半月位前までは、連日のように北朝鮮に関する話題が報道されていた。韓国の脱北者によるビラ配布に北が激怒し、金与正による罵倒が続いたあと、6月19日、南北共同連絡事務所の爆破までは、驚きの連続のように報道がつづいた。何故金与正が指示をだすのか、金正恩はどうなっているのか等々。そして、それにつづいて軍事計画が予告されたが、それは金正恩が保留を命じて、その後激しい動きは見えなくなった。北が南に向けてビラを撒くとか、あるいは軍事境界線上に大きなスピーカーを設置して、非難の声を流すなどの準備がなされてもいたが、これも中止になった。そこで、またまた様々な疑問がだされた。やはり、一市民として、こうした状況をどのように考えるのか、自分なりの現時点での整理をしておきたいと考えた。
疑問を思いつくままにあげてみる。 “北朝鮮情勢を考える” の続きを読む
カテゴリー: 時事問題
都知事選残念な結果だ
小池現知事が圧勝した。予想されたとはいえ、残念な結果だ。直前といってもいいが、小池氏の学歴疑惑が再燃したが、それも影響しなかったようだ。しかし、今回の立候補でもカイロ大学卒という経歴を使っているので、この問題はまだ尾を引くだろう。多くの人が指摘するように、政治家にとって、学歴は本質的な要素ではない。別に義務教育だけしか受けていなくても、実力と熱意があれば、政治家として立派な存在になれる。しかし、学歴に関して、嘘をついているということになれば、それはまったく問題が異なる。学歴という、もっとも基本的なその人の「歩み」を示す指標について、嘘をついているということは、選挙民に対して、自身の人生に関して嘘をついていることになる。そんな人間を信頼することができるはずがない。 “都知事選残念な結果だ” の続きを読む
事前の訴えがあったのに放置して刺殺事件が
共同通信2020.7.3によると、名古屋氏で会社員が刺された事件で、刺した犯人が、事前に警察に電話していたのだという。「いらいらして人を刺したい」と電話して、応対した署員が「切迫した問題はない」と判断して、人身安全対策を担当する生活安全課や県警本部に報告しなかったという。そして、県警への取材に対して「被害者が亡くなったのは残念だが、対応に問題はなかった」としていると書かれている。
電話が事前にあり、なんら対応をしなかったために、被害が起きたのだから、「対応は多いに問題があった」とほとんどの人は考えるだろうし、アメリカならば、被害者が確実に警察署を訴えるだろう。こうした被害を訴えない日本人の感覚が、問題ある警察の行動を放置していると、私は考える。最も頻繁におきるのは、パトカーに追跡された車が第三者を巻き込んだ事故を起こすことだ。その場合には、最も悪いのは逃げた車の運転手であるが、不用意に追跡すれば、事故が起き、死傷者がでることはかなりの確度でいえることだ。実際に、そうした事故が頻繁に起きているのだから。この場合でも、巻き込まれた被害者が、警察を訴えることはあるのだろうか。少なくとも、そうした報道はない。 “事前の訴えがあったのに放置して刺殺事件が” の続きを読む
感染は自己責任と考える割合が日本人は高いという(続き)
昨日の文章に、なんとなく不十分な感じが残ったので、続けて考えていた。そして、「自然災害」に関する感じ方の相違があるのではないかと思い至った。日本人の一般的な感性のなかに、日常生活のなかではあまり争わない傾向があるとか、諦めの感情が強いなどという性質があるように思うのだが、それは、自然災害の多さに由来していると思う。日本ほど、多数の種類の自然災害に見舞われる国はあまりないといえるだろう。台風、地震、津波、大雨、大雪、冷害、火山爆発、干ばつ等々。これらのいくつかをもつ国はいくらでもあるが、全部に見舞われる国は、あまりないだろう。日本人の歴史は、自然災害との闘いの歴史でもある。中国や朝鮮半島のような「戦闘」の時代が少ないのは、主な闘いの対象が人ではなく、自然だったからといえる。 “感染は自己責任と考える割合が日本人は高いという(続き)” の続きを読む
