NHKの近江アナウンサーが退職することが話題になっていたが、毎日新聞がインタビューして、そういう決意をした経緯や理由を詳細に、近江氏自身に語らせている。第一志望だったNHKのアナウンサーを辞めるというのは、大きな決意であるし、また、人生の転換でもある。最近、ゼミの卒業生が転職したという話がはいってきて、この記事は注目して読んだ。「NHKを辞めたワケ 近江友里恵さん、心に刻まれた隈研吾さんの言葉/上」(毎日新聞2021.4.2)
まず驚いたのは、NHKが番組内で詳しく説明することを許さなかったという点だ。民間企業に中途採用で転職するということで、「民間企業」が許さない理由なのだそうだ。公務員にでもなるのなら、説明を許したのだろうか。あるいは、辞めるからにはNHKに不満があるわけで、それを言われたくなかったということなのかも知れない。
番組での説明ができなかったために、取材攻勢やいろいろな意見・問い合わせが殺到したようだ。だれでもそうだろうが、詮索されるのは嫌だったという。本人としては、きちんと説明したかったのにできなかったために、実際に辞めた段階で、毎日新聞のインタビューに応じたということだ。このことも、注目すべきことだ。NHKはもっとおおらかでいいのではないか。
学生時代から、アナウンサーと都市づくりに関心があり、第一志望だったNHKに合格したから入社したが、都市づくりの気持ちもずっともっていて、2019年元日に「NHKスペシャル」で放送された「空から見る 昭和 平成 そして未来」という番組で、総合司会をしたことが、自分の気持ちを後押ししたという。そして、なぜ都市づくりに関心をもったかというと、自分が住んでいた麻布十番が、都市再開発され、古きよき商店街が近代的な、ビルの立ち並ぶ大都会になってしまったことが残念だったという。
思わず、私の子ども時代を思い出した。私は、1964年の東京オリンピックの競技会場のひとつとなった駒沢の近くに住んでいた。たくさんの競技場が建設された地域は、昔は、プロの野球場(駒沢球場)、大人に貸し出す多数の野球場やその他のグランド、そして、無料で子どもだけが使える少年野球場があり、更に、広大な遊び場としての空間が広がっていた。小学校上級学年になったころに、オリンピック施設の建設が始まり、それらの野球場やスポーツグランド、遊び場は、すべて消失し、サッカー場や体育館などが建設され、そして、広大な公園となった。いってみれば、一流のプロから、一般市民まで使えるスポーツの場が、専門的アスリートだけが使える施設に変化し、いってみれば、子どもたちは、遊び場を失ったのである。スポーツ施設がどうあるべきなのかという問題を、その後ずっと考え続けている。
もちろん転職、とくに異業種へのそれは非常に勇気がいることだろう。転職を後押ししてくれたのは、番組で対談した星野源や中井貴一だったという。星野はマルチタレントだが、どれか諦めようかと思ったことはないのか、という近江の問いに、全部やりたいことなので、迷ったことはないと答え、中井は、年をとってから始めたミュージカルは、自分の至らなさを自覚するためだったというようなことを語ったという。そういうことを、近江自身が咀嚼して、自分を奮い立たせたのだろう。そして、転職することになった三井不動産が、異業種に限定した中途採用の募集をしていたのをみて、他業種の能力を求めているのだろうと考えて、応募を決意したという。
非常に激しい変化の社会だから、今行っている仕事が、その後も存続するという保障はない。更に、近江氏の場合、アナウンサーを生涯やっていくことに、自信がなかったという。日本の放送業界における女性のアナウンサーの特異な状況を考えれば、それも納得がいく。最近の女子アナという言葉に表れているように、女子をアイドルのように考える風潮が確かにある。しかし、女性アナウンサーはとくに、タレント化する以前から、ある意味、従属的な仕事をしているのが実態だったように思う。放送業界は、実に人材の浪費をしているのである。NHKはまだましだ。近江氏も、地方局にいたときに、自分で責任をもって番組をつくることができた、それが大きな成長の糧になったと語っている。
しかし、多くの女性アナウンサーは、男性アナウンサーの補助的な役割を演じているし、また、男性アナウンサーにしても、書かれた原稿を読むのが仕事という場合が多かった。そういう形のアナウンサーという職業は、アメリカにはないのだと、かなり以前から言われていた。アメリカでは、キャスターというように、かなり自立的に仕事をする。他人の書いた原稿を読む場合もあるだろうが、それだけではなく、臨機応変に解説したりする。また、討論会の司会などは、相手の意見を引き出し、討論させるテクニックが必要とされる。しかし、日本のテレビの討論会などは、台本にそって進むようなものが多い。
やはり、女性だけではなく、男性も含めて、自立的な職業して、アナウンサーが発展していく必要があるように思う。そういうときには、近江氏のように、アナウンサーから他業種に転職したり、あるいはその逆も盛んに行われるようになればいいのではないだろうか。
近江氏の他業種への転職は、そういう意味で、新しい職業生活の在り方を示していると思う。