民主主義を維持するコスト 京都アニメ放火犯の治療

 重度の火傷を負った京都アニメ放火犯を懸命に治療し、取り調べに耐えられる状況になったというニュースを知って、憂鬱な気分になった人も少なくないだろう。この容疑者、というより、現場で負傷していた現行犯なのだから、犯人であることが間違いないのだが、彼には確実な運命がまっていた。
 ひとつは、治療しなければ確実に死ぬということ。90%以上の激しい火傷は、まず助からないとされる。治療が成功したことも、かなり奇跡的であり、治療にあたった医療チームの高い技術と熱意があってのことである。
 もうひとつは、裁判にかけられれば、これまでの判例からみて、ほぼ確実に死刑になるだろうということだ。最高の医療を施さなければ確実に死ぬ犯罪者を、高額な税金と医療資源を使って治療し、裁判にかけて死刑にする。検察からすれば、動機を解明する必要があるということなのだろう。 “民主主義を維持するコスト 京都アニメ放火犯の治療” の続きを読む

10万円の申請用紙が送られてきたが

 日本社会の生産性が低いことは、いろいろなところで指摘されている。そんなことを実感することが、コロナ騒動、とくに政府や自治体の対応でみられる。10万円の給付について、マイナンバーカード申請の混乱は、かなりニュースにもなった。オンライン申請なのに、紙のデータと照らし合わせるという、昭和と令和が組み合わさったようなやり方をとったために、大混乱になったわけだ。
 紙による申請に関しては、ほとんどニュースになっていないが、実際に送られてきた用紙を見て、実に驚いた。国民のほとんどに出された文書だから、よくわかると思うのだが、(地域によって、もしかしたら違うかも知れない)これは、住民登録の台帳に登録されたデータで、世帯主に送られ、そこに家族の名前が予め印刷されている。住所と名前が明記されているわけだ。そして、送金する銀行等のデータを記入して送り返すことになるのだが、実に驚いたことに、世帯主の本人確認ができるものと、銀行口座の番号がわかる通帳のそれぞれコピーを同封しろと書いてあるのだ。自分たちが、自分たちの管理しているデータベースで作成した文書、しかもそこに名前が予め印刷されている文書に、記入して送り返すのに、なぜ、本人確認が必要なのか。白紙の申請用紙に、名前や住所を書いて申請するのならば、本人確認が必要であることは理解できる。そして、口座番号を書かせるだけではなく、通帳のコピーまで必要とするという神経が理解できなかった。このようにコピーするということは、ほとんどの国民は、コンビニなどにいってお金をはらってコピーする。その時間と費用の無駄、そして、当然受け取った役所の人は、それをチェックするのだろう。その時間の無駄。そこまでやっているから間違いなくできるというかも知れないが、間違えたとしたら、当人が口座番号を入力ミスするしかないのだから、そのミスによって送金できなかったとしても、本人の責任であろう。ミスなど滅多にないのだから、そのミスをカバーすればいい。確認ミスだってあるかも知れない。 “10万円の申請用紙が送られてきたが” の続きを読む

羽鳥モーニングショーで9月入学について議論

 番組では、9月入学賛成派と反対派がゲストとして登場し、レギュラーを交えて是非を議論していた。結局、考えねばならない論点は、2点だといえる。
 第一は、3カ月授業がなかった遅れを、9月入学にすることによって乗り切るのか、現行制度で乗り切るのか、どちらが効果的であるのかという点。
 第二は、そもそも学年は4月に始まるのがいいのか、9月に始まるのがいいのかという点。
 多くの議論で、第二についての議論そのものに大きな欠点がある。9月入学賛成論として、必ず出てくるのが「国際化」対応であり、留学が便利だということがいわれる。賛成論の人も、メディアに出てくるとそのようにいってお終いにするのが不可解である。9月入学のメリットは、留学のしやすさだけではない。むしろ、それは、重要ではあるが、誰にも関係するというものでもない。どんなに留学が盛んになっても、せいぜい高校生以上であって、主要には大学に関わることだろう。
 きちんと考えるべきなのは、一年サイクルとして相応しい開始と終点の設定なのである。日本教育学会は、現行の入学時期は、文化生活に大きく根ざしており、それを変えることは問題であるというようなことを書いているが、4月入学だから、そういう文化になっているのであって、9月入学になれば、文化が変化するのである。結局、教育的にみて、あるいはそれを社会システムにひろげてみて、どちらに合理性かあるかという話なのだ。 “羽鳥モーニングショーで9月入学について議論” の続きを読む

