肉は好きなだけ食べていい?

 少々古い記事になってしまったが、毎日新聞の10月22日付けで「 肉は好きなだけ食べていい? 新食事指針に批判続々」という大西睦子氏の文章が掲載さている。栄養学者らの国際研究チームが、こういう結論の研究を発表し、批判も出ているという内容だ。これまでの見解は、「 「赤い肉」と呼ばれる牛、豚、羊、馬などの獣肉や、「加工肉」と呼ばれるハムやソーセージは、食べ過ぎると、2型糖尿病や心血管系疾患、がんにかかるリスクや、早死にするリスクを高めることが、これまでの多くの研究で示されてきました。」という見解がほぼ常識的なものだった。しかし、この研究では、減らす必要はなく、多く食べる人と少なく食べる人の健康上の問題は、ごくわずかしか違わないという結論になっているのだそうだ。面白いのは、研究方法で、栄養学は、自然科学的な手法で実験をするのかと思いきや、完全に文献調査なのだそうだ。さまざまな研究調査の結果を精査したということなのだろう。
 ただ、常識的にいって、どのような食べ物でも、食べ過ぎがよくないことは明らかで、肉の食べ過ぎだけが悪いわけでもないだろうし、必要な栄養価やカロリーを考慮して、適当量を食べれば、いいのではないかと単純に考える。大部前の知り合いだが、毎日ビフテキを1キロ食べていて、すっかり健康を害した人がいた。健康維持、あるいは病気にならないようにするためには、食事だけではなく、運動やストレスなど多様な要因があるわけだから、食事だけを切り取って考察しても、あまり意味はない。
 ただこの記事を読んで、多少違和感をもった。書いた人が内科医だから当然ともいえるが、肉を食べることの是非については、私は栄養面よりも環境問題として考えている。 “肉は好きなだけ食べていい?” の続きを読む

「いじめで退学」が認められなかった?

 11月15日の西日本新聞に「 いじめ認定に「二重基準」 福岡の女性、退学届拒まれ苦悩」という、すっきりしない記事が掲載されている。記事でも「首をかしげる」という表現が使われているので、記者にも、不思議な感じがしているのだろう。しかし、後半部分については、問題があるので、書いてみる。
 記事の内容は、次のようなことだ。
 県立高校一年のYさんが、10月の定期試験がよく、友人Aに「試験どうだった?」と聞くと、「察して」と言われ、相手を傷つけたと思い不安になって、教室にいられなくなった。保健室にいるとAさんとBさんが昼食に誘ってくれたが、Bさんは口をきかない。別の日友人と昼食をたべていると、Bさんがお菓子を配ったが、Yさんと何人かには配らなかった。いじめと感じた母親が学校に連絡、学校はBさんから「悪気はなかった」と回答をえたが、保健室と食事のときのことをいじめと認定した。Yさんは不登校になり、SNSでもこじれてしまい、退学届けを提出した。理由は、「いじめ」だった。
 高校側はいじめを理由とする退学は認められないということで、「トラブルのため」と理由を変更して12月に退学が受理された。
 これが事実関係である。
 この経過を見て、なるほど退学せざるをえないほど、大変だったんだろうな、と感じる人は、おそらくあまりいないに違いない。 “「いじめで退学」が認められなかった?” の続きを読む

Cowconspiracyを見て 温暖化と畜産を考える

 次回国際社会論で「アグリビジネス」を扱う。その準備のために、酪農問題を扱ったCowconspiracyというドキュメント映画を見た。
 それを書く前に、渡辺正氏の「温暖化対策100兆円をドブに、日本はバカなのか?」という文章について簡単に。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58217?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top
 氏によれば、地球温暖化の主張は「オカルト」のようなものなのだそうだが、世界の科学者の多数が肯定している主張を、オカルトというのは、なんとも逆のオカルト的感じがしてしまう。温暖化否定のひと達は、たいてい、外国の「有力」な科学者のなかで、温暖化に否定的な主張をしているひと達の書いていることを引用して、それが当然正しいのだという主張をするのだが、温暖化の主張をしている「有力」な科学者の言説を丁寧に批判することは、あまりない。それに、最近の異常気象などを否定するのは困難なので、温暖化的な現象は肯定する。例えば、次のように書く。

 「人為的CO2の寄与はその一部である。IPCCの報告書によると、過去100年で地球の気温は1℃ほど上がったと言われるが、その半分(半分以上)は数百年前からつづいてきた自然変動や20世紀後半から進んだ都市化のせいであろう。人間活動から出るCO2の効果はせいぜい0.5℃と推定できる。0.2~0.3℃や0.1℃くらいとみる研究者もいる。」

