昨日に続く佐藤章氏の著作だが、これは、学校現場を取材した記録である。表題でわかるように、前半は、学校教育からドロップアウトした生徒たちが主に扱われている。取材したのが、1983年から84年なので、経済的には、日本が最も上り坂の時代で、アメリカをも脅かしていると思われている時代にあたる。1970年代半ばからの石油ショックからいち早く抜け出した日本が、なかなか抜け出せなかった欧米を尻目に、経済を拡大していたのがこの時期だが、学校現場は管理主義で様々な問題を抱えていたのである。1970年代に学校紛争の煽りをうけて、中学や高校までが荒れていた。そして、教師に対する暴力なども頻繁に起きたのだが、それを力で押さえつける管理主義が学校を覆うことになった。そして、それまで、いかに生徒に問題があろうとも、生徒を警察に差し出すようなことには、躊躇があった学校が、警察と協力する以上に、むしろ、生徒を警察に通報して逮捕させるような事態も生じるようになっていた。その時期の学校や、学校からはみ出してしまった少年たちを取材したのが本書である。「密告」という表題は、教師が生徒を警察に密告するという意味で使われている。
最初に、少年非行や少年犯罪の記事は、ほとんどが、警察発表を鵜呑みにしたもので、それ以上の取材をしないまま記事にしているという現状を憤った著者が、直接、教師、生徒、退学した少年たちなどに、果敢に直接取材をして書いた記事をもとにしている。
そして、非行少年や退学した少年たちを、上から目線でみるのではなく、彼らのなかにある可能性に光をあてている点が、非常に説得力がある。
彼らがドロップアウトしていく過程には、多く共通点がある。それは、学校の授業についていけなくなることが、最初にきっかけになっているという点だ。ごく少数の教師が、わからない点について、しっかり教えてくれるが、ほとんどの教師は、みんなが理解していなくても、教材をこなすためにどんどん進んでいってしまう。それでもついていける生徒はいいが、彼らの多くはそこ挫折し、学校にいく魅力を失ってしま。そして、少数のものたちが、外部の誘いにのってしまうわけだ。そういう具体例が多数紹介されている。そして、彼等の弱さを補ってくれる家庭が、十分に機能していない。しかし、それは親がだらしないからではなく、ほとんどの場合、生活のために身を削って働かざるをえない状況にあり、子どものそうした弱点を補強することができないわけだ。
そういうなかで、教師に対して暴力を振るうような生徒も出てくる。1960年代、私が中学生のころは、生徒が教師に暴力を振るうことは、ある特定の機会しかなかった。それは、卒業式の後である。普段体罰を振るっている教師を、卒業式が終わったあと、その教師を校舎の裏などに呼び出して、散々殴ってしまうのである。それが、1980年代になると、そうした特別な機会ではなく、日常的に、対教師暴力が発生するようになった。そして、それに適切に対応できない学校が、警察に救いを求めるようになったのだ。学警協同と本書では書かれている。文科省も、学校に対して、日常的に警察と協力するように提言するようになっている。
佐藤氏は、まだ、学校が警察を呼んで、生徒を逮捕させるということが、ほとんどなかった時代に育ったし、当時はまだ若手記者だったこともあり、こうしたやり方にかなり強い憤りを感じている。確かに、学校、教師が、可能な指導、対応を十分にせずに、生徒が暴力を振るったからといって、警察に頼ることは、学校教育の放棄に近いだろう。それは今でも変わりはない。しかし、丁寧な指導をしたとしても、暴力を振るう生徒がいることも確かであるし、また、教育活動そのものが困難になるような状況、そして、明確に犯罪行為をしている以上、教師が教育的に対応することは不可能になることもある。それは認めざるをえないだろう。
佐藤氏によって描かれた警察のやり方は、いかにも権力まるだしという乱暴なものだが、少年を思いやったり、あるいは、教師よりも教育的に対応する警官も少なくないのだ。非常に管理的な指導をしている事例として、水戸五中が出てくるが、この学校は、佐藤氏が取材している数年前に、いわゆる水戸五中事件を起こして、裁判が継続中であった。体力テスト中に、教師が記録手伝いの生徒の頭を殴って死なせたと考えられている事件である。頭なので、死亡したのは、体罰の数日後であり、解剖することなく火葬してしまったので、正確な原因はわからないために、刑事的には無罪になったが、この事件への学校側の対応は、いかにも反教育的なものだった。
どうしても仕方ないときに、警察の力を借りることを否定することはできないが、日常的に連携して、危険と学校が認定する生徒を警察に通報して、取り締まってもらうというようなことが行われるとしたら、それは教育の放棄だが、警察も経験をもっているから、ドロップアウトした少年たちの、より適切な指導を協力して実践することが必要だろう。
本書の後半は、こうした風潮にもかかわらず、懸命に子どもたちのことを思って実践しているひとたちを紹介し、また、1979年に、養護学校の設置義務が都道府県に課せられ、その結果、特別支援教育が進んだ状況が紹介されている。いずれも当時の状況を知る上で、とても参考になる。