人手不足2

 専門職の外国人の受け入れは、ずっと以前から可能になっており、問題は単純労働なわけだが、単純労働の外国人受け入れを要請する企業は、単に「賃金を安く抑えられる」ということが大きな理由である。実際には、技術革新などで生産性を向上させるのではなく、安い労賃で切り抜ける企業が多数あれば、経済全体が停滞することになる。従って、政府としては、そうした企業に対する技術革新を促す政策をとるべきで、安い労働力で凌ぐようなことを促進すべきではない。革新ができない企業は、元々生き残ることができないのである。
 だから、単純労働を含む移民を認める政策をとらずに来た日本政府の方向は、原則的に正しいと思うが、入管法の改訂で、事実上それは崩れているに等しい。
 以上のことと、長年日本で暮らして、家族もいる外国人を厳格な違法状態の認定をもって、事実上生活が困難な生国に、強制帰国させたり、あるいは、長年収容施設にいれておくことがいいとはいえない。日本人なら、厳重注意ですむようなことで、長年普通に暮らしていた人を追放する必要があるだろうか。それこそ、長年働いてきたのだから、労働技能はもっているし、言葉も充分にマスターしているはずである。しかも、施設に長年収容していれば、それだけ生活費用がかかるわけである。実に矛盾したやり方だ。
 いつも思うのだが、外国で暮らそうと思って自国を出てくる人は、平均的な人よりはずっと高い能力と意欲をもっていることが多い。大学生に、外国にいって働こうと思う人がいるかと質問すると、まず手はあがらない。自信がないからである。もちろん、日本で充分に生活できるという展望もあるからだろうが、自信と野心がなければ、外国での活動など、多くの人は望まない。だから、日本にやってきて、働いている人は、おそらく母国で機会があれば、かなり有能な働き手になったひとたちだと考えてよいのだ。そういう人を収容施設に閉じ込めずに、活用すれば、人手不足の解消にもつながるだろう。
 「働かないおじさん」はどうか。
 戦後大企業中心に、日本的経営という姿が定着していたし、私自身、少なくともひとつの大学に定年まで勤めていたこともあり、そのよさは充分に実感している。しかし、長期的に、また、全経済的規模で考えれば、日本的経営は、あまり合理的ではない側面があることは間違いないといえる。この4月から実施される同一労働同一賃金の原則は、ある意味当然であるが、日本的経営の中では、実施されない原則になっている。
 日本的経営とは、通常、終身雇用・年功序列・企業内組合を三種の神器とするが、あわせて、ローテーション・システムと企業内教育も加えておこう。「働かないおじさん」問題は、ローテーション・システムと企業内教育と深く関わっているからである。これらの特質は、論理的な構造をもっていて、不可分の関係にあり、日本的経営が崩れることは、これらが全体として崩れることであるように語られている。しかし、終身雇用や年功システム、そして企業内組合は独立して存在しうる。終身雇用といっても、日本の雇用関係の中で、本当に定年まで雇用すると保障する契約を書面で残すような企業は、ほとんどないに違いない。あくまでも慣行に過ぎない。あるいは、任期制がとられていないという程度のものだろう。そういう意味での終身雇用は、日本の企業に限らず、先進国では普通なのではないだろうか。そして、定年という制度がない企業もある。もちろん、企業の業績が悪化すれば、リストラもありうるし、被雇用者が他に移りたければ、転職もありうる。
 日本的経営が大いに問題となるのは、年功システムとそれに結びついたローテーション・システム、それを保障する企業内教育の構造だろう。私が直接身近に接した「働かないおじさん」はほとんどいないので、実態が正確にはわからないのだが、そういう人は、ローテーションの中で新しい業務になったときに、それに対応できないから、その業務を他の人が余分に行うことで、凌いでいるということなのだろう。もちろん、その状態になったときに、別の部局に移したが、相変わらずだということもあるに違いないが、それまで、とりあえず「働かないおじさん」になる前には、仕事をやってきたのだろう。移動に適応できなかったことが多いとすれば、システムとしてのローテーションをやめれば、そうした存在をなくすことができるのではないだろうか。もちろん、「同一労働同一賃金」のシステムでは、ある部局に留まって、同一の仕事をしている限りは、賃金はあがらない。しかし、仕事はきちんとしていれば、企業的に、またまわりの人も迷惑をうけることはないはずである。昇格や昇給をしたい人は、自分でキャリアアップのための学習をして、新しい領域に応募していく。やはり、そういう欧米流の企業経営に転換していかねばならないと思う。
 その場合、やはり、生涯教育・学習のための社会の施設がより多く必要になるし、また、大学の果たす役割も大きくなる。  
 同一労働同一賃金が、厳密な意味で真に実行されれば、正規労働と非正規労働の区分もなくなる。4月から始まるとされる同一労働同一賃金を実施するという企業でも、様々な手当については、正規労働者と非正規労働者を区別するようだ。さらに実施を渋る企業が、特に大企業に多いという報道もある。家族手当、住居手当等々様々な手当があるが、これらは、労働形態とは関係なく、正規職員である場合に通常支給される。しかし、同じ仕事をしているのに、手当が異なれば、同一賃金とはいえない。年功システムをとっていると、やはり、同一労働同一賃金原則は厳格に実行することができない。この原則は、年齢が関係ないからである。逆に、この原則を厳密に実施すれば、年功賃金は破壊することになる。そして、命令で新しい部署につき、仕事ができない中高年労働者の存在の余地がなくなるわけである。彼らは、できる仕事にずっとつき続けることによって、「働かないおじさん」となることがない。その代わり、昇給にしないことになる。昇給したければ、より上位の仕事ができるように、自ら鍛練し、学習することで、新しいポストに採用されなければならない。
 このようなシステムに移行することによって、人手不足はこの分補充されることになる。そして、確実に生産性はあがっていくだろう。
 この移行は極めて困難だと思われるが、やはり、必要だろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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