業務は、日常的には、試験の作成・採点(小学校は作成しない。)、宿題のチェック、授業の課題(豆テスト、ワークシート、ノート)のチェックがあり、そして、学期末の指導要領と通知表の作成がある。宿題や授業中のチェックなどを削ることはできないが、通知表は大いに削る余地がある。
 では、どの位これらの作業に時間をかけているのだろうか。ところが、かなり調べてみたが、通知表に関する時間調査を見つけることはできなかった。

通知表にどれだけ時間がかかっているか
 教師の働き方改革について審議している中央教育審議会(2017.6.22)に配布された資料のなかに、次のような調査がある。

教員勤務実態調査(平成28年度)の集計(速報値)について(概要)
    20016 2016
平日
小学校 0:33 0:33
中学校 0:25 0:38
土日
小学校 0:01 0:05
中学校 0:03 0:13

 この調査は、日常的な成績処理であり、通知表作成にかかる時間は含まれていないようだ。また、授業中に行われるチェックなどはカウントしていないと思われる。従って、通知表に費やす時間は残念ながらわからない。 “学校教育から何を削るか(再) 1 通知表” の続きを読む

週2回にペースを落とします

 以前は、biglobeのブログを活用していたのですが、あまり頻繁に書かなくなり、気分一新のために、かつてゼミで利用していたこの場に執筆の場を移して1年と少し経ちました。まだ、大学の勤務があったために、比較的軽い感じの文章を、原則毎日書いてきましたが、正規に定年退職し、懸案の蔵書の自炊も一応緊急にやらなければならない分は済んだので、いよいよ再び研究に重点を移していこうと思っています。従って、この場は、研究の経過報告のようなものにしていく予定です。研究は、それほど日々進むものではないので、とりあえず週2回は報告し、まとまったら電子書籍で公刊しようと考えています。
 もちろん、時々軽い話題で追加に書くことはあるでしょうが、しっかり勉強して書いていくつもりですので、今後ともぜひ読んでください。(予定としては、月と木に掲載します。次回の木曜日から。)

休校中の教育保障 ZOOMへの恐れがあるが

 現状のまま推移すれば、休校措置は延長せざるをえないだろう。もちろん、全国的にではないが、少なくとも首都圏では、通常の形態での授業再開は危険だと思わざるをえない。学校での感染が起こったら、かなり深刻な事態となる。再開するにしても、いろいろな工夫が必要だろう。
 3つの密という概念は、学校の教室ではほぼ当てはまる。密にしないためには、空き教室の活用、部分登校、午前午後の分割授業など、いろいろな形態がありうるし、実態にあわせて、柔軟に対応すべきである。そして、いずれも、遠隔授業との組み合わせが有効であると思われる。
 現在、かなりZOOMの使用が増大しているようだが、他方で、ZOOMはセキュリティ上の問題があるという情報も広まっている。アメリカの企業などでは、使用禁止としているところもあるという。しかし、今、学校で遠隔授業を行うとしたら、やはり、ZOOMは最も便利なツールだろう。 “休校中の教育保障 ZOOMへの恐れがあるが” の続きを読む

無症状・軽症の自宅療養は絶対やめるべき

 ネトウヨたちの番組攻撃は様々だが、最近は、羽鳥のモーニングショーがひとつのターゲットになっている。偏向報道だというのだが、私からみれば、最も適切な情報提供をしているのが、羽鳥のモーニングショーだ。
 ごく最近の話題でいえば、東京都の新型コロナウィルス対応の病床が不足してきていることに関して、番組は、かなり早くから、陽性の無症状、軽症者を、病院とは別の特別施設に収容するという提案をしてきた。ところが、政府はいまだに、自宅ないし施設などといっている。 “無症状・軽症の自宅療養は絶対やめるべき” の続きを読む

「ぎりぎりもちこたえている」本当か?

 いつからか「ぎりぎり持ちこたえている」という発表が繰り返されている。専門家会議が出所なのか、その後安倍首相も、管官房長官も、毎日のように「ぎりぎり持ちこたえている」と宣まっている。しかし、現実をみて、そのように言っているとは、どうしても受け取れない。それは、感染のチェックを、いまだに制限しているから、国民の多くが、公表されている感染者数よりも、実際にはずっと多いと感じているからである。
 「ぎりぎり持ちこたえている」というのは、いったい誰が「持ちこたえているのか」。持ちこたえてほしい一番の存在は、医療関係者だろうが、東京などは、既に、限界をとうに越えていると思う。私は定年退職者なので、出歩く必要もなく、テレビやネットをずっとみているが、東京の医療関係者は、既に、頑張れる限界を越えて、頑張りを強制されているように思えてならない。にもかかわらず、「ぎりぎり持ちこたえている」などと、オウムのように繰り返すのは、いかりすら感じる。 “「ぎりぎりもちこたえている」本当か?” の続きを読む

シューマンのマンフレッド序曲 フルトヴェングラーの名演

 チェリビダッケから始まって、いろいろと昔の指揮者について書いたが、再度フルトヴェングラーについて書きたい。あまりフルトヴェングラーが好きではないのだが、フルトヴェングラー以外の演奏は聴けない、というほど気にいっている曲がひとつだけある。脇圭平・芦津丈夫『フルトヴェングラー』(岩波新書)で、丸山真男が、フルトヴェングラーの演奏には、フルトヴェングラーもいいが、他の演奏もいい、というのと、フルトヴェングラーじゃなきゃだめだという二種類があると語っている。単純に、フルトヴェングラーのはよくないというのもあると思うが、そういうものは、ここに集まった3人にはないようだ。ただ、私にも、フルトヴェングラーじゃなきゃだめだというのが、彼らとは違うが、ひとつだけあるので、それを書きたい。
 そもそも、この曲は、**の演奏でないとだめで、他の演奏を聴くとみんながっかりする、というほどの名演奏というのは、それほどあるものではない。この曲は、**の演奏がベストだというのは、いくらでもあるだろう。しかし、セカンドでもけっこういいのがあるというのが普通だ。もちろん、そこまで気に入るのは、その人の趣味も反映していると思う。私にもいくつかそういうきがある。ホロヴィッツの「クライスレリアーナ」(シューマン)、ハイフェッツの「ツィゴイネルワイゼン」(サラサーテ)、ポリーニの「練習曲集」(ショパン)、ワルター「大地の歌」(マーラー フェリア盤)、アバド「シモン・ボッカクグラ」(ヴェルディ)、カラヤン「蝶々夫人」(プッチーニ フレーニ盤)などである。 “シューマンのマンフレッド序曲 フルトヴェングラーの名演” の続きを読む