教育行政学の講義では、質問がある場合、授業終了後紙に書いて提出してもらい、翌週回答するという形式をとっている。これは、他の科目で何年間かやっていて、私自身にも大変勉強になるものだ。今年は、その他の科目を担当しなくなったので、教育行政学でやることにした。それで、学校や大学の運営に関するテーマを予定しているのだが、それに関わる非常に重要な質問があったので、ここで考察することにした。
「大学の講義を休講にした場合、補講が行われないとどうなるのか。学生は授業料を払っているという意見にどう答えるのか。」
という質問だが、大変難しい問題を含んでいる。以下は、私が所属している大学のことも含むが、むしろ、一般的に日本の大学で行われているこを念頭におきつつ、また、アメリカやカナダの大学と比較して考えてみたい。
日本と欧米のルール観の相違
教育に限らず、日本とアメリカの「ルール」についての基本的あり方に大きな相違がある。日本で「法律上」規定されている「義務」でも、かなりのものが「努力目標」である。例えば、虐待を発見したときの通報義務などがそうだ。しかし、アメリカは、義務が法律で決まっていると、すべてかどうかはわからないが、ほぼ、破った場合には罰則がある。虐待を発見した医師が報告しなかったら、最悪免許取り消しである。職業ごとに罰則が決められ、通報義務を免除されているのは、クライアントとして虐待の当人と契約している弁護士だけである。
もちろん、日本でも罰則規定が明記される義務もある。交通ルールなどがそうだ。しかし、これも運用を見ると、かなり曖昧なのである。「一時停止」というルールは、普段は完全にとまることを求められていない。パトカーが、速度をゆるめただけで、通行したのを目の前でみたことがある。見通しがよく、完全に安全確認をすれば、完全な停止状態などにならなくても、安全運行上何ら問題がない。ところが、「取り締まり」のために、警官が見張っている段になると、速度を緩めて安全確認、程度では許されない。そして、罰金を課される。速度超過などもそうだ。ネズミ取りにあわないかぎり、速度超過してもお咎めなしである。
しかし、ヨーロッパでは、速度制限が必要であると判断されるところには、速度監視器具がついていて、その地点をスピード超過で走ると、確実に違反通知が送られてきて、罰金を払わねばならない。取り締まりのときだけ摘発される、というようなものではないのである。つまり、ルールが確実に運用されることを前提にしている欧米に対して、ルールは努力目標だという文化が日本にあることは否定できないだろう。
大学の1単位とは何か
本題にいこう。「補講」というのは、やるべき授業内容が決まっているという前提がある。そして、現在文部科学省は、15回の授業をやることを、かなり強く求めている。少なくとも、大学の年次日程では、15回の授業が行われるように、各大学は日程を組んでいるはずである。もちろん、それを実行するかどうかは、様々であろう。
では、何故、15回授業をする必要があるというのか。
基本は、学生に認める「単位」計算にある。
法令上、大学で1単位を取得するということは、
60分の講義を15回。1回の講義のために2時間の家庭学習をする。
このふたつの条件をともに満たしたときに、1単位が認めらることになっている。実習、実技、演習等については、他の計算法もあるが、基本的に、3時間の学習を15回行うことが1単位の意味である。
多くの大学は、90分授業だが、60分の授業につき、15分の休憩をとることが認められるので、90分授業を15回行い、さらに、60時間の自習をすると2単位が認定されるわけである。
しかし、平均的な学生が、一コマの授業のために、毎週4時間の自習をしているだろうか。だいたい、日本の大学が、レジャーランドなどといわれていることは、誰でも知っている。もちろん、学生全部がそうではなく、理系や実験系、卒業後の進路に試験があることを志望している学生などは、よく勉強する。しかし、採用試験のための勉強では、日々の大学の授業のための勉強とは必ずしも重ならない。
日本の大学生の多くが文系であること、私も文系の学生を教えていることで、文系を念頭に考えてみよう。
卒業単位を考慮し、かつ、文系の多くの学生は3年生までに必要単位をほぼとり終え、4年は就活に全力を注ぐという生活をすることから、各学期12コマ程度の授業をとることになると想定できる。すると、週48時間の自習が必要で、毎日8時間近くやらなければならない。そういう勉強をしている人は、いるだろうか。バイト、サークル、交通時間を考慮すれば、まず絶対に不可能である。2時間できればいいほうだ、という学生が多いはずだ。おそらく、日本の文系の学生の平均自習時間は、2時間以下だろう。
因みに、アメリカの比較的有名な大学では、こうした家庭学習は確実に求められ、それは宿題として出される。その宿題は、文献を読むという形で出された場合、読んでないと授業で困ってしまい、単位認定されない可能性がある。文献は学生の数だけ図書館に用意されるという。
授業料の日米の相違
では、授業料についてはどうか。
学生からすれば、履修している授業に授業料を払っているのだから、休講になったら、その分返せという気持ちも、起きるのは自然だろう。
