人手不足考1

 一見関係ないのだが、私の中でけっこう結びつく2つの記事がある。多少古いものだが、ひとつは「入管拘束長期化、命がけの抗議 非正規滞在外国人--帰国も滞在もできず、家族に会えぬ」(金子淳 毎日新聞2020.3.20)、ひとつは「隠れ『働かないおじさん』がテレワーク強制で次々あぶり出された理由」(堀内亮 ダイヤモンド編集部 2020.3.30)である。
 「ダイヤモンド・オンライン」は、最近「働かない中年」の記事をなんどか掲載している。その一環だろうか、新型コロナウィルスで在宅勤務が奨励されるようになっているときに、在宅でパソコンを接続して、仕事をすることができない「おじさん」の例をあげている。
 あるおじさん社員は、在宅ワークに欠かせない会社支給のノートパソコンを持ちかえったが、電源ケーブルを置き忘れている。そして、若手社員が「この人、絶対仕事してないでしょ」とつぶやかれている。そのまま一週間過ぎたという。他に、テレビ会議にずっと「退席中」が表示されたままで、実は会議に出席していないことがバレバレのおじさん、そして、テレワークのテレビ会議のために、わざわざ出社した人等々。
 そして、ITツールを使った仕事への移行は、仕事ぶりの詳細なチェックが可能になり、リストラに利用できる材料を提供しているのだとする。「新型リストラ」が始まるというわけだ。
 もちろん、こうした「働かないおじさん」を弁護する必要はないだろう。しかし、そういう存在を再教育もせず、遊ばせておく企業も、やがてしっぺ返しを喰らうことは目に見えている。だからといって、リストラして済むことでもないだろう。社会として、こうした存在が生まれるのは必然的であることを認識して、対応しなければならないことは明らかだ。
 入管に関する記事は、これとはまた別の話だ。
 国外退去を命じられた外国人を一時的に収容する長崎県大村市の大村入国管理センターにいるひとたちの事例である。
 まず抗議のハンストを実行して、ついに餓死したナイジェリア国籍のサリーさん。20年前に来日して、結婚、子どもも生まれた。しかし、窃盗事件を起こして服役し、仮釈放されて、そのまま収容。4度の仮放免の申請も認められず、日本で暮らす子どものために帰国できないと訴えたが、認められず、結局ハンストの末に死亡した。
 その他に不法滞在のガーナ人。(日本人の元妻の間に二人の子どもがいる。)家族が反体制派と見なされたために、政情不安のネパールでは危険なので来日し、難民申請したが認められず、収容生活5年のネパール人。
 現在は長期収容が増える一方、難民等の認定は相変わらず厳しい。
 ここに、昨年の入管法の改訂で、「専門職」の外国人の受け入れが始まった状況のレポートがあれば、問題が完全につながる。
 近年、日本は、空前の人手不足と認識されていた。私自身は、メディアが伝えるほどの人手不足ではないと考えているのだが、しかし、大学生の就職状況などをみれば、企業が人を必要としていることは実感できる。また、コンビニなどで買い物をすれば、レジを外国人がやっていることが多く、外国人の労働力が増加していることも実感する。
 日本は、戦後の高度成長期に外国人労働者を必要としなかった、例外的な先進国だ。敗戦によって農村に帰っていた人々が、再び都会に出てきたこと、中卒や高卒の若年労働力が豊富だったことなどによる。しかし、ヨーロッパでは、同時期に、外国人労働者を多く使用したので、そのマイナス面が強く意識されるようになり、継続的な受け入れを中止したが、その後多文化社会としての苦悩が、日本でも紹介されるようになった。だから、日本政府は、ほぼ一貫して外国人労働者の正式な採用には、否定的であったが、企業の安い労働力の強い要請によって、非常に歪んだ形での外国人労働者の流入が繰り返されてきた。景気のいいときには、それでよかったが、景気が低迷すると、そうした正規ではない労働をしている外国人の取り扱いに苦慮するようになる。
 ヨーロッパは、すべての国というわけではないが、外国人労働者の定期的受け入れを停止したあと、技術革新や労働力の再教育システムの整備などによって、労働力不足を補完するようになっていく。もちろん、移民や難民の受け入れもあるが、それに頼った雇用とはいえない。
 しかし、日本は、安易な「安い」外国人の歪んだ採用(たとえば、研修の名で受け入れて、実際には研修させずに、単純労働力として使う)が、雇用の改善を先のばしにしてきた面があることは、否定できないだろう。そのひとつの表れが「働かないおじさん」である。もちろん、「働かないおじさん」がのんびりいられるのは、大企業に限られるに違いない。中小企業なら、経営を圧迫するから、リストラされるか、あるいは必死に働かざるをえないはずである。従って、歪んだ外国人労働者の雇用と、働かないおじさんの存在は、実はつながっているといえるのである。別の表現では、生産性の低い日本の労働という面にも表れている。そして、この問題は、4月から始まるという「同一労働同一賃金」にも関わってくる。
 どうしたらいいのだろうか。私は、企業人でもないし、また経営学の専門家でもないので、専門的な見地はないが、教育学においても「生涯学習」は重要なテーマだから、考えるところはある。(明日に続く)
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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