21世紀の教育で最もシビアに問われているのは、教育内容である。学校制度をめぐる論議は、20世紀で完全に済んだわけではないが、21世紀になると主要な争点ではなくなっている。制度的な争点は、むしろ学校制度の運用、管理の面で残っている。しかし、AI技術の実用化という状況、そして、多数の職業が消える可能性が指摘されているなかでは、何を教え、何を学んでいくのかが、より重要な論点となっている。
19世紀から20世紀にかけて、教育内容は、その主体と内容に区分されて議論されてきた。歴史的に、身分、階級、階層的に、学ぶべき教養、内容が異なっていたからである。エリート層は古典文化(日本では漢学、ヨーロッパではギリシャ・ローマ文化)を学び、一般大衆は3Rであった。義務教育が成立すると、初等教育では、3R中心の教育内容が教えられ、中等教育では、古典文化や職業的な実科内容が、分岐した学校に割り振られる形になっていく。従って、中等教育の教育内容の分化は、20世紀前半は、統合されることはなかった。(1)
教育内容を検討する際には、言葉の問題が重要である。 “未来の教育研究4 教養論・国民的教養・多文化・階級文化” の続きを読む