小山田圭吾は辞任させるべき(再論)

 小山田問題は、すでに世界各地で報道されているという。
 昨日の動きとしては、オリンピック組織委員会の武藤事務局長は、「既に反省しており、高い倫理観をもって仕事をしている」とそのまま仕事を継続させるとしているが、この台詞、そのまま以前にも言っていたように記憶している。森会長の女性差別発言があったときにも、一時は、同じような言い方でかばっていた。開閉会式責任者の佐々木氏のときにも、おそらく同様な対応をしたのだろう。しかし、佐々木氏の場合には、早々と本人が逃げてしまった。つまり、オリンピック組織委員会というのは、こういう不祥事を真剣に考える姿勢そのものが、欠如しているようにしか思えない。

 一月万冊でおなじみの本間龍氏は、おそらく、電通の考えた人事だろうといい、更に、電通は、小山田の過去の不祥事は知っていたろう。しかし、電通という組織は、そんなことはまったく意に介さない組織で、強引にやれば、結局ついてくるのだ、というような感覚なのだ、と、そう説明していた。私自身、過去には、電通の友人がいて、パソコン通信などで一緒にやっていたが、あまりそういう感触はなかったのだが、広告業界に詳しい本間氏のいうことは、おそらく事実に近いのだろう。
 ただ、武藤事務局長は、事前には、小山田氏の過去については知らなかったと説明しているが、もし、本当に知らなかったのだとしたら、いかにも軽率な人選ではなかろうか。まるで、真子内親王結婚に際しての秋篠宮家の対応を思い出す。これほど重要な人選をする際、しかも、過去に何度も煮え湯を飲まされてきたのに、人物調査をしなかったというのもおかしなことだ。しかも、ネットで簡単に調べられる、つまり、小山田圭吾をグーグルで検索すれば、まずはたくさんのいじめ関連情報が出てきたのだそうだ。いまは、現在の問題が上位を独占しているが。
 本当に調べずに、人選したのだとしたら、いかにも、武藤氏や組織委員会の幹部たちは、無能だということになる。あるいは知っていたのだとしたら、彼らの常識を疑う。
 
 今更変えられないというが、いまからでも変えるべきである。最低限、パラリンピック担当は変え、音楽も別のものにすべきだ。
 小山田のやったいじめは、自慢話として語られ、いまでもネットで読めるから、だれでも知ることができるが、ここに引用するのは憚られるほど酷いものだ。およそ、人間性のかけらも感じられないことだ。しかも、それを自慢しているのである。相手は、何も抵抗できない障害者だ。そして、小学校から高校まで続いたというのだ。それを20代半ばになって、雑誌にとくとくと自慢しているのである。そんな人物の音楽を、パラリンピックで流すのか。いくらなんでも、あってはならないことではないか。
 もし小山田の音楽をパラリンピックで採用するのだとしたら、そして、それをIOCが許すのだとしたら、オリンピック史上に残る汚点になるに違いない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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