新型コロナウィルス、岩田健太郎氏の映像をめぐって

 感染症の専門家である岩田健太郎氏が、ダイアモンド・プリンセス号に乗船して、あまりの惨状にショックを受けたという映像をアップした。要点は、ダイアモンド・プリンセス号では、レッドゾーンとグリーンゾーンが厳密に分かれておらず、過去、エボラ出血熱やSARS対策に外国で従事したときよりも、恐怖を感じたというものだ。それが世界中に広がった一方、日本では、大きなバッシングも起き、その映像を削除されたとする。しかし、多数の人がシェアしていたので、もちろんまだ見ることができる。他方、削除に至る重要な要因になったと思われる高山義治医師のfacebookの当該記事も削除されている。昨日コメントをずっと読んでいたのだが、まだ全部は読んでいないうちに削除されてしまったのが残念だ。
 更に、厚労省副大臣の橋本岳氏がツイッターで、岩田氏を批判したことが、炎上している。高山氏のfacebookはかなりの書き込みがあり、ほとんどが岩田氏を批判し、高山氏を擁護するものだった。別のツイッターでは岩田氏を卑怯者と罵るものも多数あるようだ。
 こうした一連の流れをみて、日本人だけのことではないかも知れないが、考えざるをえないことがいくつかあると感じる。
 高山氏と岩田氏は友人で、岩田氏がダイアモンド・プリンセス号に入ることができるように手配したのが、高山氏ということで、岩田氏の語った内容に関して、いくつかの訂正をしている。それに対して、岩田氏が認めていることと認めていないことがある。消されてしまっていて、確認できないので、あまり確実ではないが、レッドゾーンとグリーンゾーンの明確な区分がされていない、患者と岩田氏がすれ違った、という点については、見解が対立していた。
 ただ、問題なのは、高山氏は、船内の問題に現場担当者として努力していることを認めてほしい、そして、現場にはできないこともあるという基本的立場での議論であるのに、岩田氏は、現場のひとたちのいいかげんさをいっているわけではなく、むしろ動いているシステムそのものが問題なのだと指摘している、そのすれ違いである。そして、高山氏の応援団は、多くが、現場は頑張っているではないか、というレベルでの反応であるように感じる。岩田氏に限らず、日本中で事態を見まもっているひとたちは、クルーズに入って対応しているひとたちの努力を、ほとんどの人が充分に認めていると思う。しかし、指揮しているひとたちが、充分に機能するシステムを構築していなければ、いくら現場が頑張っても、うまく機能しないことも明らかだ。
 高山氏は、DMATの一員として、ダイアモンド・プリンセス号での仕事に従事しているそうだ。DMATは、阪神淡路大震災を契機として、災害時の医療行為を迅速確実に行うための様々な分野の専門家を含んだ組織だということだが、その災害の中には、今回のような感染症は入っていない。だから、DMATのチームを集合させても、今回の対応には、もともと必要な人材としては、重大な欠落があったと、通常は考えるだろう。少なくとも、責任をもってシステムを構築する人は、それを意識して、感染症専門家、特に、これまでの感染症対応に充分な経験をもった人材を含めるべきだった。そういう意味では、岩田氏のような人材は、当初から政府が要請して、参加してもらう人だったのではないか。それなのに、ずいぶん経過して、本人があまりに心配になって現場をみたいといっても、なかなかそれを認めず、友人である高山氏に便宜を図ってもらって、やっと入ることができた。このこと自体が、なんとも情けないと感じる。
 つまり、この経過そのものが、既に岩田氏の指摘が正しいことを暗示している。
 あの映像を配慮がないなどというレベルではなく、少なくとも、組織的に責任ある地位のひとたちは、自分たちの認識不足を指摘してもらったと素直に受け取って、対応すべきだろう。 
 この問題に限らず、特に、安倍内閣の災害や災難への対応は、最初、様子を見るか、あるいは対策をとるにしても、極めて簡単な対応、単純な対応をする。そして、それがうまく機能しないと、しばらくして、より大きな対策に移っていく。そして、どうにもならないと、かなり抜本的と思われる施策をうちだすのだが、それは時期を失していて、様々な軋轢を生んでしまう。そういうことが何度かあった。代表的なのは、一昨年暮れの、徴用工に関する韓国の裁判所の判決に対する対応である。
 今回の新型コロナウィルス対策も同じ構造をもっている。
 ただ、今回の岩田氏の提起に関連して感じたのは、「初めての経験なのだから仕方ないではないか」とか、「頑張っている人に失礼だ」というような反応が非常に多かった点である。実は、感染症に対する政府としての対応については、アメリカとの協力において、何度かの訓練が行われているといわれている。今回の事例は、違うとしても、生物兵器が使われたときを想定したシミュレーションや訓練は、充分すぎるほどにしているというのだ。新型コロナウィルスは、生物兵器として使われたわけではないのだから、そうした訓練の想定よりも、ずっと対応がやさしいはずである。結局、政治がきちんと動かなかったわけであり、現場で働いているひとたちは、岩田氏の提起を、むしろ前向きに受け取るべきではないか。
 今からでも、より感染が拡大するのを防ぐ上で、重要な変更が必要であるが、それを可能にするのは、やはり、世間及び現場で働いているひとたちの意見をぶつけることなのではないか。
 肝心の高山氏のfacebookが削除されてしまったので、中途半端な文章になってしまったが、政治家は、「結果責任」を負う必要があることを最後に強調しておきたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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