榛名風か ネットでの誹謗中傷との戦い ネットは匿名空間ではない

 NEWSポストセブン2020.3.29に「春名風花、ネットでの誹謗中傷被害との10年戦争を語る」という記事が出ている。芸能界にはまったく疎いので、春名風花というタレントを知らなかったが、子どものころから、ネットで論陣を張っていたという存在だが、誹謗中傷を受けて、それとの戦いの10年を紹介した記事である。(元記事は女性セブン2020.4.9号)
 私自身、パソコン通信時代にこの問題と格闘した経験があるが、まだパソコン通信の時代には、誹謗中傷の発言があっても、拡散の度合いが限られていた。しかし、インターネットの時代になって、拡散の度合いが比較しようがないほどに拡大している。しかも、ツイッターやフェイスブックでは、拡散させる手段が整備すらされているから、まったく無自覚、あるいは歪んだ正義感でどんどん拡散させていく人がいる。手動で行わなくても、ソフトに拡散させることもできる。だから、一旦誹謗中傷されたときの被害は、計り知れないほどである。春名氏は、弁護士に依頼して、書き込みをした人物、拡散させた人物を特定するための訴訟を起こし、現在も戦い続けている。ぜひ戦いに勝利してほしいものだ。残念なことに、警察の非協力的な態度なども、戦いを阻害している部分がある。 “榛名風か ネットでの誹謗中傷との戦い ネットは匿名空間ではない” の続きを読む

改めてショック・ドクトリンを考える

 ナオミ・クラインが、フリードマンに代表される新自由主義政策の、最も醜悪な側面を「ショック・ドクトリン」と名付けて批判したことは、まだ記憶に新しい。この批判によって、それまで圧倒的な力をもっていた新自由主義に対する、広範な批判意識が芽生えたのだった。
 ショック・ドクトリンとは、何か大きな災害、戦争・自然災害等が起きたとき、民主主義が根付いていないと、そこに生じた大規模な被害を根拠に、新自由主義的勢力にとって都合のいいような政治体制、経済システム、地域政策などが押しつけられ、被害からの回復よりは、そうした支配層の利益になるような体制が作られることである。しかも、そうした災害がない場合には、人為的に混乱を引き起こして、同じようなことを実行してしまう。自然災害では、ハリケーン・カタリーナやハイチ、スマトラの大地震、そして、人為的な混乱としては、チリのアジェンデ政権転覆などが有名だが、ナオミ・クラインの著書には、他にも様々な事例が分析されている。民主主義的な国民の意識が根付いているところでは、そうした策謀は程度の差はあれ、押さえられるのだが、日本では、阪神淡路大震災や東日本大震災のときに、攻防があったが、部分的には、ショック・ドクトリン的な政策が実行されたといえる。 “改めてショック・ドクトリンを考える” の続きを読む

赤木俊夫氏の遺書を読んで

 週刊文春3月26日号に掲載された赤木俊夫氏の遺書を読んだ。売り切れていたので、アマゾンのKindle版を購入したが、既に中古本が1000円の値段がついていたのにはびっくりした。電子書籍は売り切れることがないから、諦めている人は、ぜひ電子版で読んでほしいと思う。
 「妻は佐川元理財局長と国を提訴へ 森友自殺財務省職員遺書全文公開」と題する記事は、森友問題を正確に報道しようとしてNHK上層部と衝突して辞職した大阪日日新聞記者の相澤冬樹氏によるものだ。週刊文春のホームページで、2018年12月に書いた記事も読むことができる。このふたつの記事と赤木氏の遺書を読むと、本当にこの内閣、そして安倍晋三という人物の酷さがわかる。
 ことの起りは、教育勅語を信奉する籠池氏が、日本会議の同志である安倍晋三を尊敬し、幼稚園経営者だったところ、小学校も設立したいと考えて、安倍氏の後ろ楯を得たいと思ったことにある。 “赤木俊夫氏の遺書を読んで” の続きを読む

