1964年オリンピックと比較してみると

 菅首相が、党首討論で1964年のオリンピックを懐かしがった話をして、64年オリンピックが、また話題になっているようだ。そして、64年オリンピックが成功したから、その再現を夢みたいという人々がいるようだ。しかし、64年のオリンピックというのは、それほど、素晴らしいものだったのだろうか。もちろん、それをきっかけに、日本が高度成長を実現し、先進国の仲間入りが可能ではないかという自信をもたらしたことは事実だ。しかし、そんなに単純にいいきることはできないのだ。
 まず、ふたつの違いを確認しておこう。
 何よりも、大きなことは、開催の時期である。64年は10月10日が開会式であった。何故10月だったのか。それは、夏は暑すぎるので、秋にする、そして、過去の統計を調べて、最も快晴が続く時期を選んだのだ。そして、統計の通り、開会式は晴天のなかで行われた。大会中雨が降らなかったと思う。それに対して、今回は、真夏の酷暑のなかだ。真夏は暑いといっても、1960年代より、いまは平均気温が非常に高くなっているし、コンクリート化と冷房の普及で、更に実感の暑さが高くなっている。もし、予定通り、小学生がふたつの駅を歩いて会場に行き、数時間を競技場で過ごし、そして、また二駅を歩くとしたら、死者がでる危険すらある。実際に、数年前1キロの校外学習で歩いて、亡くなった小学生がいるのだ。観客をいれれば、観客のなかから、また、選手からも熱中症患者が多数でるだろう。

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官僚の劣化はなぜ起きたのか

 経産省の若手官僚が、省内で、しかも業務にかかわる内容での給付金詐取で逮捕され、官僚の劣化がまたまた話題になっている。安倍政権の下でさんざん言われたことだが、ここまでの「劣化」、まさしく劣等な意味での犯罪は、あまり例が内容に思われる。しかも、若手キャリアの犯罪だ。もっとも、彼等の経歴は、典型的なエリート官僚とは違っていて、二人とも、寄り道をしている。Aは、2浪して東大法学部に入学、大学院に進んで司法試験合格後に、入省している。Sは、私立の付属高校から、そのまま上の大学に進学して、メガバンクに就職、その後コンサルティング会社の経営者となったが、分裂して、退社、その後入省である。毎日新聞の報道で、少々不思議に思ったのは、付属高校と上の大学が慶応であることが伏され、銀行名も書かれていない。Aが東大であることは明記されているのに。
 それはさておき、この事件が、官僚の劣化の象徴として扱われていることである。確かにそうなのだろう。この背景として、官僚志望者が年々減少していること、そして、官僚になっても、近々辞めたいと思っている若手官僚が増加していることが、頻繁に報道されてもいる。
 なぜ、こうした官僚の劣化や、その前段階ともいうべき人気の低下が生じているのだろうか。中央公論は、2018年にいくつかの号からの文章を選択して、「徹底検証、官僚劣化--誰が霞が関を「三流劇場」にしたのか」という書物をだしている。様々な分析がなされているが、ここでは、多少異なる観点から私見を書いてみることにする。

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泥縄だらけのオリンピック運営 なぜそうなるのか

 子どもから「泥縄ってどういう意味?」と質問されたら、「オリンピックの準備のことをみれば、実際の「泥縄」がどんなことかわかるよ、泥棒を捕まえてから縄をなうということで、事が起こってから対策をとり始める、つまり、遅いのでちゃんとした対応がとれないことだよ」と教えることができる。実にわかりやすい実例を提供してくれている。
 オリンピックについては、開催か中止かではなく、有観客か無観客かが問題なのだそうだが、それは、スポンサーになっている大手新聞のまき散らしていることだということはさておき、この観客対応についてもいえる。
 この春先までは、中止論が強く、おそらく閣僚のなかにも、中止を建言する大臣がいたとされるのは、この時期だろうと思うが、聖火リレー強行によって、菅首相の開催強行姿勢が鮮明になったとき、組織委員会は、開催したとしても無観客だろうという意識が強かったとされている。そして、世間の風向きも同じだと、私は感じていた。無観客か有観客かは、実に多くのことが変わってくる。まず販売済みのチケットをどうするか。無観客なら代金の返却が必要だが、有観客なら、販売分全員入場させるのか、部分的なのか。部分的なら、どうやって区分するのか。抽選なのか、再度希望を確認するのか、等々。実はまだこのことが正式には決まっていないのである。泥縄対策すらできない状況だ。

