『教育』を読む2019.6 学校の市場化3

 大学入試はどうか。
 これは、まだ始まっていないので、はっきりとした見解をもちにくい。
 日本の大学入試は、競争試験であるという、今のところ絶対的な前提がある。欧米のように、資格試験で済んでいる場合は、それぞれ民間試験を指定しても、それぞれに最低の基準点を設定すればよい。しかし、競争試験となると、違う試験を受けて、その点数を比較するための計算式が必要となる。ひとつの民間試験にするというのは、最初から、「政策的」に想定していないのだろう。
民間活用は既に進んでいる
 民間試験を活用するということをまず考えておこう。
 国立大学のことは、私自身よく分からないが、私立大学では、入学試験の問題作成を民間に依頼していることは、少なくない。大学設置基準の改訂で、教養科目をほとんど設定しなくてもいいようにし、各大学は、教養科目の専門家を採用しないようになっていった。実際に、私の学部でも、「教養科目担当」教授は存在しない。もちろん、私の大学では一般教育科目と呼んでいるが、教養科目は存在しているから、個別の授業を担当する人はいる。しかし、もともと教養科目を専門に担当する教員はいないのである。だから、心理学、社会学、文化人類学などの、実は専門科目の一般教育科目として設定されている授業を担当するわけである。しかし、以前、教養科目がかなりの単位数必修になっていたときには、数学とか、歴史、地理、国文学など、入試科目の問題作成ができる領域の教員が、大学のどこかの学部に確実にいたものなのだが、現在では、かなりの分野で欠落が生じている。そのために、民間に依頼せざるをえなくなっているのである。主に予備校に頼むことになる。また、自校で作成した問題でも、問題作成のプロなわけではないから、点検などをやはり予備校に依頼する。実際にテスト後にミスを指摘されて、対応に追われることがある。
 つまり、私立大学においては、民間の受験産業に入試が依存している事実は、進行済みだということだ。そして、私の見るかぎり、そのことによって、入試が歪められているとは思えない。むしろ、専門でもない教授が入試問題を作成したり、あるいは少ないから特定の個人が何年も作成し続けたりするほうが、よほど弊害が起きやすいのではないだろうか。
 日本の入試制度そのものが問題だと思っているので、現在のようなシステムである以上、どこかに無理があるわけだが、民間の教育産業を絶対的に排除する必要はないし、むしろ、排除すれば、入試が成り立たなくなってしまう面が大きいのだ。国立大学やマンモス私学は、自前でやっていけるかも知れないが、私学の多くは無理だろう。
 大事なことは、何をどう利用するかを、大学側が主体的に決め、依頼する民間企業ときっちりと契約でそれを明確にしておくことであろう。作成問題そのものは、秘密を保ち、もちろん、作成者、作成過程等々、通常秘匿すべきことは、大学及び契約の民間企業双方が守ること。
英語教育の目的はスキル 
 英語教育の目的がスキルではなく、人格完成であるということについての私の考えは前回述べた。繰り返すと、英語教育の目的は、少なくとも高校まではスキルであると思っている。英語の専門家である江利川氏は、大学での英語教授を人格完成を目的としていることについては、異論をはさんだりするつもりはまったくない。専門教育としての英語教育は、同時通訳のスキルとか、翻訳のスキルなどがあってもいいとは思うが、そうしたことは、決して英語スキルだけで足りるわけではなく、豊かな教養があってこそ可能になるのだから。
 しかし、高校までの英語教育は、人格的要素があってはならないとは思わないが、やはり、英語が使える、話し、聞き、読み、書くスキルを高めることが中心なのではないだろうか。そういう意味で、英語スキルの計測を目的とした民間の検定試験は、入試で利用する意味はあると、私は思う。しかし、問題はあるし、それは、江利川氏の指摘する通りである。
 第一に、何種類もある検定試験の得点比率をどうするのか。ヨーロッパのCEFRで調整することが、客観的かつ公平であるかは、確かに疑問である。しかし、利用形態について、大学が独自に決められるのであれば、そうした弊害は回避できる。大学教育にとって、必要な英語力をもっともよく測ってくれると考える検定試験を指定するとか、あるいは、検定試験毎に、その受験生割合に応じた合格配分を決めるとか、いろいろな方法があるのではなかろうか。もちろん、どんな方法をとっても、欠点はあるし、批判も受けるだろうが、批判を受けない入試方法など、そもそも歴史的に存在しないのである。だから、活用に関する大学の主体的選択が許容されれば、拒絶することではないというのが、私の見解である。
 第二は、もう少し深刻である。それは、利権が絡むという危険性である。実際現政権は、お友達に便宜を図る政策が得意で、いくつかの重大問題を惹起した。塾出身の有力政治家が政権を支えている一人であるということも、危惧せざるをえない要素である。
 したがって、この点については、常に情報開示を求めることで対応するしかない。事後的に、問題作成の趣旨、採点結果の傾向等を検定試験をする主体に開示させることと、大学側にも、どの試験をどのように活用したかの情報開示を求めることである。
 きっちりと情報開示しない検定機関は、排除すべきであろう。
 そうすることによって、民間産業を活用する弊害は、かなりの程度解決できるのではないかと思うのだが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です