経済対策に納得できないものが多い

 私は、経済が専門ではないし、あまり経済情勢に関する記事を熱心に読む方ではないので、あくまで素人の感覚に過ぎないのだが、新型コロナウィルスによる経済的打撃をどう打開するのか、という議論には、どうもピンとこないものが多い。
 まず消費税の引き下げ、あるいは撤廃などの消費税関連、また、仕事を休んだことに対する給与補償、そして、消費を拡大するための国民への給付金などがでている。どれも、消費がすっかり冷え込んでしまっているので、なんとか消費を増大させることが意図されている。
 ところで、現在起きている経済の停滞現象は、お金が足りないことになって、消費が低迷しているわけではなく、何よりも、新型コロナウィルスの感染を防ぐために、催し物の中止、人の移動が事実上制限されるために、観光にかかわる交通機関(飛行機)などの利用が極度に減少、部品工場が国際的レベルで停止しているので、サプライチェーンが寸断されての生産困難、学校の休校で親が仕事を休まざるをえない、等々によって起きている。端的にいえば、新型コロナウィルスの感染がおさまって、あるいはおさまらなくても、拡大を防ぐ有効な薬、あるいは社会システムが見いだされ、止まっているサービス業や工場生産が再開されなければ、復興はできないのである。 “経済対策に納得できないものが多い” の続きを読む

オリンピックそのものをやめよう

 オリンピックの雲行きが怪しくなってきた。むしろ、多くの人がオリンピックを予定通り開催するのは、無理ではないかと思い始めている。アスリートたちですら、予定通り行うと宣言したIOCに抗議をしている。もともと、無理なオリンピックだったのだと思う。このブログで何度か書いたように、私はオリンピック反対派である。オリンピック招致を、熱心に政治家や東京都が行っている時期に、実は、世論の多数は、オリンピック招致に反対だったのだ。特に、東日本大震災が起きてからは、オリンピックどころではないだろうという意識が大半だったといえる。そのことを、大人の世代なら忘れていないだろう。 “オリンピックそのものをやめよう” の続きを読む

親を自宅で看取ることの「覚悟」とは

「『呼吸が止まっても救急車を呼ばない』親を自宅で看取る側の覚悟」という「女性セブン」の記事が掲載されている。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200317-00000005-moneypost-bus_all
 ずっと以前から、ボケても病院にいれないで、と何度もいわれていた娘が、在宅医療を利用して、自宅で看取ったという話である。ただ、記事によれば、在宅医療を知って、大学病院を退院し、自宅に連れ帰ったとあるから、それまでは入院していたのだろう。
 そして、25年間在宅医療に携わってきた院長が、「最後まで治療する大学病院よりも、在宅は圧倒的に平穏死を迎えやすい。終末期には食べられなくなるのが自然だが、病院では点滴をするので苦しくなる」と語っている。
 もっとも、誰でも平穏死を迎えられるわけではなく、いざというとき、親族が救急車を呼んでしまうこともあるという。そして、よい在宅医を探すことが重要という結論になっている。
 このようなことは、もちろん確かだろう。しかし、いかにも予定調和的な文章で、そうはいかない場合も少なくないことを、きちんと書き、多様なあり方のなかで、普段からとるべき道を考え、そのために何をする必要があるのかを準備する必要があるとしなければならない。 “親を自宅で看取ることの「覚悟」とは” の続きを読む

