静岡知事選川勝氏の勝利 リニア新幹線は20世紀の発想だ

 静岡県知事選で現職の川勝氏が当選した。当然のことだと思う。最大の争点は、リニア新幹線に対する姿勢で、川勝氏は、環境を守ることを優先し、環境を守られない限りは許可しない姿勢でやってきた。それに対して、岩井氏は、「工事は地域住民の合意、協力なしに進めない。地域住民の話を聞き、科学的根拠に基づいて議論する」といっていた。ここまで進展した段階で、自分の主張をださず、住民の合意とか科学的根拠などといっているのは、要するに、実際に問題になっている環境破壊について、積極的な対応をしないといっているに等しい。
 おそらく、リニア新幹線をどうするか、というのは、21世紀の日本をどのように形成していくのかという問題とつながっているように思うのである。
 私は、リニア新幹線は、20世紀的な発想に基づく過去の遺物的存在であり、過去の発想で未来を開けるという錯覚に基づいた建設物であると思っている。東海道新幹線が東京オリンピックを契機として建設されたことは、よく知られているが、その延長上なのだ。とにかく、速い速度の交通網を構築して、ひとの移動を速め、物流を盛んにするという発想だろう。そして、その建築に関わる技術を乗って、技術革新を進めるというものだ。

 しかし、コロナで鮮明になったように、移動の速度や建築物というのが、実は新たな社会では、次第に不要になっていくのだ。大阪と東京の移動時間が、リニア新幹線で半分になるかも知れない。しかし、インターネットを使って可能な仕事であれば、移動そのものが不要になるのだ。本当に対面でなければならない仕事というのは、かなり限定的である。学校だって、かなりの部分はオンラインで教育活動が可能なことがわかった。もし、大学間ネットワークが構築されていけば、対面での活動を、必ずしも、自分の学校で行う必要もなくなってくる。近くにいる高校生や大学生が集まって、対面の議論をしたり、サークル活動をすればよい。もちろん、長い移動をともなうこともあるだろうが、頻繁ではないのだから、これまで通りの移動時間がかかっても、それほど不便には感じないだろう。
 そう考えれば、移動時間を短縮するよりは、移動しなくても活動できる形態を構築していくほうが、社会的効率性はずっと高まるのである。そういう意味で、リニア新幹線は、古い発想に基づいたものなのだ。
 更に、重大なことは、環境破壊であり、住民に対する迷惑な存在になっているということだ。
 環境破壊については、まさしく、静岡県知事選で争われたことであり、川勝知事が戦ってきたことだから、詳細を論じる必要はないだろうが、ひとつだけ書いておくと、近年、新しい交通網は、ほとんどが地下を通る。道路も鉄道もそうだ。しかし、各地で騒動が起こっている。東京では、東京外環道の建設による地盤の落下という、非常に深刻な事態がおきた。なぜ地下に建設するのか。それは、地上だと土地収用のためのエネルギーと費用が莫大なものになるが、地下の一定以上深いところでは、土地所有権が特定のひとに所属していないので、基本的には自由に掘れるからだ。しかし、それは、当然、自然を大きく変化させるのだから、自然によるしっぺ返しが起きる危険性が大きい。リニア新幹線の地下水問題はその典型である。しかも、よほどの地域の反対がない限りは、「自由」な空間でおきたことという理由で、何ら対策をとられないままになる可能性だってあるわけである。環境問題が静岡だけで起きているなどということは考えられないのだ。
 住民に対する不便では、こういうことがある。
 日本は、森林が豊かな国である。首都圏に住んでいるとなかなか実感ができないが、地方には、本当に豊かな森がある。幼児教育の世界で「森の幼稚園」というシステムがある。決まった園舎をもたず、森のなかで一日過ごすという「幼稚園」だ。デンマークで発祥して、ドイツで非常に盛んな教育スタイルだ。ドイツでの研究によると、森の幼稚園で過ごした子どもと、通常の幼稚園で過ごした子どもを比較すると、森の幼稚園の子どものほうが、あらゆる身体的、精神的能力が高いことが、示されている。
 だから、日本でもぜひつくりたいという運動があるのだが、日本では、設置基準で「校舎」が不可欠の条件になっているので、なかなか作りにくい。私は、法改正が必要だと思っているが、それでも、とりあえず校舎はもって、実際の活動は森にでかけるというやり方の森の幼稚園は、実は各地にあり、とくに、リニア新幹線の通る地域には多いのだ。しかし、リニア新幹線の工事が始まると、その近辺にある森の幼稚園の活動が制限されるという事態が起こっている。別に工事に不便な地域ではなくともである。そもそも、一企業が行う工事のために、なぜ、教育機関の活動が制限されるのか。幼稚園は、政治的力は、通常ほとんどもっていない。しかも、森の幼稚園は、幼稚園教育の主流ではまったくない。だから、せっかくの教育的効果が絶大な活動が制限されるということが、実際に起きており、なんらメディアなどでも取り上げられていないのである。(私が知らないだけかも知れないが)
 このように、リニア新幹線は、環境を破壊し、有益な教育活動を妨害している。しかし、現在の推移からすれば、相当遅れはしても、とりあえず最初の区間は完成するかも知れない。
 だが、そのとき、東京大阪間が半分の時間で移動できることが、たいした意味をもたない社会になっている可能性が高いのである。完成したとたんに、過去の遺物になっているということだ。
 21世紀に必要な新しい技術は、リニア新幹線ではない。そのことは、多くのひとが気づいているはずである。しかし、オリンピックと同様、一端始まると、止まることができず、そして、破滅をもたらすのだろうか。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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