しかし、日本の大学では、授業料は、個々の授業に対して払っているわけではない。授業料は、この学期に、メニューの中から、限度内で、自由に履修してもよい、という権利に対して払う。だから、3年生までは目一杯とるが、4年生になると、ゼミ以外履修していないという学生は少なくない。だから、理屈の上では、休講した分を返却するという対象には考えられない。
アメリカやカナダの方法を見ると分かりやすい。
アメリカやカナダでは、履修した授業の単位数に応じて、授業料を払うことになる。最近話題の小室圭関連で、アメリカのフォーダム大学の授業料がテレビで紹介されていたが、1単位25万円だそうだ。もちろん、州立大学ではもっと安いが、履修する特定の授業に対して授業料を払うのであれば、確かに、休講が生じたら、補講するか、授業料を返還すべきであるという理屈になる。
レストランに入ったときに、アメリカ方式は、コース料理を注文するようなもので、日本では、バイキングのようなものだろう。コース料理なら、予定のものがだせなければ、代わりの料理をだすだろうし、それができなければ、料金を部分的に返却要求できるだろうが、バイキングの場合には、たまたま自分が食べないものが、その日なかったとしても、それは仕方ないことになるだろう。
文科省は単位制限をせよと、大学に対し手「指導」をしているのであるが、私は、単位制限などをせずに、授業料を申請単位で決める、アメリカ方式を取り入れれば、自然に取得単位は減ると思うし、取得単位が減れば、宿題なども出すことが可能になり、実際の学習が進むのではないかと思っている。
補講は可能か
補講を教師の側からみよう。
私が学生の頃は、授業をたまにしかやらない教授などざらにいたし、私が大学に赴任したころには、毎学期4、5回は休講する教授も何人もいた。別に遊んでいるわけではなく、講演を頼まれるわけで、授業より講演依頼を優先させていたということだ。次第に、そうしたことは自粛すべきだという話になって、講演で休む人はほとんどいなくなっている。講演も、大学の教師の社会的活動として、重要な位置づけをもっているので、講演で授業を休むのは、絶対にいけないことだといえるかどうか、私には断言できない。
さて、講演がなくなれば、授業にかかりきりになれるかというと、実際にはそうではない。
まず教育実習指導などの実習指導がある。海外研修の付き添いなどもある。
大学のなかで重要な役割をもっていると、授業と重なりつつ、重要な仕事がはいってくることもある。また、かなり多いのが、学会への出席だ。学会活動は大学の教師にとって、公的な活動になっている。
こういう「公的な仕事」で休まざるをえなくなったときに、補講が可能かという問題を考える必要がある。
日本の大学は、教師が入学試験に関わるために、入試期間は、授業期間から絶対的に排除される。ほとんどの私立大学で、2月以降は入試期間で、授業は行われない。4月の途中から、15回授業を組むと、7月の下旬までかかり、そのあと試験期間になる。8月1,2週まで試験が食い込み、その後が採点期間。成績提出してその処理、学生への提示をしてから、秋の授業となる。
以前は、春学期の授業が終わると集中講義期間と、補講期間があったが、今はない。補講をしようにも、できる日程が組まれていないのだ。集中講義は、できるだけ、優秀な先生に講義をしてもらうために、2週間くらいの期間を設定していたが、今は、秋だけになっており、しかも、集中はできるだけ組まないように指導される。学生にとっての魅力がかなり低下することになる。
9月になると、集中の期間が短くあり、すぐに授業が始まる。秋は祝日が多いので、最近はぎりぎりクリスマスの時期まで授業があり、1月に残りの授業をこなすとすぐに試験期間に入り、そして、入試が始まってしまう。
こういう日程を考えれば、補講をすることは、事実上不可能なのだ。以前のように、15回の授業が強制されず、12回程度で組んでいれば、補講期間を設定することもできたが、15回体制だと無理だと考えざるをえない。
結論的にいうと、どうしても公的な仕事で、休講にしなければならないことがある、しかし、補講をする日程は組まれていない。これが実状である。
アメリカの大学は、日本のように教授が入試に関わることはないから、2月3月も授業に使えるので、日程的にすごく余裕がある。また、余計な校務で休む必要もない。夏休みは3カ月あるから、学会などもそのときに開かれることが多い。
また、必ずサマースクールがあって、必修科目などは、夏にもう一度開校されて、落とした人が取り直す仕組みになっている。
なお、アメリカでは、休講についてどうなっているのか。休講はほとんどないそうだが、助手のような人が代講することが多いそうだ。
もちろん、予定された授業内容が、休講によってできなくなるとしたら、それは大学の教育水準を下げることになり、見過ごすことはできないことだ。しかし、今の日本の大学行政・運営のなかで、休講を無くすこと、それでも休講した場合補講すること等は、もともと無理な体制になっているといえる。そのことと、授業料がどんぶり勘定で設定されていることが結びついているとは思えないのだが、現実的には、補講もしないことへの返還をしない根拠にはなっている。
このような体制が、好ましいとはいえない。どのようにすればよいのか、また別の機会に考えたい。