最近、「一月万冊」というyoutubeをよくみるようになったが、比較的新しく参加した佐藤章氏の著作である。「一月万冊」でも、佐藤氏出演の回は、アクセスが多いそうだが、硬派のジャーナリストである氏の発言は確かに重みがある。それで、遅ればせながら、氏の書いた『職業政治家 小沢一郎』という書物を読んでみた。小沢一郎という政治家の清廉潔白であること、きちんとした政治的信念をもっていること、その信念を実現するために、突き進むエネルギーをもっていること、等々は、小沢の優れた側面を認識することはできた。しかし、これまでもっていた小沢に対する疑問については、まったく解明されることなく、不満が残ったままの著作であった。
小沢は、初めて非自民党政権を打ち立て、その実質的中心メンバーとなった。そして、従来の念願であった政治改革の重要な政策を実現する。小選挙区制度と政党助成金である。
小沢によれば、民主主義を実現するためには、政権の交代が必要であり、そのためには、それまで実施されていた中選挙区制度では不可能であって、民主主義の代表的な国家であるイギリスの制度に習って、小選挙区制度を導入する必要がある。そういう理屈だ。しかし、私はそれに同意することはできない。
民主主義とは、政権交代を実現することと同義ではないはずである。民主主義とは、民意を実現する仕組みであり、選挙制度でいえば、比例代表制こそが相応しいのである。
小沢の議論は、政権交代を実現するためには、二大政党と小選挙区制度が必要だというわけだが、実際には、純粋な二大政党の国家などは、ほとんど存在しない。イギリスですら、三大政党であり、アメリカでも、実は小政党が存在する。二大政党制というのは、小政党が存在価値すら実現できない、非民主的な制度という側面ももっている。
また、小選挙区でないと政権交代が起きないというのも、事実に反する。そもそも、自民党政治を倒し、最初の非自民党政権を打ち立てた細川・小沢政権は、従来の中選挙区による総選挙の結果生まれたのではないか。
実は、日本の戦後政治では、自民党のなかからも、小選挙区制度はずっと提起され続けてきた。田中内閣も提案したことがあるはずである。しかし、それは、政権交代のための改革ではなく、自民党一党独裁政治の継続のためという色彩が強かった。小選挙区制度は、ずっと議論されていたように、実際の得票割合よりも、第一党にずっと有利になるような当選議席配分になるのである。例えば、勢力の拮抗した三つの政党があり、すべての選挙区で、34%、33%、33%の得票率であれば、34%をとった政党が全議席を独占できる。そんなことは、実際には起こり得ないとしても、理論的には起こりうるのだし、実際に、30%程度の得票率でも70%程度の議席を獲得することは、珍しくないのである。こんな選挙制度が民主主義的といえるだろうか。
これは、政党とは何かという問題にも関わってくる。政党とは、社会的階層、階級の利害や、政治理念を実現するための政治組織であるが、それが社会的にふたつになるということはありえない。もっと多数の政党か通常成立しているのが、現実であるし、それは当然のことだろう。しかし、二大政党のみが現実政治のなかで、実際の力を発揮できるような仕組みは、他の政党に集約された立場や理念が無視されることに他ならない。それが民主主義的といえるだろうか。そうした立場をできるだけ正確に議席に反映させるのは、比例代表制である。
実際に、民主主義的ランクで、上位にはいっている国の多くは、比例代表制をとっており、小選挙区制のイギリスやアメリカは、今や代表的な民主主義国家とはいえないのだ。
ところが、本書はこの点については、まったく検討すらしておらず、また、小沢氏に大量のインタビューをしているにもかかわらず、まったく質問すらしていない。小沢一郎を、これだけ持ち上げるならば、その理論について、もっとつっこんで検討した上でのことでなければならないのではないか。なにか、小沢のいっていることを、鵜呑みにしているとまではいうつもりがないか、あまり検討なしに、同意しているという感じが否めないのである。
政党助成金についても同様である。政党が本当に公費による助成金で運営されるべきものなのか。実際に、政党としての財政が豊かであり、独自の政策活動を可能にしている共産党は、政党助成金を受け取っていない。すると、公的助成がなければ、政党運営は不可能であり、紐付きの献金によって運営するしかなくなる、という論理があるとしても、実際に、助成金なしで運営されている政党が存在し、また、政党助成金とペアであったはずの、企業献金禁止などは、実際に復活してしまっているという現実にも、佐藤氏は切り込んでいない。
もうひとつの不満は、陸山会に対する検察の捜査がなぜ行われたのかについての掘り下げにも、不満が残った。検察は、手柄を求めるもので、大物政治家をあげると金メダルとなり、検察として出世できるというようなことが書かれている。しかし、当時言われていたのは、もっと政治的な動機だったのではないだろうか。陸山会への検察の取り組みが始まったのは、まだ民主党が野党だったころであり、民主党の拡大を阻止するために、権力が発動されたというような話は、当時から囁かれていた。ところが、そこらの取材やインタビューは、あまり見られない。なぜか、功を焦った検察の勘違いというようなレベルの話になっているようにしか読めないのである。
佐藤氏が、ジャーナリストとして優れたひとであることは、十分に伝わってくるが、ジャーナリストは、単に政治家にほれ込むだけでは済まないのではないだろうか。