安倍 vs 管闘争の激化か 「桜を見る会」問題の見方

 権力は腐敗する、という政治学の基本的な命題があるが、近年の安倍内閣は、確かにその通りだという感が強くなっている。どんなに異常なことが起きても、それが法に違反する行為があっても、世間の批判を無視してきたが、今話題になっている「桜を見る会」のドタバタぶりは、端的に政権の腐敗を示している。国会における共産党の追求と、安倍首相の答弁が、詳しく報道されているが、この答弁は、だれがみても異様な感じがするはずである。公金を使って、国の行事として招待された人物に関しての質問に対して、セキュリティ上の問題があるので答弁できないと、繰り返し突き放す。写真や映像がどんどんニュースやワイドショーで流されているのに、セキュリティの問題もないと思うし、そもそも、桜を見る会がなぜ、セキュリティ上の問題となるのかさっぱりわからない。公的行事であり、社会に貢献した人たちを招待するということなのだから、参加者に関する情報を開示することが、なぜ個人情報であったり、セキュリティ上の問題を発生させるのか、合理的な理由は全くしめされていない。他の野党も、追求することになっているようだ。
 それにしても、自民党内の擁護発言はまだわかるが、山口公明党代表まで、弁護している。そして、その理屈が、「民主党だって政権とっていたときには、やっていたはずだ」という言い方である。しかし、これは、今問題になっていることを完全に無視している。そもそも、民主党政権のときには、3回の機会があったが、東日本大震災などで中止していることもあり、毎年やっていたわけではないし、招待客の人数は、近年では一番少ない。問題になっているのは、安倍内閣になって、招待客が、毎年飛躍的に多くなり、そのなかで、自分の後援会のひとたちに便宜を図って、大量に招待客にいれているということであるから、山口代表の弁護はまったく、まともに問題を考えていないことになる。
 この間出てきたことをみていると、安倍内閣になって、特に、政治において「公共性」がないがしろにされていることを感じる。
 しかし、ここで考えてみたいのは、その点ではなく、何故、今「桜を見る会」問題が表面化したかという点である。安倍首相の在任期間が、日本史上最長になるわけだが、当然、後継者問題が熾烈に闘われているはずである。私は、今の内閣を支持していないので、まったくの傍観者的な立場であるが、現在の「権力闘争」はとても興味深くみている。
 管官房長官が最も有力な後継者であるとされているが、この間、大きな躓きにぶつかった。菅原一秀・経産相と河井克行・法相の辞任である。この二人は、管氏の推薦であったといわれており、今後、二人が刑事責任を問われるようになると管氏の影響力に大きなマイナス要因になる。Livedoor News「検事総長人事で綱引き 安倍晋三首相と菅義偉官房長官の権力闘争」によれば、次期検事総長人事をめぐって、怪文書などが出回っているという。https://news.livedoor.com/article/detail/17366890/
この記事によれば、ふたりの辞任組を守るためには、腹心の検事総長を任命したいのだが、時期的に微妙で、管氏が苦しい立場になっているという。しかも、記事によれば、安倍首相は、「これで管も終わりだ」とほくそ笑んでいるそうだ。
 こうした流れを見ると、「桜を見る会」問題は、管氏による逆襲なのではないかと、感じられてしまうのだが、どうなのだろうか。共産党が追求しているのだから、そんなことはありえないと感じる人も多いだろうが、政治という場では、ありうることだろう。北方領土問題で活動していた鈴木宗男氏が、北方領土に関わる施設「国後島とロシア人の友好の家」の建設問題で、国会で追求されたとき、その追求の急先鋒が共産党の佐々木議員だった。外務省が資料などを提供していたと、あとで言われた。もちろん、厳密には、そうしたことがあったかどうかはわからないが、ただ、野党が官庁から資料を提供されて、国会で政府を追求することは、別だん問題ではないし、もっとあってもいいと思う。また、今回の件に関しても、追求していること自体は、極めて妥当なことではある。ただ、鈴木宗男氏の追求や、今回の「桜を見る会」問題の追求にしても、その資料が極めて詳細であり、公表されている資料だけで、あそこまで的確に的を絞って追求できるものだろうかと、少々疑問なのだ。政権党の内部で、安倍首相に対する批判意識をもっていたり、逆襲したいグループが資料を提供している可能性は否定できない。もちろん、指摘されていることが事実なら、安倍首相は、責任をとるべきであるから、他の野党もどんどん追求してほしいと思うが、これが、安倍vs管の権力闘争の一環であると考えてみると、見える風景が違ってくるのである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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