処理水海洋放出 最終的には「人間」に対する信頼だ

 ついに、政府は、福島原発における処理水の海洋放出に踏み切った。もちろん、大きな論議を呼んでおり、とくに福島の漁業関係者の反対は強い。政府や東電がいくら、トリチウムはそれほど危険ではない、そして、規準の40分の1まで希釈している、だから、安全だ、国際規準のうえで問題ないといっても、原発は安全だという安全神話を振りまいてきたひとたちの後継者がいっているのだから、最終的な信頼がないわけである。だから、結局、水掛け論になって、落ち着きどころがない。「結局金だろう」といって、非難をあびた大臣がかつていたが、そんな大臣のいうことを信頼するはずもない。
 結局は、相手を信頼できるという問題に帰着するのではないだろうか。
 
 私自身は、これだけ大量の処理水がたまり、たしかに、規準という観点からみれば、危険とはいえないまでに(ほんとうにそのように処理されているならば)処理されているならば、いつかは放出せざるをえないことは、認めざるをえないし、それは結局海洋放出になるだろう。国際機関もそれを許容しているわけだ。

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文春と警察の全面対決

 一週間間があいた(前号はお盆のための二週間分合併号だった)『週刊文春』の最新号を早速読んだ。前回は、木原氏のデリヘル問題だったので、この事件の軸である警察官による犯罪の、警察機構あげての隠蔽という側面から、軌道修正を図ったのか、と訝しく思った点もあったのだが、やはり、真っ向から警察と対決するという記事構成をしてきた。あくまでも、一週刊誌の記事だから、絶対に正しいと受けとっているわけではないが、ただ、私自身、文春記者の取材をうけたことがある経験から、『週刊文春』の取材の徹底度については、充分に認めているので、いいかげんなことを書いているとは思わない。私がうけた取材というのは、私のかつての職場(定年退職間近だったのだが)で、ある事件をおこした教授がおり、すぐに、我が家に記者が取材にやってきたのだ。職場が、この件について取材に応じないように、という指示がでていたので、特段話しはしなかったのだが、とにかく、すぐに自宅までやってくるその取材の徹底度に感心したことは確かだ。「すごいですね、なぜ、ここがわかってのですか?」と聞いたら、「われわれもプロですから」と答えていたものだ。そして、職場から、話さないようにという指示が出ているのだ、と説明したら、了解してくれた。だから、無理な取材をして、取材源が応じていないのに、無理矢理こじつけで書いているとは、思えないのである。そして、文春の記事と、警察の発表していることとを比較検討すれば、警察の発表の「真実味のないこと」は歴然としている。

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インドと日本の男尊女卑の形

 「“女児が生まれる前に殺される”インドで、家父長制と闘う父親が社会を変える」という記事がヤフーニュースに掲載されている。元の記事COURRiER掲載で、ニューヨーク・タイムズがさらに元記事になっている。
https://courrier.jp/cj/335533/?utm_source=yahoonews&utm_medium=related&utm_campaign=335533&utm_content=society

 インド社会では、男尊女卑の風習がいまでも強く残っており、妊娠中の胎児が女の子だとわかると、中絶してしまう場合が少なくないという。そういうなかで、ある男性の子どもが誕生したとき、子どもをとりあげた看護婦が、非常に申し訳なさそうに、暗い表情で「女の子です」と父親に告げたのだそうだ。その言葉をきいて、男性は切れたと書いてある。そして、そのとき「ご自身のことも、恥だと思うのですか?」と聞いたそうだ。 “インドと日本の男尊女卑の形” の続きを読む

終戦の日に思う

 今日8月15日は、第二次世界大戦が一応終わった日ということになっている。既にドイツやイタリアは降伏しており、日本だけが連合国と戦争状態にあったが、ついに、1945年の8月15日に天皇が、ラジオ放送で終戦を告げたわけである。このときの総理大臣であった鈴木貫太郎の記念館を一度見学したことがあるのだが、そこに、終戦の詔勅というSPレコードが展示されていた。これが、実際にラジオ放送されたものなのか、聞きたかったのだが、実に小さな家の一間を展示室にしているようなところで、説明の人がいるわけでもなく、質問することができなかった。このレコード原盤を盗もうとして、終戦反対派の軍人たちが、策謀を巡らせたことは、有名な歴史的な逸話である。残念ながら、この鈴木貫太郎記念館は、現在はやっていない。
 ちなみに、ポツダム宣言の受諾は14日である。そして、実際に降伏文書に署名をしたのは、9月2日であった。そして、ポツダム宣言が発表されたのは7月26日であり、そのときの主体はアメリカ、イギリス、中国だった。つまり、ソ連はまだ参戦していなかったから、はいっていなかったのである。そして、日本政府は28日に宣言を無視するという見解をとり、実際には敗戦は確定的であったにもかかわらず、受け入れを拒んだ。その結果、8月6日に広島原爆投下、8日にソ連の参戦、9日に長崎への原爆投下という悲惨な状況を重ねてしまった。もし、7月26日に公表された宣言を、真剣に討議し、結局、そうせざるをえなかった決断をより早く、7月中に受諾していれば、原爆投下はなかったし、また、ソ連の参戦もなく、したがって、北方領土がソ連にとられることもなかったのである。

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日大アメフト部員問題での理事長会見をみて あまりに大げさな報道

