皇室継承問題 男系論は男女差別論

 即位の礼が行われ、皇室継承問題が、いよいよ議論となる。しかし、相変わらず、皇室の伝統を「重視」する人たちの意見を聞いていると、不思議な感にとらわれる。そして、興味深いことに、伝統主義者のいうことを実施すれば、それだけ皇室の継承は困難になることが、明白となっている。もしかしたら、それを狙っているのだろうかと勘繰りたくなるほどだ。
 何が不思議か。男系論は、明確な女性差別の立場である。今の世の中で、女性差別を「理念」として承認する余地はない。もちろん、具体的な事例で、女性差別か否かが問われることはあるだろう。しかし、男系の人のみが、ある地位を継承できるというのは明らかに女性差別であろう。何故、皇室が女性差別である男系で継続してきたのか、それは、歴史のほとんどが女性差別的原理で成り立っていたからだ。階層によって、その程度は異なるにせよ、記録に残っている歴史上、女性差別もなく、男性優位でもなかった社会は、市民革命以前は、存在しない。日本においては、憲法的に男女平等が確立したのは、第二次大戦後である。
 戦後、天皇は、憲法上、国民の総意に基づく存在となり、日本社会は男女平等になった。だから、天皇が、現代社会において存立するためには、男女平等原則を受けいれるしかないのである。受けいれられないのであれば、現代社会には適合しないシステムとして廃止されるはずのものだ。
 男系論者は、皇室は男系でずっと続いてきたのだから、その原理を離れることは皇室でなくなることだと言っている。しかし、皇室のあり方はその社会に対応して、かなり変化してきた。天皇が、有力豪族の連合体の長だったこともあるし、実質的な権力者だったこともあるし、有力貴族との協調的統治者だったこともある。そして、長い封建時代には、実権をもった武士政権の権威づけのための存在にすぎなかった。そして、明治以後は、名目上は主権者であったが、実質は最も権威ある国家機関として機能してきた。しかし、政治の実態的権力者であったとはいえない。戦後は、象徴となった。もっとも象徴とは何かは、いまだにあいまいであり、平成天皇が模索したことだったわけである。こうしてみれば、天皇のあり方は、国家社会のあり方に応じて、変化してきた歴史であり、男系継承だけが変わらなかったのは、変化してきた国家社会が、ずっと男尊女卑、女性差別の社会だったからにすぎない。そして、その女性差別の社会が、原理的に戦後は変化して、男女平等原則の社会になったのである。だから、今は、この男系継承原理そのものを変える時期なのだ。小泉内閣の皇室典範改正は、そうした変更を実現するもので、今は棚上げになっているだけだから、再度復活して審議をして、実行していくべきものだろう。
 終戦後廃止された旧宮家を復活させたり、その人たちを女性皇族と結婚させて、男系男子を生ませようという提案もある。しかし、自然な愛情に基づく結婚ならいざ知らず、そうした目的のためだけに、皇族女性が結婚を承知するとは思えない。皇室は基本的人権が制限されているといっても、戦後においては、意に沿わない結婚を強いた例はないはずである。周りがお膳立てすることは当然あるだろうが、その場合でも本人同士の合意で結婚が成立している。また、そうした宮家の活用をするのも、現行法制上で可能ではないはずである。宮家の扱いに関する法改正が必要であり、そう簡単ではない。国民の合意が容易に得られるものではないだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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