神戸教師間いじめの起訴 「寛大」には疑問

 神戸新聞2020.3.122に、「教員間暴行の加害教員4人、なぜ起訴されなかった? 兵庫県警内でも意見割れる」という記事が載っている。昨年の教育界での事件として話題となった、教師が教師に継続的ないじめ行為をしていた事件で、警察内で扱いに関して意見が分かれ、「起訴猶予」を求める「寛大」という処分意見が付されて、送検されたようだ。刑事罰を課すべきであるという世間の意見が強かったが、「物的証拠が乏しい上に4人の加害の意識は薄く、2人は職を失った」というのが、その判断の根拠とされる。
 被害教員は、100項目にわたるハラスメント行為を訴えたが、加害教員は、「ふざけ合いの延長だった」と犯意を否定し、「動画以外の明らかな物的証拠がない」と立証の難しさをあげたとする。より厳しい措置を求める捜査員もいた。
 これに対して、逆といえる処分もあった。一般的に公務員が犯罪の疑いをもたれたとき、刑事処分が決定されるまでは、「推定無罪」が適用されて、実際の仕事を解かれることはあっても、正式な処分はくだされない。しかし、この事件では、処分を待たずに、懲戒処分がくだされている。それに対して、弁護士から不当であるとの申し入れもあった。 “神戸教師間いじめの起訴 「寛大」には疑問” の続きを読む

3月10日は東京大空襲の日

 世の中は新型コロナウィルスで大混乱だが、歴史をふり返っておくことも必要だろう。明日の311は記憶に新しいが、3月10日は東京大空襲(第一回目)の日であることは、歴史的知識としてのみ知っている人が、いまでは圧倒的多数だろう。私もそうだ。終戦間近の原爆の被害が大きく意識されるが、実は、何度も繰り返された東京や大阪等の大空襲の被害者のほうが多いのだ。そして、原爆投下は、政府も真剣に降伏を考えていた時期だが、東京大空襲のときには、戦争続行した。真相はわからないが、3月10日の空襲による惨禍をみて、さすがに降伏を勧めたひとたちがいたようだが、昭和天皇は、「もう少し戦果をあげてからにしよう」と降伏案を退けたという。 “3月10日は東京大空襲の日” の続きを読む

新型コロナウィルス対策は現行法でもできるはず

 安倍首相が、突然2月末に全国の小中高を休校にするという発表をしてから、政府が俄然動き出したように見えるが、逆にいえば、社会ではかなり混乱も生じており、やがては終息するだろうが、この混乱のつけは、かなり大きく社会の負担になると思われる。
 動き出した他のひとつは、新型インフルエンザ対策特別措置法改正である。現状では野党も賛成せざるをえないだろうから、早々と成立するようだが、この議論には、かなり気になる面がある。それは、法が整備されていないので、なかなか対策がとれないのだという主張である。だから、特措法の改正が必要だと政府は主張している。しかし、特措法の改正がなくても、かなりのことができる。というより、政府がやる気があるなら、ほぼなんでもできるだろう。明らかに違法である検事の定年延長までやってしまうくらいの内閣なのだから、得意の解釈変更でやることだって可能だろう。検事の問題は、自分たちに危険が及ぶのを防ぐためだから、まさしく「悪事」だが、感染症対策であれば、少々の解釈変更を、国民は前向きに受け入れるだろう。
 だから、法整備がないから、というのは、これまでの無為無策の糊塗に過ぎない。 “新型コロナウィルス対策は現行法でもできるはず” の続きを読む

自転車巻き込み事故は、いつも車の責任か 自転車免許制度は必要だ

 トラックと自転車の事故は、最悪の事態になる場合が少なくない。先日、18歳の女子高生が自転車を運転していて、左折トラックに巻き込まれ死亡する事故があった。トラック運転手が逮捕されたとニュースで報じられていたが、どのような状況で事故になったのかは、説明がなかった。車を運転していると、とにかく、自転車にはひやりとさせられることがある。私も、人身事故一歩手前になったことが2,3回ある。いずれも、スピードをだしていなかったために、事故にならなかったが、自転車がいたら、とにかく注意するようにしている。
 しかし、上のような事故報道に接したとき、本当に運転手が悪いのか、いつも気になる。もちろん、そういうこともあるだろうが、車を運転するには、試験があるし、また、事故が起きたら大変だから、ほとんどの人は注意しながら運転している。他方、自転車の場合、まるで交通法規など知らないというような、乱暴な運転をする者が少なくない。統計によると、車と自転車の衝突事故では、自転車側に、違法な運転があったとされるケースが60%以上あるのだそうだ。 “自転車巻き込み事故は、いつも車の責任か 自転車免許制度は必要だ” の続きを読む