 テレビが放映していた部分だけだが、日大の理事長、学長、副学長の記者会見をみた。最近のメディアがとりあげている大きな話題であり、テレビのワイドショーでも大きくとりあげている。理事長が林真理子という有名作家であることも話題性を高めているのかもしれないし、また、数年前に問題になったアメフト部で起きた不祥事であるということも、大きく取り上げられている要因なのだろうが、かなり広い記者会見場に、相当数の記者が押しかけたというのことに、私はむしろ異常を感じた。そもそも、そんなに大きな問題だろうか。
 
 たしかに、前回のアメフト問題は、メディアが取り上げる意味があったとおもう。あきらかな意図的な不当タックルが試合中に行われ、しかも、それが監督の指示だったことがわかったこと、しかも、監督・コーチなどが、大学運営にかかわっている人物だったことから、一部活の問題ではなく、大学の運営体質が問題とされねばならなかったから、メディアも大きく取り上げた。しかも、スポーツだから相手もあった。

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マイナンバー・カードと保険証(つづき)

 昨日、マイナンバー・カードと健康保険証を一体化させることについて、原則的には賛成であると書いたが、あくまでも原則的にということであって、政府が強引にやろうとしていることも含めて賛成なわけではない。保険証の廃止が1年というのは、あまりに短いといわざるをえない。マイナンバー・カードの交付が一年で済むはずがないし、医療現場でマイナンバー・カードによる事務処理が、その時点までにスムーズに進むようになるとも思えない。だから、もっと、じっくりと、問題をクリアしながら進める必要があることは、当然であろう。そして、なんといって、マイナンバー・カードにつきまとっている利権を排除することだ。
 
 日刊ゲンダイが「保団連会長が警鐘「保険証廃止を強行すれば閉院ラッシュ、地域医療は崩壊します」」という記事を掲載している。
 要するに、このままいけば、現場が大混乱し、地方のマイナンバー・カードをもたない人が多い地域では、病院が成り立たなくなり、閉鎖するところが続出する。すると、地域医療が崩壊するところがたくさん出てくるというわけだ。実際に、現在で、マイナンバー・カードによる保険証は、事務手続がうまくいかず、行列ができてしまうケースが多数でているというわけだ。現在のようなやり方では、マイナンバー・カードと保険証の一体化がうまくいくとは思えないことも否定しようがない。

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マイナンバー・カードと保険証問題 廃止やむなしか

(昨日アップを忘れていたものです)
 マイナンバー・カードが、再度政治争点になっている。岸田内閣の支持率低下の原因ともなっているらしい。つまり、マイナンバー・カードに健康保険証を一体化して、さらにこれまでの紙ベースの保険証を廃止するという方針(これは既に法律的には決まっている)に対する大きな反発が起きているわけだ。私の周囲では、既にマイナンバー・カードに一体化させた者とそうでない者がいて、私はまだである。私がまだなのは、ほとんど医療機関にいかないからで、そういう機会がないからだ。
 この問題は、かなり多面的な検討が必要で、政府の説明もどうもおかしなものになっていると思われる。

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木原事件への誤解があった

 誤解というのは、私自身が大分誤解していたという意味である。もちろん、自分自身で調査できる立場ではないので、おもにネット情報を吟味して考えてきたわけだが、やっと、本当の構図に近いものがわかってきた。そして、週刊文春がその「本当」のところに向かうのか、という点では、むしろあやしいものを感じる。
 木原事件の様相を強くしてきた、と前に書いたが、それは、木原氏が捜査介入をしたということだ。そして、それは、現在でも事実であると思うが、それは、木原氏が主役なのではなく、脇役として介入していたのだ、ということが見えてきたということだ。何故警察庁の長官が、事件性がない、などとわざわざ述べるのか。警視庁の担当責任者も事件性がないと公表している。つまり、事件性がないことを強調しなければならないのは、木原氏よりも警察機構ではないかと思うのである。

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木原官房副長官が文春を刑事告訴

 立憲民主党の質問状に対する回答のなかで、文春を刑事告訴していることを明らかにしていると、各種報道がある。刑事告訴をするということは、文春の記事がでた当初からのべているので、別に驚くことではないが、刑事告訴などをしたら藪蛇になるという指摘もたくさんあり、だから、日弁連への救済を申したてたといわれていたので、躊躇はしつつも、やはり実行したのかと、改めて思ったわけだ。しかし、これが木原氏にとって有利に働くことはないと思われる。
 文春の記事で、刑事告訴をするということは、当然、文春の記事が、木原氏の社会的地位を脅かすほどの名誉毀損となっているということだろう。実際のところ、文春の記事が、木原氏の社会的地位に、大きな脅威となっていることは事実だ。だからこそ、木原氏としても、かなり切羽詰まった状況なのだろう。

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まわりにロシア人が来たら

 ヤフーニュースに、テレ朝ニュースで報じたものの記事が掲載されている。「「ロシア人は帰れ」国を捨てた先で待っていた”拒絶” 若者たちの苦悩【現地ルポ】」というものだ。
 ジョージアの話で、ジョージアには、ウクライナ戦争勃発のあと、多数のロシア人がやってきた。そして現在、ロシア人にたいする反感が最高潮に達しているというのだ。かつてジョージアはロシアと戦争をおこない、散々な目にあっている。ソ連が崩壊して、独立したわけだが、その当時はグルジアと呼ばれていた。私たちの世代では、スターリンの故郷であるということでも有名だった。独立後も混乱が続いたし、ソ連時代の外務大臣として、日本でもよく知られていたシェワルナゼが大統領をしていたが、選挙の不正ということで、混乱が生じて辞任したり、そして、その後、南オセチアをめぐって、ロシアとの間に激しい戦争が起きたりした。

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