 私は、温暖化の原因が、CO2だけであるという主張は、まだ見たことがなく、CO2はその主な一部であるというのが、ほとんどの主張であるし、また、人間活動をどこまで含めるかという問題もある。 “Cowconspiracyを見て 温暖化と畜産を考える” の続きを読む

「桜を見る会」の私物化論 各社説は不十分だ

 安倍首相が、「桜を見る会」に後援会のひとたちを大量に招待していたことが、問題となり、安倍首相の判断で、次回は中止ということになった。公金を使い、公的な事業として行われている「桜を見る会」に、それぞれの枠があるとはいえ、それをはるかに超えた人数、自分の後援会の人を呼ぶというのは、明らかに「私物化」であり、違法行為である疑いが濃いだろう。多くの新聞も社説で、そういう主張を展開している。それはそれで正しい。
 しかし、やめればよいのか。私は、むしろ、あのように簡単にやめてしまうことにこそ、安倍晋三という人の公的なことがらを、私的にしか考えない政治家としての資質が現われていると思っている。後援会の人をたくさん呼ぶことは、公的な行事を私的な利益のために利用するという意味で、私物化であるが、批判を受けるとやめてしまうということは、公的な「桜を見る会」を自分のものだと思っているという意味での「私物化」なのである。どちらかといえば、こちらの私物化のほうが、ずっと問題が大きい。 “「桜を見る会」の私物化論 各社説は不十分だ” の続きを読む

安倍 vs 管闘争の激化か 「桜を見る会」問題の見方

 権力は腐敗する、という政治学の基本的な命題があるが、近年の安倍内閣は、確かにその通りだという感が強くなっている。どんなに異常なことが起きても、それが法に違反する行為があっても、世間の批判を無視してきたが、今話題になっている「桜を見る会」のドタバタぶりは、端的に政権の腐敗を示している。国会における共産党の追求と、安倍首相の答弁が、詳しく報道されているが、この答弁は、だれがみても異様な感じがするはずである。公金を使って、国の行事として招待された人物に関しての質問に対して、セキュリティ上の問題があるので答弁できないと、繰り返し突き放す。写真や映像がどんどんニュースやワイドショーで流されているのに、セキュリティの問題もないと思うし、そもそも、桜を見る会がなぜ、セキュリティ上の問題となるのかさっぱりわからない。公的行事であり、社会に貢献した人たちを招待するということなのだから、参加者に関する情報を開示することが、なぜ個人情報であったり、セキュリティ上の問題を発生させるのか、合理的な理由は全くしめされていない。他の野党も、追求することになっているようだ。 “安倍 vs 管闘争の激化か 「桜を見る会」問題の見方” の続きを読む

首里城再建は可能なのか

 首里城焼失後、当然のように再建が話題になっているが、本当に再建は可能なのかという疑問がわく。本ブログの読書ノートで西岡常一『木のいのち木のこころ』を紹介したが、首里城再建を願っている人たちは、ぜひこの本を読んでほしいと思う。率直にいって、少なくとも、元の形での再建はかなり困難だと思わざるをえないのだ。
 いろいろなところで既に触れられているが、まず木材調達の困難さがある。西岡氏が書いていることだが、「堂塔建立の用材は、木を買わず山を買え」という言葉があるそうだ。つまり、山全体の木材を、植えられている条件に応じた木の性質を考慮して、材木として使用するということだ。同じ山に植えられている木でも、太陽のあたり方等々によって、木としての性質が異なっている。長い年月の間に、乾燥して湾曲してくるわけだが、そういうことも計算して、適切な木材の配置をしないと、長年もつような建築物にはならない。山岡氏の念頭においている建物は法隆寺なので、多少条件は異なるだろうが、法隆寺の中心的な柱には、樹齢1000年の檜が必要だという。本格的な城とか仏閣などは、檜を使用する。しかも、できるだけ樹齢の大きな、まっすぐ延びたものが必要である。
 首里城は、記録に残る大きな火災だけでも、5回にわたっており、その都度木材の確保にはかなり困難に直面し、多方面の強力によって木材を調達することができたとされる。
 西岡氏によれば、このような建築に使用できる檜は、現在日本には存在せず、台湾から買いつけるという。 “首里城再建は可能なのか” の続きを読む