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選択的夫婦別姓最高裁判決2 今回の判決は反対意見に価値がある

 前回の2015年判決を踏まえて出された2021年6月23日の判決は、結論はまったく同じであるが、補足意見や反対意見がかなりの相違をみせ、新聞報道では、ほとんど紹介されていなかった反対意見が極めて充実している。興味のある人は、ぜひ最高裁のホームページで全文掲載されている判決の本文を読むべきだろうと思う。結論は、ほとんど門前払いのようなものだが、かなりの量を占める反対意見は、おそらく、選択的夫婦別姓支持者が強く共感するような内容になっている。2015年判決では、反対意見を書いたのは一人の裁判官だけだったが、今回は、3人いて、原告勝訴と同等の判断を示しているのである。最高裁も、社会の動きにあわせて、確実に変化しているのかも知れない。因みに15名の裁判官の中で、共通して在籍しているのは3名だけで、12名が入れ代わっている。最高裁の判事はほとんどが60代で、定年が70歳だから、6年の間に、多数が退職し、新しいメンバーになっているわけである。それが、とくに補足意見と反対意見に反映されたに違いない。

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夫婦別姓訴訟最高裁判決のおかしさ1(2015年判決)

 6月23日に選択的夫婦別姓が争われた訴訟の最高裁判決がだされた。原告の全面敗訴だったといえるが、直ぐにブログに書いたが、そのときは、まだ判決文がネット公開されていなかったので、報道のみによって書かざるをえなかった。その後数日して公開されたので、読んでみた。いろいろ考えるところがあるが、23日の判決は、主要な理由説明が実に短い。あとは、補足意見が大部分を占めている。したがって、2015年に出された判決をまず検討する必要があると思い、まず、2015年の判決を、ここで考察の対象とすることにした。
 興味深いことに、23日に出された判決の訴訟では、憲法に関しては、14条と24条の違反という訴えになっている。私は、そのことに疑問で、13条がもっと重要ではないかと考えているのだが、2015年判決の訴訟では、13条も入っている。しかし、私の考えている13条解釈とは異なるものだった。(その点については、次回詳しく書く。)
 具体的にみていこう。(判決文は最高裁のホームページに掲載されているものによった。)
 最高裁の判事は、常識的にみて、日本で、法律や社会の争いに関して、最も深い知見をもっているひとたちであると思われるのだが、この判決文を読む限り、その論理の不徹底やごまかしが、どうしても眼について仕方ないのである。こんなレベルなのか、と。

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Pepperの販売停止

 Pepperの製造が中止されたという報道がある。「ソフトバンクG、「ペッパー」製造停止=販売低迷、ロボット事業縮小」(時事通信2021.6.29)だ。理由は単純で、あまり売れ行きが芳しくないということだ。仕方ないかなと思う一方、やはり残念である。
 実は、私がまだ大学に勤務していたとき、私が学科長や学部長に働きかけて、Pepperを購入した。本当はNaoがほしかったのだが、あまりに高額なので、なんとか手が届くPepperで我慢したということもあったが、キャンパス内で最初の購入だったので、けっこう話題にはなった。もっとも、教員たちが、もっと関心をもって使ってくれるかと思ったのだが、そうでもなかったのは残念だ。

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天皇のオリンピック発言は、憲法にそったものだ

 あいかわらず、憲法学者の何人かから、24日の西村宮内庁長官を通して発せられた天皇の気持ちに対して、越権行為であるという意見が寄せられている。例えば、次のように報道されている。
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 今回の発言について、憲法学者からは厳しい見方も出ている。横田耕一・九州大名誉教授は「宮内庁長官が政治に絡む天皇の思いを公にするのは、問題で越権行為だ。『感染拡大を心配している』との発言は『こんな時に開催するのはけしからん』という意味を持ってくる。五輪に反対する人たちが天皇の意見として都合のいいように利用する状況が生まれかねない」と警鐘を鳴らした。
 百地章・国士舘大特任教授は「陛下の思いは、開催した場合に感染拡大が起きないようにしてほしいということだろう」と指摘。そのうえで、「仮にそういう趣旨の思いを感じ取っても、西村氏は公にするのは控えるべきだった」と語った。
 しかし、憲法学者としては、情けない発言である。憲法に則して、考えてみよう。厳密に、そして、条文に則して考えるために、天皇の章を全文確認しよう。

