ドキュメント「チャリノブイリ 衝撃の真実 口を開く証言者たち」

 NHKのBSで放映されたドキュメント「チェリノブイリ 衝撃の真実-口を開く証言者たち」をみた。放映はずっと前だが、録画してあったのを最近みてみた。最初に驚いたのは、制作がイスラエルということだ。当時、原発の町と言われたプリピャチに住んでいた女性や、事故処理にあたったひとたちの証言を中心に構成されている。そして、実際に、原発建屋の屋上で、汚染された残骸を処理している映像も出てくる。こんなところを撮影していたのと、それをイスラエルの制作者たちが入手していることがすごい。日本は、どうなのだろう。
 チェリノブイリの事故も、当初は世界に、そして市民たちに隠されていた。火事が起きたということで、消防車が多数向かい、消火活動にあたったそうだ。そうした最初期の時点では、現場で事故処理にあたっていたひとたちにも、事実を知らされていなかったのだろう。そして、管理者たちも、事実を把握していなかったと思われる。しかし、数日後、町の住民は全員退避させられる。そのためにバスを用意し、退避にかかった時間はわずか6時間であったという。永久に帰宅できないというような事情は説明されず、ほんのピクニックにいくようなつもりで、わずかな物だけをもってバスに乗ったそうだ。しかし、現時点でも一人の帰還者もいない。(ただ、この映像ではふれていないが、退避を拒否したひともいた。)

 よく知られているように、チェリノブイリでは、原発の建屋全体をコンクリートで覆った。大変な作業だ。そして、その前にも困難な作業があった。ひとつは、消防による消火活動で大量に撒かれた水が、そのまま放置すると、水素爆発を起こす恐れがあるということで、ポンプで水を抜く作業をしなければならなかったこと。また、先に述べた屋上にまき散らされた放射性物質を大量に含んだ瓦礫のようなものを除去すること。当初、ドイツと日本から送られたロボットが作業をする予定だったのだそうだが、使い始めて、すぐに放射能によってまったく使えなくなったという。そこで、結局、人間がやらざるをえなくなった。その作業をした人が、「バイオ・ロボット」と自分たちが呼ばれたことを回顧している。大量の軍隊が動員され、屋上での作業は、一人あたり最大10分、それまでの作業によって、1分しかできないひとたちもいたそうだ。モスクワから来た偉い人が、なぜそんなに労働時間が短いのか、と質問したので、現場責任者は、それは、もっとたくさんの人を送ってこない、あなたたちのせいだ、と答えたという。ここでは語られていなかったが、そうした作業をしていた人たちの、かなり多くが死亡したはずであるが、実数は分かっていないらしい。
 ポンプで水をだす作業や、屋上の作業は映像があったが、コンクリートで覆う部分の作業は、コンクリートを流しているところが、ほんのわずか出ていただけで、くみ上げているような映像がなかったのが残念だ。
 とにかく、最後に、あの作業に携わったひとたちは、忘れられてしまっているが、世界を救った英雄だという言葉で結ばれていた。
 
