オリンピック政治ゲームになってきた

 オリンピック・パラリンピックは、滅多にない政治ゲームになっている。もちろん、このゲームは、人の生死にもかかわっているので、遊びではない。政治家たちの実力が試されているともいえる。専門家でなくても、また、あまり政治に関心がない人でも、今日本が直面している現実は、歴史的にも、めったにない政治ゲームになっていることがわかる。
 4年に1度の、スポーツの祭典。アスリートたちにとっては、切実な生きる中心的価値に関わることだ。だから、可能ならば、ぜひ実現してほしいと願っているだろう。しかし、自身が政治ゲームに参加することはできない。しかし、また、オリンピックを利益のあがる事業と考えている企業にとっては、ある企業は既に利益を得ている(建築関係)から、どうでもいいと思っているかも知れないが、オリンピック本番の宣伝効果を期待している企業にとっては、何がなんでも実施してもらいたいと思うだろう。

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アスリートの立場は尊重したい一方

 いよいよ大がかりなオリンピック反対署名が、元日弁連会長の宇都宮氏によって提起されたので、私も早速署名した。かなりのスピードで伸びているようだ。何度も書いているように、私は、オリンピック招致そのものに反対であったので、「コロナだから反対」というのではなく、コロナだから尚更反対という立場であり、この署名が反対のうねりになってほしいと思っている。
 他方、気になる傾向として、アスリートにオリンピック反対せよという運動がなされているという。さすがに、これは、共感しがたい。特に池江さんを名指しで、オリンピック辞退を迫っているような働きかけがあると、報道されている。オリンピック何が何でもやる派のひとたちが、池江さんを利用している雰囲気があるのも、大いに問題だと思うし、彼女としても迷惑と感じているに違いないが、しかし、彼女自身は病気を克服して、それこそ常人ではありえないような努力をして、短期間に選手として復活し、代表の座を勝ち取ったわけで、それはそれとして、本当にりっぱなことだ。そして、彼女の立場として、様々な場で、組織委員会に活用されることを、断ることは難しいだろう。そういう立場は、理解してしかるべきではないだろうか。

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神奈川県の飲食店密告制度?

 4月の20日ころに大きく話題になった神奈川県の飲食店の、マスク飲食の徹底を調べる県民モニター制度であるが、県民による「密告」制度だと、大きな批判を浴びている。もっとも、神奈川県のホームページによれば、4月30日の段階で、7月から実施し、今後募集予定としているので、実際に行われ化どうかはわからない。批判が強いという理由でやめるかも知れない。そこで、この問題を考えてみたいと思った。
 神奈川県によると、県民モニターは、「認証店舗に実際に赴き、マスク飲食実施店の工夫や努力をしている点など、優れた取り組みを利用者の目線で評価するもので、今後募集予定」ということだ。そして、チェック項目は以下の通りである。

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オリンピック開催してしまえば、国民は感動の渦?

 少し前の録画で、NHKの番組をみた。オリンピックが開催できるかどうかを、議論する番組であった。オリンピック懐疑派のひとたちも何人か出席していたので、NHKとしては公正な立場をだしていたのだろう。テレビの番組としては、かなり異例である。
 番組では、組織委員会の副会長が、準備に関して、いろいろと説明をして、いろいろな疑問が出されていた。しかし、全体として不満であるのは、安全・安心対策として、選手に対する対応と観客対応しか扱っていない点である。これこそが、非常なごまかしなのである。というのは、観客の感染対策は、まず海外からの観客は、受け入れないことが決まったから、国内だけになる。そうすると、国内ではプロ野球やサッカーで行われているから安全だという話になる。しかし、これには、盲点がある。プロ野球やサッカーは日本各地で行われていて、その地元のひとたちが観客のほとんどを占めているはずである。だから、人数もせいぜい数千人の規模でしかない。しかし、オリンピックは主に東京で行われるので、ひとつひとつの会場が数千人に限定されていたとしても、東京全体としては、おそらく10万人を超える観客が集中することになり、日本国内から東京にやってくることになる。従って、プロ野球やサッカーの規模とはまったく違うのである。

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憲法記念日に憲法を考える

 今日は憲法記念日だ。だが、テレビのワイドショーでは、あまりこの話題を扱っていなかった印象がある。しかし、流石に新聞は、社説でそれぞれの立場が鮮明になるような社説を掲げている。社説を参考にしながら、憲法についての見解を自分なりに確認しておきたい。
 各社説に共通しているのは、コロナ禍に悩んだこの一年を踏まえて、このような大きな自然災害というべき現実に、憲法はどのように関係しているのかを問うていることである。しかし、結論は、極めて明瞭な相違がある。
 朝日、毎日は、憲法に欠陥があるために、コロナ対応が不十分だったのではないという認識を示している。朝日は、現在起きている事態は、現憲法で対応できるものだとして、更に、毎日は、憲法を無視して、営業の自由等を制限しており、政府は「安全か、自由か」という選択を迫っているかのようだが、これは対立するものではなく、共に守るべきものであるとする。つまり、憲法を活用すれば、コロナ対策は十分にできるという。