感染は自己責任と考える割合が日本人は高いというが
7月29日の読売新聞に、興味深い記事が掲載されている。「新型コロナウイルスに感染するのは本人が悪い」という記事で、三浦麻子大阪大教授の調査によるという。3月から4月にかけて、日本、米国、英国、イタリア、中国で、インターネットによる調査で、「感染する人は自業自得だと思うか」との質問に、「どちらかといえばそう思う」「ややそう思う」「非常そうに思う」のいずれかを選んだのが、米国1%、英国1.49%、イタリア2.51%、中国4.83%に対して、日本は11.5%だったという。それに対して、「全く思わない」というのが、日本以外は、60%から70%台だったが、日本は29.25%だったという。
この数字を受けて、被害者なのに過剰に責められる傾向が強いと指摘し、国内で感染者が非難されたり、差別されたりする可能性を指摘している。 “感染は自己責任と考える割合が日本人は高いというが” の続きを読む
マイナンバーを弄ぶな
マイナンバーの紐つけ議論が出ている。きっかけは、10万円の給付金支給で、マインバーカードを使用したところ、大混乱に陥ったことだった。それで、ひとつの銀行口座を紐つけしようという議論がでて、そのうち、金融機関の口座全部を紐つけしようという案もでている。普通であれば、10万円給付で、書類よりもマイナンバーカードを使うほうが手間がかかり、遅れてしまい、そしてとりやめざるをえなくなったという事態が生じれば、どこに問題があるのかを徹底的に究明して、そこを改善しようということになるのではないか。ところが、そんなことはあまりやった雰囲気がなく、直ぐに口座紐つけという案が出てくる。こういうのを「場当たり的対応」というのではないか。あるいは、ナオミ・クライン流に、「ショック療法」で、都合のいい悪巧みを、混乱を利用して実行しようということなのか。 “マイナンバーを弄ぶな” の続きを読む
パトカーによる追跡はやめるべき 京都の事故で思う
毎日新聞(2020.6.21)によると、京都で、パトカーに追跡されたワゴン車が、交差点でタクシーにぶつかり、ぶつけられたタクシーが、はずみで交差点近くにいた自転車にぶつかった、という事故を報道している。私はずっと以前から、こうした事故が起きると、パトカーの追跡はやめるべきであると、ブログに書いてきた。アメリカでは、こうしたパトカーによる追跡が行われ、結局捕まえたというような報道が、映像とともに流される。まさか、日本でも負けないぞ、と警察が意気込んでいるわけではないだろうが、日本とアメリカは、道路事情が異なるので、日本でのパトカーによる追跡は非常に危険で、無関係な人を巻き込む可能性が非常に高いのだ。 “パトカーによる追跡はやめるべき 京都の事故で思う” の続きを読む
小池百合子氏の学歴詐称問題
今日(6月10日)の新聞(毎日、朝日等)は、在日エジプト大使館が、小池百合子氏の卒業証書は正式のものであって、週刊誌等の記事は、カイロ大学への名誉棄損であるとする声明を発表したことを報じた。一応共同通信の配信とされる毎日新聞の記事の一部を引用する。
「モハンマド・エルホシュト学長名の声明は「卒業証書はカイロ大の正式な手続きにより発行された」とし、日本のジャーナリストが証書の信ぴょう性に疑義を示したことは「大学と卒業生への名誉毀損で看過できない」としている。
カイロ大広報担当者は電話取材に「小池氏はカイロ大を卒業している。議論の余地はない」と強調した。(共同)」
小池氏のカイロ卒業問題は、本当にずいぶん前から折に触れ話題になっているが、今年に入って、まず黒木亮氏が、JBpressに何度も詳細な記事を書き、そして、最近、石井妙子氏の『女帝 小池百合子』という著書が出版されて話題になっている。更に追い打ちをかけるように週刊文春の記事である。 “小池百合子氏の学歴詐称問題” の続きを読む
マイナンバーカードの銀行口座紐付け