ネットの誹謗中傷問題

 女子プロレスラーの突然の死によって、SNS上での誹謗中傷問題が再度噴出している。ネット上の誹謗中傷は、インターネット開始以来の大問題のひとつである。誹謗中傷自体は、表現伝達メディアが存在すれば、つきまとうことであるが、表現伝達の方法がたやすく、かつ広範囲に及ぶようになるにしたがって、その被害も大きくなってきた。また誹謗中傷と批判との区別も、簡単に区分できるものでもない。この問題は、表現の自由と人格権の保護というふたつの対立し合う概念の調整問題でもある。また、個人に対するものと、公的機関や公人に対するものとでも、扱いは異なる。独裁国家では、公的機関や公人に対する非難は、厳しく取り締まられるが、民主的社会においては、公人に対する批判は、私人に対するものよりも、表現の自由がより広範に認められる。
 民主主義社会における公人への批判は、かなり厳しいものであっても許されるべきであるという立場で考えていくことにする。 “ネットの誹謗中傷問題” の続きを読む

検察ネタは終わりのつもりが、麻雀事件が

 表題のように、検察庁法改正が、とりあえず今国会では成立しないことになったので、昨日の文章で終わりにしようと思っていたところ、突然、麻雀報道が起り、急展開になってしまった。昨日の文章の最後に、そろそろ黒川氏の延長された期限も近づいてきたと書き、その頃に新しい動きがあるだろうと予想したのだが、本当にびっくりした。しかし、これは、わからない事件だ。そこで、あくまでも空想だが、いろいろな可能性を考えてみたい。
 まずは、黒川氏の個人的な意思によって行われたという可能性はどうか。もともと麻雀やカジノ好きだといわれていたので、そういうギャンブル依存症的なところから来る、個人的な出来事かどうか。その場合には、賭麻雀という犯罪でもあるし、時期的に自粛しなければならないときに、批判されるような行為をしてしまうのは、やはり、依存症なのかと考えられる余地はあるだろう。「わかっちゃいるけど止められない、でも、普段の付き合いあるジャーナリストとやるのだから、まさかばれることはないだろう」という感じだった。 “検察ネタは終わりのつもりが、麻雀事件が” の続きを読む

検察庁法、今国会では見送りになったが

 廃案ではなく、成立を見送りとなっただけだから、次の国会で再度提出してくることは確実だ。もちろん、「特例」以外に関しては、多くの政党も賛成しているのだから、「特例」を辞めればすんなり通るのだろうが、そこはまだよくわからない。
 5月18日に見送りを、安倍首相と二階幹事長の間で合意がなされたわけだが、実は、その直前まで、安倍首相は強行突破の決意だったとしか思えない。そして、そのための「新しい理論武装」までしていた節がある。突然いいだした「法務省からの要請を了承しただけだ」という主張である。この論理も何人かによって詳細に反論されているが、自分の整理という意味で、私自身確認してみた。
 「櫻テレビ」というインターネットのyoutubeの番組があるが、5月16日付けの番組に、司会櫻井よしこで、安倍晋三首相がゲストとして対談している。そこである程度の時間をとって、検察庁法案について話をしているのである。どうやら、ここが発信源であるようだ。 “検察庁法、今国会では見送りになったが” の続きを読む

