ワイドショーのオリンピック報道への疑問 もっと国際的な視点をもてないのか

 オリンピックが開始され、ワイドショーをめっきり見なくなった。オリンピックネタをやっていると、他にチャンネルをまわすようになっている。ワイドショーをみるのは、やはり、ニュースに多少解説めいたものを付加しているからで、更に複数の見方が提示されればなおよい。そういう意味で羽鳥のモーニングショーはもっとも面白い。しかし、どの番組もオリンピックに占拠されている。しかも、その内容が、私から見れば悲惨だ。国力が低下している日本の象徴のような番組になっている。オリンピックに批判的なことを言っていたのに、実際に始まると競技の様子を放映し、メダルをとった選手を礼賛するのはおかしい、という批判もある。メディアがまったく報道しないのも変だろうから、その批判には与しないが、それにしても、放映の仕方には大いに疑問だ。
 とにかく、日本選手のことしか放映しない。しかも、メダルをとった選手しか扱わない。もちろん、あまり見ないでいうのもフェアでないことは承知だが、たまたまつけた番組で例外がないのだから、当たらずとも遠からずだろう。

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インフラ劣化の記事 建築会社は工業としての農業を

 熱海の土石流災害に関連して、日本全国のインフラが耐用期間になり、今後劣化が進み、補修の必要性が出てくるが、財政難の折り非常に困難な状況にあるという記事があった。「限界目前、こうなることは分かっていた日本のインフラ」加谷 珪一 2021/07/26 06:00
 
 単にインフラの劣化だけではなく、温暖化の影響で台風被害などが大きくなり、熱海のような事例が今後多数起きる危険性を指摘している。
 日本のインフラ整備などは、日常的な生活のなかで、常に感じるところだ。インフラの代表は道路だろうが、日本には歩道のない車道がたくさんある。オレンジ線のひかれた道路から、脇にはいった住宅地の道路は、歩道がないことが多い。しかし、住宅地だから車はどんどん入ってくる。だから、歩行者と車が区分のない道路を行き交うわけである。そうした道路で何度も悲惨な事故が起きている。

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中国の宿題制限 効果があるとは思えない

 中国で、学校での宿題を制限する政策を打ち出したことが、報道されている。どれも似たようなものだが、ひとつを引用しておきたい。
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 中国政府は、義務教育にあたる小中学生の宿題の量を制限し、学習塾の設立を規制する方針を発表しました。
 中国政府は24日、小中学校での宿題の分量について、小学1年と2年生には筆記式の宿題を出さず、小学3年から6年生には1時間、中学生には1時間半を超えないようにするといった指針を発表しました。また、学習塾の新設は許可せず、既存の学習塾は非営利組織とし、運営会社の株式市場上場は禁じるとしています。
 学歴が重視され受験戦争が日本以上に過酷といわれる中国では、親が子どものためにかける教育費の増大や過度な宿題の量など、子どもへの負担が少子化の原因の一つとも指摘されていて、政府の規制強化の背景には出生率を向上させたい考えもあるとみられます。https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4322587.html
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 中国で受験が過熱するというのは、1500年近く続いていた科挙の伝統があるから、こうした制限でなくなるとは思えない。韓国でも、塾や家庭教師を禁止していた時代があったが、そのうち有名無実化し、現在では、教育産業はかなり発達しているはずである。中国でも営業としての塾が盛んだというのも、妙な話だが、長い中国の伝統から考えれば、ごく自然なことだといえる。

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高齢者のコロナ感染減少がワクチンのためというのは、一面的だ

 最近のコロナ感染数が増えているにもかかわらず、高齢者が減っているのが、ワクチンの効果が現れているという解説がほとんどを占めている。したがって、ワクチン接種が進めば、コロナ問題は解決するというのだ。しかし、それは本当だろうか。
 東京都の統計を見てみる。
 ラフな数値しか出ていないのだが、まず感染数の割合は、(60代以上。65歳以上の統計は見当たらない。)
 3月 26%
 4月 14%
 5月 14%
 6月 10%
 7月 7%
 それに対して、ワクチン接種終了の65歳以上の推移は(グラフからみる推定値)

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オリンピック開会式は不可能だ 演出責任者が解任

 またまた大スキャンダルが発生した。演出責任者という小林賢太郎氏が解任されたのだ。ユダヤ人虐殺をやゆするような内容の動画を過去にアップしていたというこのようだ。しかも、解任が今日の記者会見で明らかにされた。
 ユダヤ人に対するナチの虐殺について、「虐殺はなかった」とか「ホロコーストはなかった」というような言論が、過去たくさんだされた時期があり、日本でも雑誌が廃刊されるようなこともあった。私は、小林賢太郎という人物をまったく知らないのだが、小山田圭吾氏の解任によって、音楽が使われないということのだから、小林氏の解任によって、その演出が使われないということにならざるをえないだろう。解任したとしたも、その演出そのものは採用するというのであれば、解任の意味がない。

