「鬼平犯科帳」 平蔵は剣豪?

 小説やドラマとしての「鬼平犯科帳」では、盗賊をとらえるときには、長谷川平蔵が出張るだけではなく、最も手ごわい相手と切り合い、切り殺したり、あるいは召し捕ったりする中心となる。しかし、それはあくまでもフィクションとしての面白さをだすための、時代劇に必須のアイテムとして設定されていると考えられる。NHKの「その時歴史は動いた」の長谷川平蔵篇では、 実際に捕まえたのは、スリなどばかりだったと放映したと、どこかに書かれていたが、それは違うだろう。小説ではなく、実在の長谷川平蔵を紹介する文献でも、かなりの人数の盗賊を捕縛したことは、何度もあるという。しかし、ほとんどの盗賊は、実際に現場を押さえられ、多数の盗賊改方の捕手たちに囲まれると、抵抗もせず逮捕されたらしい。これは、現在の暴力団ですら、警察が逮捕にきたら、銃で応戦するなどということはなく、そのまま素直に逮捕されることから考えれば、納得できることである。
 ただ、そうした派手な捕り物以外の場面で、「鬼平犯科帳」では、当代随一ともいえる剣客として、切り合いを演じたり、あるいは、襲われる場面が多数でてくる。
 中村吉右衛門主役のドラマの第一作である「暗剣白梅香」が、既に長谷川平蔵が刺客に狙われる話である。それは盗賊蛇の平十郎が仕組んだ暗殺であり、彼は「むかしの女」で、次に雷神党に依頼しようとするが、その前に、雷神党一味は長谷川平蔵らに全員切り捨てられてしまう。もちろん、そのとき、長谷川平蔵の剣が冴えわたる。その次には、霧の七郎や網切の甚五郎などの盗賊が、執拗に平蔵の命を狙い、何人もの刺客を雇ったり、また、自ら平蔵を誘い出して殺害しようとする。その他「血闘」「狂剣」「流星」「鬼火」など、平蔵が狙われて、危ない目にあう場面は枚挙に暇がない。
 そもそも長谷川平蔵は、本当に剣の達人だったのだろうか。残念ながら、そこに踏み込んだ研究書は、まだ見つけることができない。ただ、『「火付盗賊改」の正体--幕府と盗賊の三百年戦争』(丹野顕)には、以下の記述がある。
 「平蔵より36歳年上の本家の太郎兵衛正直も武術に秀でていて、吉宗はその騎射・歩射・水馬を上覧し、常に鷹狩に従わせた。太郎兵衛も先手弓頭・火付盗賊改を務め、長谷川氏は武功の家として知られた。幼い平蔵は本家の太郎兵衛を模範にして武芸に励まされた。」
 長谷川家は、徳川譜代の家臣であり、先祖の武勲によって家系が続いていたので、旗本としても、武の領域で仕事をしてきたのである。だから、子どものころから武芸で鍛えられたことは、間違いないだろう。
 小説では、しかし、子どものころの生活については、まったく別のものとして描いている。庄屋の娘が母であり、義母が平蔵を家にいれることを拒否したために、母の実家で育てられたことになっている。武士ではないから、武芸などはしなかったのだろう。しかし、男子が生まれないために、平蔵が父の家に移り住むようになって、義母から疎まれた反動として、道場に入門して、武芸に励んだことになっている。小説では、剣術に優れていただけになっているが、研究書では、水泳が得意であったとされているので、武芸一般に秀でていたのだろう。
 ただ、捕り物の多くは与力・同心を派遣してのものだったし、また、長官がよる一人で見回りなどということも、考えられない。長官が見回りをしたとしても、おそらく同心と共にだろう。江戸時代には、よほどのことがない限り、切り合いなどはなかったとされる。実際に刀を抜いたことがある武士は、極めて少なかったとされる。それは、現代の警官が、銃を腰につけているとしても、実際に撃ったことがある警官など、ごく稀にしかいないのと同じだろう。「鬼平犯科帳」は、実在の人物を描いており、しかも、描かれた盗賊の何人かは、実際に長谷川平蔵が逮捕した者である。そういうリアリティこそが、私にとっては「鬼平犯科帳」の魅力なので、あまりに不自然な切り合いなどは、ない方がいいのだが、それでも「時代劇」にならないのだろうか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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