後期高齢者間近

 もうじき後期高齢者になる。やはり高齢者関連の記事は気になるものだ。影響はされないが、いろいろと考えるところがある。
 最近、孤独死はそんなに悪くないという記事があった。高齢者にとって、子どもや孫に囲まれて暮し、家族に看取られて死ぬのが幸せだという「常識」があるが必ずしもそうではないという趣旨の記事だった。
 当たり前だというのが、感想だ。私の妻がかかわっている老後を望ましく送ることを考える団体は、この「常識」派で、在宅医療、在宅介護、在宅での看取りを推進しようという考えを核にしていた。最近は、かわってきた部分もあるようだが、ずいぶんと議論したものだ。それが可能で、うまくいく条件に恵まれているなら、それがいいのだろうが、そうした条件がない者もいる。むしろ、条件がない人のほうが多いに違いない。極端にいえば、ずっと独身、あるいは配偶者が既に死んでいる、子どもがいない、あるいはいても遠くに住んでいる。そういう人にとっては、そもそも「常識」実現の条件がないわけだ。他にも、夫婦二人とも介護が必要で、充分なヘルパーなどの介護をえられる条件にない、等々、さまざまな形がある。そうした人で、施設にはいったほうがいいと考えている人は、いくらでもいるだろう。

 また、健康長寿のひとたちにとってみれば、一人暮しは気楽でいいに違いない。
 子どもや孫と一緒に住んでいても、三世帯住宅は、成長過程の異なるひとたちの集まりだから、トラブルも多いようだ。昔のように、大家族が一般的で、ずっと一緒に複数世代が同居して、それが当たり前になっているような時代は別として、現代では、親夫婦が高齢になったから、一緒に住むことになることが多い。子ども夫婦にとっては、住宅費用を親にだしてもらえるという利点がある場合も多いだろう。しかし、そうした場合、必ず、一人は、まったく違う育ち方をした人がいるし、また、子ども夫婦が独立していた間に、親夫婦とは異なる生活感覚になる可能性もある。そうした場合、よほど生活スタイルの配慮をうまくしないと、トラブル頻発になるわけだ。そういう例は少なくないに違いない。
 
 それに、社会全体の傾向として、個の重視が進んでいる。多くの生活時間を共有するよりは、個別に部屋にわかれて、それぞれのことをするのが、一般化してくる。テレビ、ラジオ、スマホ、パソコン等々、多くが個々に所有していることが多くなったろう。いまどき、固定電話が一台あって、それをみんなで共有している、などという家庭は少数派に違いない。それぞれの時間帯も同じではない。
 そうした生活スタイルと感覚のずれを、トラブルの原因としないためには、けっこうさまざまな配慮が必要である。そして、そのことを認める感覚も必要だ。家族は一緒に**すべきなどということを、一方的に押しつければ、うまくいかないことが多いのだ。
 実は、我々夫婦は、妻の母と同居するために、現在の家に移ってきた。しかし、それぞれの空間をきっちりわけていたために、トラブルはまずなかったといえる。間逆の実例も、間近にあった。
 要は、現代においては、多様な生き方が基本であり、それを互いに認めることだ。
 
 さて、後期高齢者になると、私にとっては、まず考えねばならないのは、車の運転に際して、高齢者マークをつけるかどうかが問題だ。つまらないことを気にするようだが、他のことは、ほとんど変化がなく、これまで通りをとおせばよいので、大きな変化、当面考えねばならないことは、このことだ。義務ではないにせよ、多くの高齢ドライバーは、高齢者マークをつけているだろう。これは、誕生日というはっきりとした時期区分がある。すぐには結論がでそうにないが。
 高齢者マークをつけると、利点があるのだろうか。まわりの車が気をつけてくれるので、安全運転がしやすいという意見もあるが、嫌がらせを受けやすいのではないか、という危惧もある。ただ、ほんとうに重要なのは、マークをつけることではなく、安全に運転するために必要な感覚、技術等々を、きちんと保持できるか、それを自分なりに判断できるかということだろう。現在のところ、あまり衰えは感じないが、向上することはほぼ不可能なのだから、どこかで見切りをつける必要があるだろう。高齢者マークは、そのための踏ん切りをつけさせるためのものなのか、などとも考える。
 私がいまでも車を保持しているのは、オーケストラに参加しているからだ。楽器がチェロなので、担いで公共交通機関を乗りついでいくのはきつい。駅から練習会場までは、けっこうな距離歩かねばならない。チェロのほとんど、ダブルベースの全員は車だ。市民の合唱団の多くは高齢者が多いが、オーケストラは、どこでも若い人が圧倒的に多い。高齢者マークをつけてやってくるメンバーは、いまのところいない。これが考えてしまう理由でもある。
 
 今回は、少々つまらないことを書いてしまった。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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