いつからか「ぎりぎり持ちこたえている」という発表が繰り返されている。専門家会議が出所なのか、その後安倍首相も、管官房長官も、毎日のように「ぎりぎり持ちこたえている」と宣まっている。しかし、現実をみて、そのように言っているとは、どうしても受け取れない。それは、感染のチェックを、いまだに制限しているから、国民の多くが、公表されている感染者数よりも、実際にはずっと多いと感じているからである。
「ぎりぎり持ちこたえている」というのは、いったい誰が「持ちこたえているのか」。持ちこたえてほしい一番の存在は、医療関係者だろうが、東京などは、既に、限界をとうに越えていると思う。私は定年退職者なので、出歩く必要もなく、テレビやネットをずっとみているが、東京の医療関係者は、既に、頑張れる限界を越えて、頑張りを強制されているように思えてならない。にもかかわらず、「ぎりぎり持ちこたえている」などと、オウムのように繰り返すのは、いかりすら感じる。
こういうなかで、「マスク2枚」という政策が発表された。4月1日のことだから、エイプリールフールかと思った国民もたくさんいるだろう。実は、私も最初そう思った。しかし、どうやらまじめらしい。案の定、アメリカでは笑い物になっているという報道もある。今の政府の対策チームには、「マスク班」というのがあって、各省からの出向者が40名もいるのだそうだ。そして、その「マスク班」から出てきたアイデアということらしい。考えるほうも考えるほうだが、それを受けて、国民に発表する前に、こんなの発表したら、国民からばかにされる、と首相は思わなかったのだろうか。
「ぎりぎり持ちこたえている」と「マスク2枚」を重ねると、安倍内閣とそのチームが、ある種の専門家のいいなりと、ある業界へのおもねりと、思いつきという特質を感じる。
1月から2月、中国で深刻になっているときに、政府はやがて日本で深刻な事態になると思っておらず、あるいは、思っていても重要視していなかった。クルーズ船の対応や中国からの来訪者の制限を、武漢以外しなかったことなどに表れている。検査の制限なども、実態を明らかにするために必要であるにもかかわらず、いまでも保持している。検査で陽性が判明したら、入院させることになっているので、そうすると、医療崩壊が起きるなどということを理由にしているが、陽性者全員を入院させるという方針を改めればいいだけのことであり、実際に、現在そういう措置に変更しつつある。今変更できるのだから、当初から変更することだってできたはずである。検査はしっかりやって、市中感染の実態を明らかにしつつ、重傷者のみを入院させて治療するという方針だって、当初から可能だった。そのように主張する専門家はたくさんいた。無症状、軽症は自宅か施設という方針に切り換えれば、検査の厳格な制限を取り払うのだろうか。
おもねりは、肉券、魚券などに表れた特定業界への配慮、大企業への他に先駆けた対応などに表れている。
思いつきの最たるものは、学校の突然の全国休校だろう。休校措置が必要である状況であったのは、全国ではなかったと考えられるが、より問題なのは、休校がオリンピック開催が困難な可能性が語られた直後に、突発的に出された点である。休校時の子どもたちの学習保障、勤めを休まざるをえない親の経済的補償、外出が不自由になることによる精神的なストレスの対応等、事前にある程度の計画のための時間が必要である。それを一切無視して宣言したのは、熟慮されたものでなかった証拠である。この休校措置を高く評価する者も少なくないが、その多くが、休校措置によって、国民の危機意識を高めたなどという理由が語られていることには、かなり違和感を感じる。
話は多少変わるが、福岡で若いひとたちが出歩いているのを、報道のレポーターたちがインタビューをしている映像をみた。「外出自粛が出ているのをどう思うのか」と聞かれて、「えっ、そうなんですか?知らなかった」と答えていたのが印象的だった。彼らはテレビも見ないし、新聞も読まない。だから、新型コロナウィルスが猛威を振るっているらしいということは知っていても、ずっとテレビやインターネット情報を追いかけている私のような環境とは、まったく違う生活をしている。だから、本当に、深刻さや政府や自治体が取り組んでいることを知らないのだろう。しかし、彼らに知らせる方法を考えねば、彼らが感染を拡大する可能性は小さくないわけだ。
やはり、lineで、アンケートをやったように、ユーザー全員に、情報を流すことが、最も確実な情報伝達なのかも知れない。「ぎりぎりもちこたえている」間に、若者への確実な伝達方法を確立すべきだ。