どんな社会状況であろうと、どんなに反対が強かろうと、そして、どんなに海外からの疑問が提起されようと、オリンピックは開催するという強行路線を貫徹しようという政府の姿勢が、明らかになってきた。聖火リレー開始前までは、多少とも状況による冷静な判断ということもありうるかと考えていたが、今は、まったく開催以外のことには、目を向けないようになっている。開催しない、あるいは無観客となると、入るべき収入がなくなる、あるいは、スポンサーの圧力に抗し得ないなどの事情があるのだろうか。しかし、このコロナ禍における開催ともなれば、いくらなんでも、国民の猛反対に応える措置も必要となると判断せざるをえない。いろいろな施策が打ち出されている。しかし、それらは、ことごとく、欺瞞的なものになっている。
安全・安心のために、選手たちは、陰性の証明が必要であり、また、バブル方式という、完全に管理された範囲でのみ行動を認めるという。しかし、これは二重三重の欺瞞がある。 “オリンピック開催による矛盾” の続きを読む