スウェーデンの新型コロナウィルス対策で考えること

 ある国が、他の国とかなり違う政策を導入して、他国から批判されても退かないことは、たまにある。オランダの麻薬政策、安楽死政策などが代表だが、そうした政策は、少しずつであるが、他の国にも広がっている。そこには、多くの国では実施していないことの理由も、大きく存在しているし、また、新しく始める理由もある。
 今の新型コロナウィルス対策でいえば、スウェーデンのやり方がその例だろう。まだ充分に理解しているわけではないが、スウェーデンの試みは、単純に危ない冒険だというように片づける必要はないように思う。ただ、疑問もある。
 簡単にいえば、欧米の国がとっているロックダウン政策をとらず、より緩やかな自粛を呼びかける方式をとっている。日本も自粛政策だが、スウェーデンよりは多方面に渡っている。例えば、学校はほぼ全面的に休校だし、客を扱う営業は、かなりの自粛が要請されている。スウェーデンは、小中学校は、授業が行われているし、客を扱う店の営業も、注意はあるとしても、原則認められているようだ。国民の注意によって、事態を乗り切ろうとしているということのようだ。 “スウェーデンの新型コロナウィルス対策で考えること” の続きを読む

検察庁法改訂の断念は当然

 安倍首相が、検察庁法改正を断念したと報道されている。ただ、報道をいくら読んでも、国家公務員法はどうなったのか、検察庁法改正の定年延長部分がどうなったのかが、正確に書かれていない。要するに、まとめて成立させようとしたが、無理なので、まとめて断念なのか。問題になっている特例措置の撤回なのか、正確にはわからないのだ。たぶん、まとめて諦めたということなのだろうとは思うが。毎日新聞の速報記事を読んでも、そこらがきちんと書かれていない。毎日新聞の速報の見出しは「検察庁法、今国会での改正断念、世論の反発強く首相近く最終判断」というもので、国家公務員法は触れていないのだ。 “検察庁法改訂の断念は当然” の続きを読む

9月入学にメリットがないのか?

 9月入学問題がさかんに議論されるようになっているのは、とてもいいことだと思う。いろいろ読んでいくと、気になる議論があるので、気づいたら、その都度検討していきたい。
 明確な反対論として、会計年度との関連で反対する議論があった。「「9月入学」にデメリットの数々、社会のリーダーは民意を読み違えるな」と題する日刊工業新聞の記事で署名はない。(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200515-00010003-newswitch-bus_all)
 会計年度は4月から始まるとするのだが、それは誤解ではないだろうか。国としての基本となる会計年度は1月から始まると、私は理解している。それは、課税の基礎となる、国民の基本的な資産 が1月時点から12月時点までで計算されるからである。組織としての会計年度が、多く4月からになっているのは、教育全体が4月から始まり、その結果として、人の移動が4月を開始点とすることが多いからであろう。だから、9月入学になれば、社会の新年度がすべて9月になるのであって、これまでの4月から始まる会計年度を9月から始まるようにすればよい。それでも税金の基本となる年度は1月のままだろう。
 したがって、会計年度との関係での否定論は、意味がないことになる。 “9月入学にメリットがないのか?” の続きを読む

検察庁法改正に問題を感じない人がいるのに驚き

 国家公務員法と検察庁法の改正案に関して、youtubeなどをざっと見ていると、何が問題なのか、騒ぎすぎだなどと語っているのが多い。例えば、高橋洋一氏は、これはずっと前から段階的に定年を延長してきたものの一環であって、新しい動きではまったくないし、また、日本は公務員を政治的に選出することがまったくない、世界的にも稀な国なのだ、などと述べて、反対している人を揶揄するかのような発言をしている。しかし、単純に年金開始年齢にあわせるための、段階的な定年延長の法案でないことは、まともに今年の政治状況をみていれば、誰にも明らかである。それに、定年を延長することについて反対しているわけでもない。もちろん、高橋氏だってわかっているのだろう。もし、これまでの延長上の一環としての定年延長法案であれば、特別条項などはいらないはずである。検察庁法に、特別条項などないのであって、これは完全に新設である。これまでなかったから、黒川問題が起きたわけだ。今後、黒川氏のように、政府に都合のいい人物を、特別扱いしても、「違法」ではないようにしておこうという意図が見え見えではないか。だから、国民の多くが反対しているし、検察の人たちも多くが反対していると報道されている。 “検察庁法改正に問題を感じない人がいるのに驚き” の続きを読む