マイナンバーカードを使って、オンラインで給付金を申請できるシステムが、逆に人手を使ったチェック作業のために、膨大な事務的な負担が生じて、中止する自治体が多かったようだ。それにこりて、もっと能率よくできるようにという理由で、銀行口座に紐つけしようという案が浮上している。私は素人なので、詳細はわからないが、むしろ素人として納得できるかどうかが重要であると思う。基本は、素人でも理解できることが大事だ。
まず、マイナンバーシステム自体が、私にはとても不可解である。私はまだマイナンバーカードをもっていない。しかし、マイナンバーはもちろんある。申請したわけではなく、勝手に付与されたものだ。それは紙に書かれた状態だ。しかし、この紙とカードの違いが、私にはさっぱり分からない。番号が必要なときには、この紙をコピーして送ったり、あるいは実際に窓口で見せたりする。その場合には、カードは不要のようだ。いったいカードはどういうときに必要で、どういう風に便利なのか、ときどき話題にはなるが、要するに不可解なのだ。これまでカードがないから、手続きができなかったことはないのだから、不可欠というわけではないらしい。より便利だということで、オンライン申請を設定したら、大混乱になってしまった。確認のために、紙の書類と突き合わせてチェックするなどということは、カードレベルでのチェック機能が、機械化されていないということだろう。何のためのカードなのだろう。 “マイナンバーカードの銀行口座紐付け” の続きを読む
東北大学で押印廃止 大学に無駄はたくさんある
「東北大、学内手続の押印廃止へ 年8万時間の作業削減」という記事が掲載されている。(https://www.msn.com/ja-jp/news/national/東北大、学内手続きの押印廃止へ-年8万時間の作業削減/ar-BB14Jsjk?ocid=spartandhp)
大学というところは、極めて非能率的な組織である。会議は月1で組まれているから、かなりの重大事件が発生しても、解決には2、3カ月かかる。通常はもっとかかり、改革をやろうと思えば、小さな改革でも2年くらいかかるのが普通である。教育機関は、あまり重大かつ緊急な問題は起きないから、それでとくに不便でもないという時代が続いた。しかし、少子化による全入時代に突入して以降、これまでのやり方を漫然とこなしているだけでは、大学としての存立そのものが危うくなりかねない状況になってきて、多くの大学は、大学独自の対応を進めていると思う。今回のコロナ問題で、こうした大学の非能率性は、かつてよりはずっと明確に浮き彫りになっている。会議にオンライン要素を取り入れていれば、以前だって問題対応能力はずっと高かった。私自身、なんどかそういう提案をしたことがあるのだが、必ず「会議は対面でやらなければだめだ」などという声が出て、実現しなかったのである。オンラインは、別にzoomのような会議システムを使う必要もなく、メーリングリストでも充分に機能する。いろいろなやり方があるのだ。オンライン会議も方法として採用されていれば、緊急事態が起きたときに、会議の日程が先でも、緊急会議を行うことができるわけだ。だから、解決が速やかになる。
不幸中の幸いというか、コロナ問題で、ほとんどの大学がオンライン授業に踏み出し、会議のオンライン化を進めたようだ。これを単に、コロナ対策としてではなく、大学の作業の効率化として、日常的にシステム化すべきであろう。会議が対面でしか行えないと、緊急事態に関しては、解決を遅らせるか、あるいは、通常の手続を省略して、誰かに委任するかのどちらかしかない。対面以外のシステムを可能にしておけば、全員のコンセンサスを形成しつつ、速やかに対応することが可能になるのである。こうした認識が必要であろう。
ついでに、私自身が経験した非能率的なことについて対応策を書いておこう。予め断っておくが、あくまでも能率の問題であって、正・不正の問題ではない “東北大学で押印廃止 大学に無駄はたくさんある” の続きを読む