国会での質問事前通告 原則公開にすべきではないか

 森ゆうこ議員の質問が事前に漏れたということで、騒動になったが、普段から、国会でのやり取りというのは、不思議だと思っている人間として、考えてみた。まだ事実関係が正確には把握できていないので、事実認識については、誤りがあるかも知れないが、原則的考え方としては、影響はない。
 森議員が、質問通告が遅れたために、官僚たちが深夜残業を強いられた一方、高橋洋一氏のツイートが、質問内容を事前に知っていたことを示すとして、森議員周辺が守秘義務違反があったのではないかと、官庁の対応を非難した。どうやら、高橋氏のツイートは、サンフランシスコ時間での表示だったので、実際には、国会のやり取りをみて書いたものらしいのだが、国会での質疑以前に書いたものと解釈されたということのようだ。ここらの事実関係は、私にはあまり興味がない。興味があるのは、そもそも、質問の事前通告とは何故やるのか、あるいは、やるとしたら、どのような形がよいのかという問題だ。 “国会での質問事前通告 原則公開にすべきではないか” の続きを読む

国際社会論ノート 慰安婦問題を考える2

4、日本政府は現在賠償を支払うべきか
 この問題についても、極めて強固な対立する立場がある。
 まず確認しておくべきは、否定派がいかに「強制連行がなかった」と主張しても、朝鮮半島の人たちが、自発的に応募した事例は、あったとしても少数であることだ。戦局が悪化した時点にいた慰安婦たちの聞き取りでは、半島出身の人たちの表情は、他の国の出身者たちとは明らかに異なっており、日本兵に対する否定的な態度が強く出ていたと報告されている。つまり、強制連行ではなかったかも知れないが、詐欺的な方法で連れて行かれたことは間違いない。そのような人たちに対して、謝罪・賠償をすべきことは、当然だろう。しかし、ここで「方法」の対立が生じている。 “国際社会論ノート 慰安婦問題を考える2” の続きを読む

英語民間試験し中止 一人の政治家が高校生や教師全体より大事なのか

 英語民間試験の導入が、突然延期された。毎日新聞は「白紙に戻された」と報じているが、今後の問題についてはあいまいだ。しっかり善後策を検討して数年後に実施したいという発表だったと思うが、そもそも無理がある制度なのだから、どうなるのかわからない。小室圭-真子内親王婚約延期なども、着地点がまったく不明だから、同じようなことが起きたといえる。
 11月1日の毎日新聞は、「英語民間試験見直し 「萩生田氏守るため」官邸が主導」という見出しをつけている。記事の内容は、見出しの通りだ。閣僚2名の辞任が相次いだので、安倍首相の最も近い側近の一人である萩生田氏が辞任に追い込まれるのは、絶対に避けなければならないという「官邸」の判断で、試験の延期が決定されたというのだ。事実、文科省は抵抗したようだし、民間検定試験機関との連絡は行われていた。それも突然の延期公表で中止になった。
 しかし、よく考えてみよう。一人の政治家の地位を守るために、全国の受験生を犠牲にしていいのか。もちろん、多くの人が、民間試験採用は中止すべきだと主張しており、私もそう書いたから、延期(中止)はよい。しかし、欠陥を是正して実現したいと表明していたのだから、どうやったら欠陥を是正できるかの最低限の検証を経て、やはり、今の段階では無理だとわかったから中止したいというのであれば、まだ納得できる部分がある。 “英語民間試験し中止 一人の政治家が高校生や教師全体より大事なのか” の続きを読む

「普通に死ぬ」のもなかなか難しい

 ブログでは、個人的な事情はできるだけ抑制しているが、今回は、あまりない経験をしたので、考えてみた。
 かなり前に『病院で死ぬということ』という本がかなりのベストセラーになった。癌患者を扱う医師が、病院で亡くなる場合の不条理さをなんとか克服しようとする一方、そのなかでも人間的な関係が築かれていく様が描かれていたと記憶する。もちろん、多くの人たちは、自分の家で家族に見送られながらの最期を希望しているに違いない。しかし、現実には、そうした在宅での看取りは、極めて難しいのが実状である。それは、決して、家族の状況などによるのではなく、むしろ、「死」に関するシステムから来る側面が強いのだと感じている。
 10年くらい前に、私の義母が亡くなった。10年間ほど認知症になり、自宅と週3日程度の施設を往復する生活を続け、最後の半年くらいは、ずっと在宅であった。まだ意識が明確であったころから、最後は家でと望んでいたので、できるだけその希望をかなえようと、妻が中心となって、在宅介護を充実させていた。往診してくれる医師も見つけ、当初は診療所まで出かけたが、最後の半年は、家まできてくれた。その間、どのように最期を迎えるかを、何度も相談したのだが、在宅で看取るのは、考えるほど簡単ではないのだと、医師から何度も聞かされたわけである。 “「普通に死ぬ」のもなかなか難しい” の続きを読む