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天皇のオリンピック発言

  天皇のオリンピック・パラリンピックによる感染拡大の危惧に関する発言が、大きな議論を呼んでいる。非常に興味深いことは、この発言が西村長官によって紹介された早い時期には、ヤフコメは、天皇の発言が、憲法で禁止されている政治的行為であるという前提で議論するコメントが多かったのだが、次第に、当然のことを語ったのであって、政治的発言とはいえないというコメントが多くなっていることだ。例えば、九州大学法学部の南野森氏は、昨日「宮内庁長官の発言に対しては、憲法学の立場からはノーと言わねばなりません。良い悪い・好き嫌いは別にして、現憲法では天皇に国政に関する権能はなく、国政に関する思いを明らかにすることは認められていません。宮内庁長官という、天皇に最も近い場所にいる公務員が、「拝察」という、あくまでも自身の考えにすぎないという体裁をとったとしても、その実質は同じです。これを長官の個人的な想像と理解する人は普通はいないでしょう。」と書いている。https://news.yahoo.co.jp/articles/6e6f550e9c783c729b9ee7f3388d33230c905e2d/comments
 他にも、天皇の政治的発言をかわすために、加藤官房長官は、西村長官の個人的意見と述べたことは正しいとするコメントも多数ある。しかし、日が改まって、今日(25日)になると、憲法で禁止された発言かどうかを問題としないコメントがほとんどになっている。つまり、天皇の発言は当然だという支持である。
 この天皇発言は、非常に難しい問題をいくつか含んでいるように思われるのである。

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選択的夫婦別姓の最高裁合憲判決は疑問

 6月23日、夫婦がどちらかの姓を選択しなければならない民法と戸籍法の規定が、憲法に違反しないかどうかが争われた裁判で、最高裁が合憲の判決をだした。
 この問題は、ずっと争われてきており、最高裁の判断も今回が二度目だ。前回は、15人中5人が違憲の判断をしたが、今回は4人だったと、毎日新聞が報道している。選択的夫婦別姓を押し進めるという立場からすると、最高裁はこの6年間に後退したことになる。
 現実問題として、夫婦になると、姓を変更しなければならない者は、社会生活上大きな不都合を強いられることがある。夫が働き、妻が家庭を守り、育児に専念するというような家庭であれば、それほど、現実的な不都合はないだろうが、現在は、夫婦共働きが多く、結婚する時点で、既に、自分の名前で社会的な活動をして、名前が変わるとそれまでの活動評価が浸透しにくいことになるひとたちだ。代表的な例としては、研究者が既に論文を何本をだしているような場合である。
 こうした不都合を解消するために、旧姓を「通称」として使用することを認める対策が、少しずつとられてきており、最高裁も「家族の呼称として、姓を一つに定めることには合理性がある。女性側が不利益を受けることが多いとしても、通称使用の広がりで緩和される」(毎日新聞6月23日)として、通称によって、解消できるという立場をとっている。
 しかし、通称を認めるかどうかは、職場によって異なるし、また、認めたとしても、すべての処理を通称で通すことはできない。役所が関わる書類は、戸籍名でなければ認められないからである。

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オリンピック強行が、戦前に似ているというが

 オリンピックに、一時的に批判的な意見を載せ始めた大手メディアも、このところ、すっかりオリンピック推進的な論調に変化していると言われる。そして、どんなに状況が悪くても、そういう客観情勢を見ずに、決めたことに猛進していくというのが、戦前、太平洋戦争に突入していったときとよく似ている、翼賛体制になっているという批判が、多く公表されている。
 しかし、決定的に違うところがある。戦前のメディアは、大手の新聞やわずかな雑誌しかなかった。そして、新聞にしても、雑誌にしても、検閲という強力な国家監視・管理システムの下にあった。もちろん言論の自由などは、なかったわけである。そういうなかで、新聞や雑誌も、戦争体制に飲み込まれていったし、積極的に国家への協力体制を進めていった。 

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