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和歌山ドンファン殺害事件の進展につきまとう疑問

 和歌山のドンファンこと野崎氏殺害容疑で、元妻が逮捕され、連日ワイドショーを賑わせている。警察の執念を礼賛するものもあるし、また、状況証拠だけで大丈夫なのかという疑問を呈する意見もある。そして、発表はしていないが、確実な物証を掴んだのではないかという憶測もある。
 また、何故今の時期に?という疑問もだされている。ドバイに逃避しようとしているので、それを未然に防ぐ必要があったのだ、という見解、そして、政治的思惑があったのではないかという見方すら示されている。何か、政権にとって不都合な事態が続くと、社会的事件が目隠しとして活用されるという意見だ。今回でいえば、コロナ対策の不手際が続いて、オリンピック開催へ疑問がどんどん出てくる状態に対して、世間の批判を逸らす目的だというわけだ。沢尻エリカ容疑者が逮捕されたときにも、そのような意見がけっこうだされていた。

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オリンピック組織の末期症状

 組織や制度は、いつかは機能しなくなったり、崩壊したりする。そして、崩壊が近くなると、何故こんなことが起きるのかというような不可解なことを、そのなかのひとたちはやってしまう。それは、決して組織を担うひとたちが愚かだというわけではなく、彼らにのしかかる事態が、判断を狂わせ、実行が困難になり、そして、ますます難しい課題が生じて、どうにもならなくなってしまうのだろう。
 徳川幕府の末期、何度も改革しても、幕府という軍事政権では社会に適応できなくなっており、そこに条約制定を迫る外国勢力と、幕府打倒を目指した勢力との圧力を受け、幕府は有効な対応をとれずに瓦解していく。決して、当時の幕府を担った人材が無能だったわけではない。やはり抗し得ない力が働いたというべきだろう。その力を活用した倒幕派が勝利し、外国勢力が得をした。
 規模と状況は違うが、現在のオリンピック組織委員会は、似たような状況ではないだろうか。

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オリンピックののたれ死にが現実的になってきた

 東京が緊急事態宣言を考慮し始めているということだ。政府は、できるだけ避けたいようだが、このままコロナの感染が進んでいけば、緊急事態宣言をせざるをえないに違いない。できるだけ短くしようとしても、現在の緊急事態宣言などは、それほど効果を望めないから、1月は継続するに違いない。それでもなお、オリンピックを開催するのか。
 菅首相は、依怙地になっているような様相すらある。アメリカで、ニューズウィークの取材に対して、中止という選択肢はないと言い切っている。そして、バイデン大統領からは、菅首相の開催への努力を支持するという言葉引き出して、勇気をえたようなことを言っている。しかし、段選手団の派遣の約束と、バイデン大統領の開会式への出席の約束を得ることはできなかった。自民党内からも、感染がコントロールできなくなったら、オリンピック中止をすぱっと決めるべきという声も出された。
 他方、IOCからは、オリンピックを開催して、感染拡大などが起きたら、それは日本政府の責任であるとの表明があったという。以下のような記事で紹介されている。

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原発処理水、素人はだまっていろという細野・野村氏の圧力発言

 福島原発事故によって、日々大量に発生している汚染水の処理に関して、先日政府から「決定」がなされ、ALPSという放射性物質を処理・除去するシステムによって処理された「処理水」を海に放出する決定がなされた。当然、様々な議論が起きているが、日曜日の「サンデーモーニング」の特に目加田教授の発言にクレームをつける記事が目立った。民主党政権時代の原発事故担当大臣だった細野豪志氏と、最近テレビでキャスターを始めた中央大学教授の野村修氏である。二人の主張に共通しているのは、「素人は黙っていろ」ということだ。こういうことは、絶対に「識者」なるひとたち、そして当然政治家は言ってはならない。そして、専門家もである。素人でも、きちんと調べた上で、どんどんもの申すべきなのであるし、それが許され、かつ、丁寧な対応がなされるのが、民主主義社会というものだ。
 まず細野氏の主張をみてみよう。東スポに掲載された文章である。

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日本人のワクチン観のせいで遅れるのか?

 日本でのワクチン接種の遅れに対して、日本人のワクチンに対するネガティブな感情が強調されることがある。日本人のゼロリスク志向が、素早いワクチンの普及や研究を阻害しているのだというような見解だ。何か、ワクチン研究開発や調達の遅れを、日本人の感性のせいにしている感がぬぐえない。しかし、何故そういう感情が起きたのかを考える必要がある。
 私が子どものころの、予防接種はBCGが代表的なものだった。私は、幸か不幸か父親が結核患者だったので、小さいころに感染しており、ツベルクリン反応が常に最大の強で、BCGを打ったことがない。ただ、BCGに否定的な対応というのは、なかったのではないだろうか。むしろ、日本人は、医学や薬に対して、積極的な姿勢をもっていたように思う。医者への尊敬の念も高かった。
 その風向きが変わったのは、何度か起きた薬害と、ワクチンの副反応だったが、私の見る限り、薬害や副反応自体よりは、その後の政府や企業の対応だったのではないか。それは公害でも同様である。水俣病は、科学的研究によって、その原因物質と排出企業が特定されていたにもかかわらず、本当に長い間、それを政府も企業も認めることがなかった。その間にも、どんどん被害が大きくなったのである。

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