信号機の除去で事故 環状交差点の拡大を

 2月8日の京都新聞に、「12月に信号撤去、軽トラ同士が衝突し重体 市道の交差点」という記事が出ていた。滋賀県、見通しのよい道路で、それまで設置していた点滅式の信号を撤去してすぐの事故だったという。滋賀県では、2017年から、順次信号を撤去しており、これまでに70基を撤去しているという。

 こんな感じの道路になっているという。(京都新聞掲載)事故が起きた時間帯が記事には書かれていないのだが、注意深く運転すれば、確かに事故は起きにくい道路であるとは思う。左右前後の見通しはとてもよい。にもかかわらず出会い頭の事故が起きた。それは、優先順位が一瞬あいまいになったのだろう。もちろ、「止まれ」のない方が優先道路であり、「止まれ」がある方は、その場合絶対に止まって、相手側が通ってから交差点にはいらなければならない。しかし、「止まれ」の信号は、普段の運転では見過ごされがちなものだ。とくにそれまで信号があったとすれば、とくにそうだろう。信号は、必要があるからつけられるはずで、信号がないときに事故があり、住民からの要望などでつけられることが多いが、かなりの費用がかかるために、そんなに簡単には設置されない。それを、どんどん廃止するというのは、かなり財政的なしわ寄せがあるのだろうか。確かに、信号は維持費がかかる。だから、ヨーロッパでは、どんどん信号は廃止されているが、以前にこのブログに書いたように、単に廃止するのではなく、環状交差点(ラウンドアバウト)と呼ばれる方式に転換している。昨夏ドイツに半月ほど滞在したのだが、その間車で移動したときに、交差点は圧倒的に環状交差点が多かった。ヨーロッパで環状交差点にかえている理由は、経費の問題と温暖化対策でもある。
 このような感じである。もし、滋賀県が、この交差点の信号を廃止するだけではなく、こうした環状交差点にしていたら、この事故は防げたに違いない。この方式にすると、事故が相当減ることはこれまでに実証されている。しかも、信号がなくせるので、維持経費が節約できる。もっとも、既に信号があったところを変えるには、やはり、工事が必要で、財政的に苦しいから変えるという場合には、困難があることは否定できない。しかし、これから道路を作るときには、信号を設置するのと、それほど費用が変わらないはずであるから、環状交差点にすべきであろう。これは慣れないと多少怖さがあるが、なれれば、ずっと安全に通れる。私自身、ヨーロッパでは自分の運転で何度も経験した。

 ただ、欠点もある。特に日本では見逃せないものだ。それは、通常の方式よりも、交差点自体の面積が広くなければならないという点だ。それから、日本の交差点によくあるように、道ぎりぎりに塀があるような場合は、必ずしも安全ではないかも知れない。ヨーロッパには、日本のような塀ぎりぎりの道というのが、あまりないし、こうした交差点の多くが郊外に多いので、安全性が高いともいえる。しかし、歩道がなく、見通しをなくしてしまうような高い塀は、通常の交差点でも危険であることに変わりはない。私の知る限り、ヨーロッパはでは、人が普段から通る道で歩道がないというのは、経験したことがない。
 このように考えていくと、日本の交通法規は、非常に不十分であると思う。私は典型的な住宅地に住んでいるが、歩道のない車道は至るところにある。むしろ、徒歩15分でいける範囲では、歩道がない車道のほうが圧倒的に多い。このような道路を設置すること自体が間違っている。法で規制して、車道には必ず歩道をつけるように決めるべきではないかと、常々思っている。ずっと以前からある道は仕方ないとしても、私が住んでいる地域は、まだ新興住宅地といえる地域だ。新しく道路を作るときには、場合によって異なるだろうが、農地を宅地化しつつ、その一部を道路用に拠出されると聞いたことがある。当然、できるだけ少なく拠出したいわけだから、歩道なしになってしまうこともわかる。しかし、それが安全を犠牲にするとしたら、住んでいる者、つまり拠出する者にとっても、いいことではないだろう。
 車道に必ず歩道がついていれば、道路幅が全体として広くなるから、信号を廃止したときに、環状交差点に作り直すことは、少なくとも面積的には、可能性が高くなる。
 信号や交差点の作り方は、もちろん、地域によって事情は異なるだろうが、安全性を最大の基準にして、作っていくべきだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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