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小山田圭吾問題再論

小山田圭吾氏が辞任を迫られて、とうとう辞めた。彼の担当した音楽も採用されなかったことになったようだ。しかし、これで、一件落着というわけではない。そもそも、何故彼のような人が、多様性尊重、障害者スポーツの祭典の開会式の音楽担当になったのか。だれの責任だったのか。組織委員会は、小山田氏の反省で済まそうとしたが、結局内閣官房が世論を気にしたのか、自分たちの価値判断なのかはわからないが、介入して、辞任させたという「政治」の介入が適切だったのか。そして、そもそも、オリンピックやパラリンピックが、本当に掲げている理念にふさわしい行事であるのか、そういうことが総体として議論されなければならない。また、小山田氏がいじめをしたという和光学園の教育の実態も問題にされねばならない。 

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小山田圭吾は辞任させるべき(再論)

 小山田問題は、すでに世界各地で報道されているという。
 昨日の動きとしては、オリンピック組織委員会の武藤事務局長は、「既に反省しており、高い倫理観をもって仕事をしている」とそのまま仕事を継続させるとしているが、この台詞、そのまま以前にも言っていたように記憶している。森会長の女性差別発言があったときにも、一時は、同じような言い方でかばっていた。開閉会式責任者の佐々木氏のときにも、おそらく同様な対応をしたのだろう。しかし、佐々木氏の場合には、早々と本人が逃げてしまった。つまり、オリンピック組織委員会というのは、こういう不祥事を真剣に考える姿勢そのものが、欠如しているようにしか思えない。

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小山田圭吾はオリンピック開会式担当をおりるべき 和光の教育にも疑問が

 私は、このブログの読者は十分承知しているように、クラシック音楽以外はまったく聴かないので、小山田圭吾という人は、まったく知らなかったし、開会式の音楽で騒ぎになっていることは、一月万冊で初めて知った。念のため、ネットで調べていると、これはあまりに酷いということ、しかも、彼がいじめをやっていたのが、和光学園であるということで、書かざるをえないと思った。和光学園というのは、リベラルな教育で知られており、そういう方面では評価が高い。大学だが、私の尊敬する先輩が務めていたこともある。その和光学園の小学校から高校まで、筆舌に尽くせないようないじめを継続していたこと、そして、更に問題なのは、それを雑誌で2回も、自慢げに語っていたということだろう。ネットでは、有名な事実だそうで、そのことについては、小山田圭吾という人は、いじめ問題での有名人だったそうだ。とくにネット時代になってからは、ずっと非難され続けているという。

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雑感3 バッハの中国人発言と酒類騒動

1 メディアの不甲斐なさ 何故バッハの中国人発言をとりあげないのか
 
 日本のメディアについては、多々不満はあるが、最近のオリンピック報道についても情けないことがたくさんある。そのひとつが、バッハIOC会長発言の報道だ。
 ネットでは散々話題になった「日本人の安全を」というところを「中国人の」と言ってしまった件だ。驚いたことに、大新聞は、この事実をあまり報道していないのだ。私は、毎日新聞をネット版で講読しているので、チェックしたのだが、「バッハ氏、「日本」を「中国」と言い間違い 「反発招いた」米紙報道 」という記事が7月14日付けであるだけだ。国民のオリンピック反対の声が非常に強かった時期(いまでも強いが)、自分たちの見解を示さず、海外でのオリンピック中心論を紹介していた時期があったが、それと同じ構図だ。バッハ発言そのものは報道しないで、海外で話題になっているというのを紹介するだけというのは、どういうことだろうか。
 もちろん、人のミスをあげつらうことは、良くないことだ。しかし、ネットでも少なくない人が指摘していたことだが、あの発言は決して「ミス」ではない。日本にきて、しばらく隔離をしていたあと、最初の公式の仕事として、オリンピック組織委員会を訪れ、会長らと会談をする場での挨拶のなかで出てきた言葉だ。目の前の人が、最も心配していることについて述べる際に、なぜ、まったく異なる内容が出てきたのか。それは、そのことがバッハ自身の頭のなかに、明確にあったからだ。

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雑感3 酒問題2

 コロナ対策で、とにかく政府による飲食店への攻撃がやまない。そして、中心は、酒の提供だ。常識的にみて、大勢で酒を飲めば、気が大きくなり、大声で話すようになるから、感染拡大の要因になるというのは、わかりやすい。しかし、他方、飲食店が感染の場になっている事例は、極めて少ないという統計もある。
 酒に関しては、ついに、金融機関に、違反している店にはそれなりの対応をせよという申し入れをするまでになっていたが、大きな批判で取りやめにはなったようだが、卸売業者に対して、酒を卸すなという要請は、現時点でまだ撤回していないようだ。両方とも、とんでもない暴挙である。(今日のテレビで橋下徹が、国民が馬鹿だから、こういう無理難題になんら抵抗しないでいる、それを改めねばだめだ、というような発言をしていたが、このふたつの要請については、両方とも、金融機関や卸売業者が問題外として、相手にしていない。国民の批判もかなり強かった。つまり、橋下のいうことは、現実にはまったくあっていない。)
 こういう議論のなかで、一月万札だった思うが、禁煙論議が盛んだったころに、ある人(番組では名前が出ていたと思うが、忘れてしまった)が、「次は酒がやられる」と語っていたが、その通りになりつつあるという話をしていた。

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