高速道路の速度制限 120キロにすべき

 先日ドライブに出かけて、高速道路を走っていたところ、制限速度が120キロという区域があった。それもけっこう長い区間だった。120キロで走ることが、実に快適だったので、制限速度について考えてみた。
 日本は長く、80キロという時代がつづいたが、少しずつ速くなり、現在は、原則100キロということになっていて、区間的に110にしたり、120にしたりしている。
 国によって制限速度は違う。現在はまた異なっているかもしれないが、私が走っていた30年くらい前では、オランダが120(区域でかなり細かく指定していた)、デンマークは110、ドイツが指定区域以外は無制限だった。イタリアにも無制限区域があった。
 ドイツのように無制限がいいとは、私自身はあまり思っていない。ドイツの高速道路は、ヒトラーがつくりはじめたもので、非常に古い部分も多く、合流車線が短かったり、見にくかったりする部分も多いし、さすがに200キロくらいだせば、制御も難しくなる。オランダに住んでいたためか、ドイツの高速道路は事故が多かった記憶がある。しかも複数台がからむ事故が多かった。

“高速道路の速度制限 120キロにすべき” の続きを読む

抽選で選ぶ 日本人の感性なのか

 私が所属している市民オーケストラは、毎年12月に市民合唱と合同の演奏会を行う。合唱団と一緒ということは、当然大規模な合唱曲を演奏するということだ。代表的にはベートーヴェンの第九だが、これは3年か4年に一度行い、その間に、毎年違う曲目をやるわけだ。今年は、コロナのためにのびのびになっていたロッシーニの「スターバト・マーテル」を演奏することになっている。
 合唱団は、毎年応募で年ごとに編成するのだが、ずっと、希望者全員を、よほどのことがない限り受け入れてきた。しかし、コロナの影響で、大人数はまずいということになったのか、私は運営ではないのでわからないのだが、コロナ以降の復帰である昨年の第九で、人数制限をすることになった。そして、定員をオーバーしたときには、抽選をします、ということになっていた。そして、それは今年も踏襲された。
 
 私はこの抽選方式に、ずっと違和感を感じている。抽選は、一見公平なようでいて、非常に不公正な方式ではないかと思うのである。もちろん、選抜するもとの人々が決まっていて、そのなかからだれかを選ぶ、しかも、メンバーであれば、基本的にだれでもよい、というときには、抽選もいいかもしれない。古代ギリシャでは、公的な役職を抽選で選んだという。現在の裁判員も一種の抽選である。しかし、外部からの募集で、希望を募ってメンバーを構成するときに、抽選は非常に不公正だと思うのである。

“抽選で選ぶ 日本人の感性なのか” の続きを読む

0歳児の保育・育児

 保育園で、0歳児にすりリンゴを離乳食をとしてあたえたところ、そのあと昼寝中に死亡する事故があった。その事故関連のことではなく、その際に考えたことがある。
 近年は医療の発達で、以前なら死亡してしまう人が、赤ちゃんであれ、高齢者であれ、死なずにすむことが多くなっている。だから、0歳児が死んでしまうことは、滅多に起きないが、実は、数十年前までは、生後1年未満で亡くなる子どもは、少なくなかったのである。私が子どもの頃住んでいた家のとなりは、ある会社の社長が住んでおり、とても豊かであったし、長男は健康優良児のコンテストで入賞したような赤ちゃんだった。しかし、一歳になる前に、死んでしまったのである。事故ということはなかった。おそらく、自然の摂理として、弱い子どもは0歳までで亡くなり、1歳の壁をくぐり抜けた者は、長く生きられるというような自然の仕組みがあったのかも知れない。医療は、その壁を人為的にかなり破ったのだといえる。
 しかし、そうはいっても、0歳がまだまだ安定した状態ではないことは、まちがいないのではなかろうか。

“0歳児の保育・育児” の続きを読む

後期高齢者間近

 もうじき後期高齢者になる。やはり高齢者関連の記事は気になるものだ。影響はされないが、いろいろと考えるところがある。
 最近、孤独死はそんなに悪くないという記事があった。高齢者にとって、子どもや孫に囲まれて暮し、家族に看取られて死ぬのが幸せだという「常識」があるが必ずしもそうではないという趣旨の記事だった。
 当たり前だというのが、感想だ。私の妻がかかわっている老後を望ましく送ることを考える団体は、この「常識」派で、在宅医療、在宅介護、在宅での看取りを推進しようという考えを核にしていた。最近は、かわってきた部分もあるようだが、ずいぶんと議論したものだ。それが可能で、うまくいく条件に恵まれているなら、それがいいのだろうが、そうした条件がない者もいる。むしろ、条件がない人のほうが多いに違いない。極端にいえば、ずっと独身、あるいは配偶者が既に死んでいる、子どもがいない、あるいはいても遠くに住んでいる。そういう人にとっては、そもそも「常識」実現の条件がないわけだ。他にも、夫婦二人とも介護が必要で、充分なヘルパーなどの介護をえられる条件にない、等々、さまざまな形がある。そうした人で、施設にはいったほうがいいと考えている人は、いくらでもいるだろう。