 こうした映像をみれば、当然福島のことを思わずにはいられない。福島の前に、スリーマイルとチェリノブイリという、ふたつの大きな原発事故があった。したがって、日本では、たくさんの教訓をえていたはずである。リアルタイムで、原発事故をテレビでみていた者として、日本の政府や東電の対応、そして原子力研究者には憤りを禁じ得ない。いろいろと調べれば調べるほど、福島の事故は、人災だったと思わざるをえないのである。
 福島の原発事故については、独立調査委員会の報告書がある。2012年3月11日、つまり、震災の一年後に出されたものである。私は、原子力の専門的な部分については、専門家ではないので、そういうことなのか、ということ以上の判断はできないが、第3部歴史的・構造的要因の分析という部分については、判断できる。しかし、この部分については、まったく究明不足といわざるをえない。安全神話を多くのひとが信じていたこと、そして、そのために、必要な手だてが十分にとられなかったというのが、その骨子であるように読むことができる。
 しかし、いかにも、安全神話を、日本人特有の楽観論で受けいれていたなどというのは、おかしなことだ。安全神話は、明らかに、原発を積極的に推進しているひとたちか、意図的に創り出し、広めたものだからだ。文科省のホームページにすら、原子力発電の教材として、いかに安全なものであるかが力説されるいる「教材」が掲載されていたのである。私自身は、原発が安全なものだと思ったことは一度もない。それは原発の位置を考えれば、誰にもわかることなのだ。
 最も大きな問題は、そういう安全神話を広めた中心のひとたちこそが、原発の危険なことを最も理解していたという点である。つまり、東京電力などの経営者たちこそが、最も原発の危険性を認識していたと断言することができる。それは、原発を、消費地から非常に遠い、過疎地に建設していることでわかる。そもそも発電した場所から、消費地は近いほど経済的には都合がよい。遠ければ、高圧線の敷設が多くなり、メンテナンスも大変となる。そして、遠ければ、それだけ電力のロスも大きくなる。にもかかわらず、東京が消費地である原発は、首都圏には存在せず、新潟、茨城、福島にあるのだ。なぜ、遠くに建設するのか。それは危ないからである。東京に土地がないなどということは間違いである。東京湾には、埋め立て地がたくさんあり、水も豊富だ。
 原発事故が起きたとき、盛んに、テレビに専門家が登場したが、ある番組で、ともに原子力の専門家だが、賛否が分かれた二人が議論していたことがあった。賛成のひとは、現在の科学技術をもってすれば、原発は安全に運営できるのだと主張した。反対のひとは、そのことを否定するのではなく、その科学技術をきちんと使うことを、経営者たちはしないから事故が起きるのだ、と反論していた。私は、両方とも正しいのだと思う。安全を確保するための最新鋭の技術を、可能な限り万全に使えば、原発の事故は、限りなくゼロに近づけると思う。しかし、それには非常にコストがかかるのだ。だから、適当に、抜いた仕事をすることになる。これは、原発事故を扱った映画「チャイナ・シンドローム」で既に指摘されていたことだ。
 福島原発も、その例にもれないのだ。ふたつだけ例をあげよう。
 ひとつは、原発を建設するときに、あの敷地はもっと海抜が高かったのである。だいたい海抜30メートル以上あったとされる。それを20メートルほど削って、低くしたのだ。なぜか。原発は海から水を常時大量にくみ上げて、冷却用に使う。そのためのエネルギーはかなりのものになる。20メートル下げれば、そのコストが削減できるわけだ。しかし、そのために、津波に襲われることになった。高いままに建設した女川原発は大丈夫だったことを思い出そう。
 そして、津波の不安はつきまとっていたのである。実際に、何度か国会でも野党が質問をしていた。はっきりしているのは、2006年に、共産党が、津波によって発電機が故障し、電源喪失が起きる危険性を国会で問いただしたところ、それを認めず、何ら対策の必要はない、と明言したのが、当時の安倍晋三首相である。このとき、その危険性を認めて、対応をしっかりとっていれば、福島の原発事故は防げた可能性が高い。安倍首相、および当時の東電の経営陣の責任は、極めて重いのである。
 そして、このふたつの対応の共通点は、コスト回避に他ならない。実際には、原発は、安全対策を100%とれば、それほど経済的ではないのだ。だから、手抜きをするのである。技術者ではなく、政治家や経営者が、それを望むのだ。
 では、可能な限りの安全対策を絶対にさせる方法はないのか。私は、あると思っている。いろいろなところで発言もしてきた。それは、会社の重役が、原発の敷地内に住むことである。原発がひとつなら、そこに本社をおくのが一番よいが、複数あるから、重役が家族とともに、そこに住み、日常的にそこで勤務をする。言い方は悪いが、一種の人質である。しかし、本当に安全である原発を運営するためには、それが最も信頼できる方法だ。
 そして、実際にそうしている国がひとつだけあることを、数年間に知ったのだ。それはフィンランドである。フィンランドには原発はひとつしかないので、そこに本社があるそうだ。そのことが、国民の原発に対する信頼感を確固としたものにしているという。本社があれば、可能な限りの安全策を、コスト削減などをせずに実施するだろう。
 残念ながら、独立調査委員会の報告は、こうした安全策を確実にするために可能なことが、なぜできなかったかについて、全く甘い検討しかしていない。もっとも国民が厳しい目でみる必要がある。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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