“後期高齢者間近” の続きを読む

CMで考えること

 テレビをみるときには、NHK以外は当然CMがはいる。時間帯によって、はいるCMの性格が異なるのだが、特に昼間の若者向けのCMは、何を宣伝しているのかわからないものが多い。私の年齢のせいとも思えない。むしろ、今はCMの手法が変ってきているのだろう。とにかく会社名を連呼するだけのCMがある。何を作っている企業なのかもわからない。また、製品名をいうが、何の製品なのかもわからない。ずいぶん前の話だが、「なんである、アイデアル」ということをいうだけの宣伝があった。ある程度の年齢以上のひとなら、だれでも記憶しているだろう。若いひとには、まったく通じないだろうが、この宣伝はすごく話題になり、アイデアルという商品がもの爆発的に売れたといわれている。アイデアルというのは、傘の商品名だ。傘を買おうと思って、何にしますかと聞かれて、ついついアイデアルと答えてしまい、売れ行きが伸びたというのだ。「愛である」とも聞こえて印象的なのだ。テレビCMで売り上げが伸びた、ということは、以前はよくあったが、今ではどうなのだろうか。むしろ、CMの形態が変っているのか。

“CMで考えること” の続きを読む

カスハラ?

 カスハラという言葉があるそうだ。「「お客様は神様ではない」 秋田のバス会社“クレーマー反論広告”に見る、カスハラ被害の深刻さ 暴言は拳よりもタチが悪い」をみるとけっこう深刻だ。
 カスハラとは、カスタマー・ハラスメントの略だそうで、要するに無理難題をいう消費者のクレームに、業界がとても悩んでいるということだ。もちろん、そういう事実は知っていたが、カスハラというのだということは、今回初めて知った。様々な分野で、ずいぶん前から大きな問題になっていると思う。交通機関や病院などが、そのクレームの酷さがよく話題になっていたと思う。「お客様は神様」という建前で、できるだけ下手にでていたが、今後はクレームの不当さを指摘していくという姿勢を表明したものだ。

“カスハラ?” の続きを読む

駐車券の便不便

 駐車場に入るときに、駐車券をとったり、あるいは料金を払ったりするときに、いろいろと不便なことがある。それに対応する器具などもあるようだ。そうした駐車券や料金支払いの方法によって、駐車場の利用しやすさは、大きく影響される。ヨーロッパで生活していたときには、言葉の問題もあり、そもそもどのように利用するのかが、よくわからないことがけっこうあった。そういうときには、以外に他の利用者が教えてくれることが多かったのだが。日本でもわかりにくいことがある。

“駐車券の便不便” の続きを読む

町内会の仕事

 おそらく、日本中に「町内会」なるものがあるに違いない。団地などは、団地内での似たような組織があるはずだ。私が属している班は15戸で成り立っているので、15年に一度は班長なるものをしなければならない。具体的に何をしなければならないのかは、まだ十分に把握していないのだが、回覧板を廻すというのが、日常的には、もっとも目立つ仕事のようだ。そして、今日、最初の回覧板を廻してきた。そして、次は、会費の集金なので、その告知を含んだ回覧だった。
 別に班員の仕事というのもある。ゴミ収集のあとの掃除である。これは、一週間交代になるので、年に数回回ってくる。特に、生ゴミの収集の際に、しっかり網で覆うことをしないまま出すと、ほぼ確実にカラスが生ゴミをつつきにくる。そして、そのあとは、ゴミが散乱することになる。私の地域では、そうしたことは、あまりないが、皆無というわけではない。カラスは黄色を嫌うということで、黄色の網をかぶせるのだが、ゴミの量が多いと、どうしてもはみ出してしまう可能性がある。いずれにせよ、収集のあとは散らかっているので、掃除をするわけだ。週3回だ。

“町内会の仕事” の続きを読む

75歳の壁

 「心身に大変化「75歳の壁」をどう乗り越える?」という、まさしく75歳にもうじきなる人間として、興味を惹かれる題名の文章があった。
 書いた人は西川敦子というフリーライターとなっており、元神戸松蔭女子学院大学教授で中高年のキャリア・生き方を取材し続ける作家・楠木新氏(68)にインタビューした記事である。掲載が3月26日だから、けっこう前の文章だ。すぐに書こうかと思っていたのだが、正直なところ、内容に失望したので、書かずにいたのである。
 まずがっかりしたのは、筆者はけっこう若い人であるらしく、教える立場の被インタビュアーも68歳であり、なんで、75歳の壁についてのべられるのか、と感じたからにほかならない。そして、実際に、読んでみても、実に薄っぺらいのだ。こんなことを語る講演会にたくさんの高齢者が集まっているらしいことに、逆に驚いてしまう。

“75歳の壁” の続きを読む

羽鳥モーニングショー玉川氏復帰

 4月新年度になったからなのか、玉川徹氏が、羽鳥モーニングショーに復帰した。これまでは、単発的な復帰だったが、以前のような連日のコメンテーターということらしい。玉川氏の撤退によって、いい意味での羽鳥モーニングショーの面白さが、大分薄れていたことは間違いないから、復帰は、歓迎すべきだろう。といっても、テレ朝のそもそもの体質なのか、安倍政権などに睨まれていたからなのか、ネトウヨと言われるひとたちが攻撃するほど、テレ朝は、自民党政府に批判的ではないし、羽鳥モーニングショーも、特に昨年の統一教会問題での消極性で、その弱腰が顕著に見られた。あまりにWBCにのめり込み過ぎなのも気になっていた。石原、山口など、明らかに保守的なひとがレギュラーにいるし、安倍親衛隊だった田崎氏なども、頻繁に登場していた。玉川氏がいなかったとき、明確にリベラルといえるのは、浜田氏くらいだったのではないだろうか。そういう意味で、玉川氏の復帰によって、バランスを回復したように思う。

“羽鳥モーニングショー玉川氏復帰” の続きを読む